「物理学者は世界をどう眺めているのか?」が副題。「個々の天体ではなく、宇宙そのものの起源と進化を研究するのが宇宙論」「常識を超えた宇宙の謎を物理学者がとことん真面目に考えた」――。難解極まりない世界を談論風発のごとくユーモアを交えて解説する。素晴らしいの一言。ありがたいと思えるほどの著作。
「宇宙は有限か無限か」――。「我々が現在観測できる宇宙(ユニバース)」と「観測できるかどうかに関係なくその外に広がっている宇宙(マルチバース)」の2つの異なる概念を区別すべき」「天文学者の宇宙は『現在観測できる領域の宇宙』を指しており、宇宙誕生以来138億年の間に光が進む距離が半径。光が進む速度が有限であることと、宇宙には始まりがあること。この2つの結果として、我々が観測できる宇宙の体積は有限となり、夜空を埋め尽くす星の数もまた有限となる。それこそが、夜空が暗い理由なのである」と言う。観測できる宇宙の有限性だ。「『宇宙は点から始まった。ビッグバンは爆発現象』は間違い。我々が現在観測できない宇宙(マルチバース=我々の宇宙は唯一ではなく他にも存在するたくさんの宇宙の中の1つに過ぎない)までを含めるならば、正しいとは言えない。その外にある宇宙が現在無限に広がっているとすれば、過去にさかのぼってもやはり無限に広がっているはずで、少なくとも我々が考えるような意味の点ではない。我々が現在観測できる半径138 億光年内の宇宙は、138億年前にはサイズが極めて小さい体積の、高温かつ高密度の状態にあった。しかし、宇宙全体は、その領域を超えてはるかに広がっており、無限の体積を持っていたと考えても、現在の観測事実とは矛盾しない」「4次元時空――曲がった3次元空間と時間を組み合わせた4次元時空(リーマン時空)がこの世界を記述する基礎だと考えるのが一般相対論。平坦な3次元空間と時間を組み合わせた4次元時空(ミンコフスキー時空)に基づいた理論が特殊相対論。高次元時空――超ひも理論では10次元空間に時間を加えた11次元時空が前提となっている」・・・・・・。
アインシュタインは1915年に一般相対論を発表。1919年、一般相対論が予言する「光の経路が重力の影響を受けて曲がる現象」を検証したアーサー・エディントンのアフリカでの日食観測の話はとても面白い。幸運な男アインシュタイン。すごい人は往々にして運に恵まれた男だ。
本書の話題はとにかく宇宙のように広がっていく。「世界の退屈さをなくす『対称性の自発的破れ』」「最小作用の原理的人生と微分方程式人生」「人生に悩んだらモンティ・ホール問題に学べ(3つのドア、どれを開けるか?)、簡単そうで全く直感に反する正解を持つモンティ・ホール問題の魅力」「青木まりこ現象(書店に行くたびに便意を催す)の謎の検証(仮説を比較し淘汰する)」「我々のユニバースと同じ宇宙が存在し得る理由。コピーはどこまで我々のユニバースと同じなのか? 自分のコピーがどこかに存在する?」「並行宇宙は存在するか?」「生物が存在しないロンリーユニバースも」「パラレル人間も、いつかは誕生する」「宇宙に、脳が突如発生するボルツマン脳の確率」・・・・・・。
マルチバース的世界観が、日常から量子、宇宙、そして小宇宙たる人間の心まで、縦横無尽に展開・開示され、心が広がる。
「ツボ・鍼灸・漢方薬、西洋医学で見る驚きのメカニズム」が副題。鍼灸・漢方薬は今や我々の身近にあり、その力は、西洋医学的な研究でもより明らかになってきている。俗に「東洋医学は人を診る」「西洋医学は病気を診る」と言うが、心身を整える「東洋医学」研究の最前線と、その仕組みを明らかにする。
「鍼灸で『痛み』が和らぐのはなぜか――神経ネットワークを駆け巡る刺激のシグナル」――。人間の体には、361種のツボがあるといい、ツボには痛みなどが生ずる反応点の役割と治療点の役割がある。ツボと同じ位大切なのが、臓器とツボを結ぶ経絡。そして「鍼灸によるツボへの刺激は人体の『末梢』『脊髄』『脳』の3つの場所で作用して、鎮痛効果を生み出していることがわかっている」「鍼灸によって神経性の炎症を発生させ、あるいは筋肉の緊張をほぐすことで、血管を拡張させ、血流が流れやすくなった結果、痛みの部位にある発痛物質が除去される」「脊髄での鎮痛作用は、ゲートコントロール理論」「脳を舞台とする鎮痛作用は下行性疼痛調節系と呼ばれるメカニズムと、視床下部と交感神経を介した鎮痛」が紹介される。最近注目の耳ツボ治療は米軍で使われ広がっていると言う。
「心とからだを整える鍼灸の最新科学――人体の回復力を引き出すメカニズム」――。鍼灸は痛みを鎮める働き以外にも、脳活動やホルモン分泌、自律神経、免疫など、人体のさまざまな生理メカニズムに作用し調節することがわかってきている。体の冷えの改善や胃腸の調子を整える効果やストレス解消、精神症状を改善する効果などの仕組みが明らかになってきている。ドーパミンや幸せホルモンのオキシトシン、ストレスに対抗する働きをもつセロトニンなどの脳の神経伝達物質を、鍼灸は"あやつる"働きをする。「生命維持に欠かせない自律神経を介して『整える』」「免疫機能を調節するメカニズムにも働きかける」のだ。
一方で漢方薬――「漢方薬は体内で『なに』をしているのか――天然の生薬が生み出す多種多彩な作用」「『人に効く』を科学する――効果・注意点を知る」を章立てし、漢方薬について詳述する。「気力と体力を補う三大補剤――補中益気湯、十全大補湯、人参養栄湯」「風邪などへの葛根湯、麻黄湯」「女性の健康に役立つ当帰芍薬散など」「体の水分を調節する五苓散」「アレルギー反応を改善する小青竜湯」「食欲不振や胃に作用する六君子湯」「胃腸の不調やがん治療で注目される半夏瀉心湯」・・・・・・。馴染みの漢方薬の内容が紹介され大変興味深く、参考になる。
肩こり、腰痛、不眠、ストレス過多、肥満、アレルギー、免疫機能、迷走神経、腸内細菌など、昨今の日常生活における悩める課題に、鍼灸・漢方薬、東洋医学の重要性は増大していると実感する。
思いもよらない奇想天外な展開と、爽やかで眩しい高校青春物語。感動的で素晴らしく、グッとくる。
夏休みも終わろうとする8月末、名門進学校の穂木高校2年の山田が、飲酒運転の車にはねられ死んだ。人気者だった山田の死。悲しみに沈む2年E組のクラス担任・花浦が席替えを提案すると、静まり返った教室のスピーカーから死んだ山田の声が聞こえる。山田はスピーカーに憑依してしまったらしい。そこでなんと「席替え、俺、ずっと前から考えてたんすよ」と、山田が2Eの「最強の配置」を提案する。それから誰からも愛され人気者だった山田と2Eの仲間との会話という不思議な日々が始まる。その会話がなんともくだらない、そして楽しい、「今時の高校生はこういう感じ?」という高校男子の生態が生々しく描かれ、面白い。
山田が死んで声だけになって2ヶ月、文化祭では「山田カフェ」を開いたり、12月24日の「山田の誕生日」祝いをしたり、3月の2年E組最後の日。「山田に、いなくなってほしくない声だけでも、ここにいて欲しい」「山田、お前、幸せだったな」「<はい>山田が力強く答える。<幸せっす> 盛大な拍手に包まれ、2年E組の最終回が閉じる」・・・・・・。そして1年経ち、さらに山田が死んで声だけになり迎えた卒業式・・・・・・。仲間は散り散りになり、山田から離れていく。取り残された声だけの山田の憂鬱が深くなっていくのだが・・・・・・。
ずっと山田を忘れない中学時代からの友・和久津は、山田との接触を図ろうとするのだった。「自分はなぜ生きているのか、自分はなぜ死なないのか、なぜ死ねないのか」――心情を吐露し合う結末。感動のラストシーンに心が激しく揺さぶられる。
派遣先の会社でセクハラに遭い、男の方ではなく被害者・敬子が解雇される。その後、彼女は笑わないアイドル× ×とそのグループに夢中になり、<推し>の日々に没入する。なぜアイドル× ×に、真面目で目立たない敬子が惹かれたのか。この男社会の中で、媚びない、笑わない、挑戦する姿勢に惹かれたのだ。敬子の他に、「おじさん」が作ってきた社会の理不尽と戦う女性たち。カナダで同性のエマと暮らす妹の美穂子、敬子がいた会社で今も働き、あのセクハラ男を倒そうとする歩など、幾人かの女性が戦いに挑む姿を描いている。
「おじさん」は私(女性)を見下す。物のように見る。道を歩いたりしてるだけで性的な存在と見る。女性が怒ると「感情的になるなよ」と小バカにする。自分より低い存在だとマウントを取る。俺様の方が偉いんだぞと思っている。意味不明に威張っている。品がない、醜悪な「悪いおじさん」がいる。女性の中にも「おじさん」がいる。
問題は「おじさん」社会。もっと言えば「おじさんアリジゴク」が形成されてしまっていることだ。女性も流され、合わせ、つい媚びざるを得ない状況に追い込まれがちだ。アイドルはその中で形成される。しかし、アイドル× ×はそのなかで異質だった。
「今の敬子に実感があるのは、『毎日がレジスタンス』だ。抗い続けなければ、どの瞬間にも、『おじさん』の悪意に、『おじさん』がつくったこの社会の悪意に絡め取られてしまう。常に防衛するのが当たり前の『普通の生活』を日々送っている日本の女性たち」「日本社会は、常に女性に制服を課しているようなものだった。女性に『望ましい』とされる服装とメイクが社会通念として存在し、それが人生のどの段階に進んでも、彼女たちを縛った」と描く。
アイドル――「そうやって、女の子たちが成長してしまうと、大人たちは、彼女たちを『未熟さ』のままにすることができません。・・・・・・アイドルグループを運営する立場の人々は、新たに女の子を募集し、各地に新たなグループを作り、『未熟さ』のシステムを長持ちさせようとした」「韓国の女性アイドルは、同時期の日本のアイドルが求められていたような『未熟さ』とは無縁だ」「なぜ恋愛禁止だったかと言えば、アイドル体系を維持する大人たちにとって、女の子たちは商品だったからだ。商品が傷物になると売れ行きに影響する」「× ×たちの楽曲の主なテーマは、社会や同調圧力への反抗、社会における生きづらさ、息苦しさについてだった」のだ・・・・・・。
日本人の男性を基準にして考えられている社会、パワハラ、セクハラ、カスハラが問題となってる社会――。その中での女性の生きづらさと、息苦しさを、本当に自覚しなければならない。
葉室麟の初期の名作。第11回松本清張賞受賞作。テレビドラマ化され最近再聴した。寛政年間、西国の小藩である月ヶ瀬藩を舞台とした3人の男の友情、それも年齢を重ねた漢(おとこ)の命をかけた剛にして直の友情、それを支える女たちの哀切漂う毅然たる姿を描く。感動の物語。
藩の郡方の日下部源五(映画では中村雅俊)、名家老と謳われるまでになった松浦将監(柴田恭兵)、百姓の十蔵(高橋和也)の3人は幼なじみ。二人は同じ剣術道場に通い、その頃うなぎを買った相手が十蔵だったということだ。
源五と将監は40年前、将監の親の仇討ちを共に挑んだほどの友だが、20年前には十蔵を中心として起きた一揆をめぐっての意見で対立、絶交状態になっていた。十蔵は殺され、その娘の蕗(桜庭ななみ)は、源五の下で下働きをしていた。
名声を得ていた将監だが、次第に主君からも疎まれるようになり、暗殺命令があろうことか源五に下される。国替をしても幕閣にのし上がろうとする主君、それを止めようとする将監。暗殺しなければならない源五・・・・・・。将監は脱藩をし、江戸の松平定信に会おうとするのだ・・・・・・。
三人は昔、祇園神社に行き、夜空の星を見たことがあった。「銀漢声無く玉盤を転ず 此の生、此の夜、長くは好からず」(蘇軾)――。「あの一揆の時、十蔵はわしを助けたが、わしは十蔵を見捨てた。十蔵は、そんなわしをかばって、何も言わずに死んだのか」と、将監は言う。「十蔵は、お主の友だったのだ」と源五は言い、天の川を眺めながら「銀漢とは天の川のことなのだろうが、頭に霜を置き、年齢を重ねた漢も銀漢かもしれんな」と思う。「脚力尽きる時、山更に好し」(蘇武)――「人は脚力が尽きる老いの最中に、輝かしいものを見ることになるのだろうか」と描く。
担当編集者が、「葉室さんがよくおっしゃっていた言葉は『負けたところからが人生』『人生も後半に差し掛かったとき、その悲哀を越えでゆく生き方があってほしい』」と言っている。