「元自衛隊現場トップが明かす防衛行政の失態」が副題。元・海上自衛隊自衛艦隊司令官(海将)の香田洋二氏が防衛省に対し、直言する。防衛費の増額が進められているが、「防衛力を強化するために最も大事なことが忘れ去られている。シビリアンコントロールが機能していないという現実だ」「それは、政治家が軍事的素養を磨き、現場の声に耳を傾けて初めて機能するシステムだ」「政治家が軍事の現場を知ろうとせず、また防衛省・自衛隊の内部では背広組の官僚が幅を利かせ、現場を預かる制服組の自衛官の意見が反映されにくいシステムにメスを入れなければならない」と言い、防衛省と自衛隊(背広組と制服組)との連携不足、官邸が省内人事を握る弊害、「国産」信仰の間違いなどを、具体例を挙げ厳しく指摘する。
「イージスアショア問題が浮き彫りにした防衛省の独善」はその最たる例で、「当初陸上配備を想定していたイージスアショアが、よくわからない経緯で、現在のイージスシステム搭載艦に変わった一連の騒ぎ」「この検討はミサイルの専門家である各幕僚監部の参画はほとんどなく、内局だけで決定したと言われている」「より高額になるかもしれないので、計画時には盛り込まれていなかった極超音速兵器対策として新たなミサイルを搭載することにしたのではないか」と所見を述べる。また、「防衛費1%枠文化」を変えなければ防衛力強化はおぼつかないとし、「防衛力は『正面装備』『後方』『教育・訓練』の三本柱が大事」なのに正面装備に偏り、例えば弾薬等が削られ続けてきたと指摘する。「『文民統制』ではなく、『文官統制』のDNAがなかなか消えない。イージスシステム搭載艦の導入も、ヘリコプター搭載型護衛艦『いずも』の空母化も制服組の意見が入っていない」「手初めに官房長、局長クラスに制服組あるいは制服組OBを登用してはどうか」「インド洋に海上自衛隊艦艇を派遣するにあたり、イージス艦の派遣を予定していたが、イージス艦は攻撃的で危ないという誤解があり、当面見送りとなった。イージス艦は守りを専門とする防空機能に優れた船だ。自衛隊制服組による国会答弁を行い、専門的議論を深めるべきだ」「不可解な12式中距離地対艦誘導弾射程距離の延伸」など、「元ミサイル撃ち」の香田氏の舌鋒は鋭い。
さらに憲法改正が重要だとし、「防衛出動が発令されていない段階で自衛隊が手足を縛られたままであるならば、自衛隊と米軍が共同行動する場合に、自衛隊が足手まといになる」「日米合同司令部がないという怖さ」等についても述べる。
「防衛力強化」「GDP比2%」論議の、まさに中身を徹底的に論議し、説明責任を果たせとの訴えはおろそかにはできない。
宮城谷昌光氏が、自らの著作の中で「最も気に入っている」と言っている作品。末尾で解説をしている藤原正彦氏が「本書は小品ながら、とりわけ完成度が高く、宮城谷文学の魅力が存分に溢れる、後世に残る名作なのである」「氏の真骨頂たる繊細な美的感受性が横溢している。詩のような、淡い色調の水彩画のような小説である」「氏の『風』はやはり視覚的イメージであり、優しい響きの中に、人間の意思を超えた運命の力とか生の儚さがにじんでいる」と述べている。
漢王朝の時代の荒れはてた河北の観津の地。貧しい名家・竇家に、美しい娘・猗房、その兄・建、弟の広国がいた。ある日、郷夫老が訪ねてきて「このたび、皇室におかれては、全国から名家の子女を集め、皇宮において養成なさるとのこと」と、猗房を推すことになったと言う。そして猗房は王室に入るという驚くべきことになる。宮廷では呂太后が過酷に君臨していた。運命は、幾多の困難をものともせず、大いなる変転の後、猗房を皇后にまで引き上げる。一方、広国は、猗房が長安へと発ったその日に、人さらいにさらわれてしまっていた。これも運命か、ニ人は感動的な出会いをするのだった。
人と人との出会い、縁の連鎖、不思議な人間の運、そして運命。「猗房は老子が好きであった」「老子は弱いものの側に立った哲学である。弱い者とは庶民であり農民である」「『上善は水の如し』と老子はいう。最上の美徳とは水のようなもので、水は万物をうるおしながら万物と争うことをしない。しかも水は人の嫌がる低地へ流れこむ。人のためになり、人と争わず、人にへりくだる。人格をみがくということは、水をみならうことである。猗房はくりかえし自分にいいきかせた」・・・・・・。老子の思想が天命へと流れていく感動的な作品。しかも描写は、簡にして明、そして鮮、とぎ澄まされて美しく、たおやか。風とともに風景が浮かび、通い合う心が切ないほど迫る。広国と藺の出会いと再会もいい。「広国は立った。臣下も立ち、目を刺すような陽差しのなかに吸いこまれていった。馬車の走り出す音がきこえた。女は顔を上げた。藺であった」「嘘のような、夢のようなことが、現実であった。その人が自分を探しつづけていてくれたことが、どういうことであるのか、藺にはわかりすぎるほどわかった。自分の胸を自分の手でなだめなければ、痛みのとまらないようなせつなさを覚えたことは、奇妙なことにいまが生まれてはじめてあった」・・・・・・。
ロシアのウクライナ侵略から1年――。「プーチンの戦争」とも言われるが、なぜロシアはウクライナを侵略したのか、プーチンの思想と行動は、いかなるものに基づいているのか。戦略や戦況ではなく、ロシアとウクライナが歩んできた歴史的な背景と宗教観・民族観、この地域が間歇泉のように「文明の衝突」として吹き上げてくる場所であることを解説する。あまりにも複雑な歴史に翻弄されてきたことがわかる。しかもあたかも地震におけるプレート理論を想起させる。「ロシア正教とカトリック、そしてイスラムという文明の『断層線』で起こった戦争だ」と言っているように、軍事的・経済的・宗教的・民族的に衝突する地であることがわかる。
「そもそもの発端は、2014年2月に起こったNATO拡大派主導のマイダン革命と、これに反発したロシアによる『クリミア併合』まで遡る。この時マイダン革命という事実上NATO勢力が誘発したクーデターに驚いた東ウクライナでは、ロシア語話者の多い東部ドンバス地方で2つの共和国(ドネツク人民共和国、ルガンスク人民共和国)が反乱を起こした。以来、ウクライナとロシアとの間に火種を残し、それが現在まで続いている(ミンスク合意I、ミンスク合意Ⅱもあったが)」・・・・・・。さらに遡れば、「プーチンはウクライナの占領が目的ではなく、2008年にロシアを一義的には仮想敵と決めつけてきたNATOが、同国にまで拡大してきていることに問題があると言っている(NATOの東方拡大問題)(ウクライナとジョージアのNATO加盟を議題とした米国)」・・・・・・。また、「言語も文化も違い東スラブの3ヵ国、ウクライナとベラルーシ、ロシアは三位一体とするプーチン」「ウクライナの西側はカトリック系ポーランドとの関係が深く、東側はロシア語圏で正教的でロシアとの結びつきが強い」・・・・・・。ウクライナは、国内においての宗教・民族問題だけでなく、軍事的にも政治的にも欧米とロシアに引き裂かれ続けてきたという。加えて、「今回のプーチンによるウクライナへの軍事侵攻については、ロシアの歴史的・文明論的・宗教的なアイデンティティーの問題が深く絡み合い、『第三のローマ』を目指し、東方志向を抱くプーチン・ロシアに対し、我々はどう対処していけばいいのか」と問題を投げかける。
さらに遡れば、1991年、ソ連崩壊と侵略兵器管理のための法的共同体C I S(独立国家共同体)が結成され、ロシアは「ポスト・ソビエト空間の再統合」と位置づけたが、ウクライナやモルドバなどの独立国は「旧ソ連地域の各国がロシアと円満に離婚(文明的離婚)するためのもの」と考えた。ユーラシアにおける民主化革命、オレンジ革命からマイダン革命に至る不安定な変遷だ。本書は、歴史・宗教・地政学から説き起こし、「なぜロシアは、ウクライナへ侵攻したのか」「宗教・歴史からロシアを読み解く」「分裂するウクライナ」「プーチンの素顔」「ロシアとCIS」「これからの安全保障体制」を章立てして解説する。よくぞ新書でと思うほど濃密な内容だ。
「ロシアはG8を追放された代わりに、BRICSやG20など多極化世界で生きる道を選んだと言うことだ」と、大変危惧しているように、「この『兄弟殺し』の戦争がユーラシアの分裂、つまりヨーロッパとアジアとに分けるとしたら、ことは両国間にとどまらず、ユーラシア全体のグローバル市場や安全保障の構造を分断していく」「バイデン政権が世界を『民主主義と専制国家』に分断させたことで、多くの開発独裁的な権威主義体制はプーチンの陣営へ結果的に引き寄せられた。今やG20が分裂し、新G8がG7と対峙していることはこの数年顕著となっている」と述べている。いかなる歴史や宗教・民族問題があろうと、生命を奪う戦争は絶対にあってはならないことだ。1日も早い停戦を願うとともに、このことで起きている世界政治の変化を見逃してはならない。
人生、もがけばもがくほど落ちていくことがある。悪縁が悪縁を呼ぶ宿命の罠だ。「いったい自分は何のために生きているのだろう」との寂寥感のなか、「人の優しさ」に吸い寄せられていく。
2020年の春、惣菜店に勤める花は、小さなネット記事で、吉川黄美子の名前を見つける。同居していた若い女性を監禁し、暴行を加えていた罪に問われていたというのだ。「あの黄美子さんが捕まった」――花は震える。今から20年も前、家出をした花は、黄美子と一緒に暮らしていたのだ。それに訳ありの女性ニ人、蘭と桃子が加わって疑似家族のように暮らしたが、まっとうに稼ぐ術を持たない花たちは、懸命に貯めた金も奪われ、しだいに非合法な金儲けに手を出してしまう。偽造カードによる引き出しだ。歪んだ共同生活は感情のもつれもあり、瓦解していく。
生きるためには金が必要。もがいてももがいても転げ落ちていく。貧困の蟻地獄に、追い詰められていく様子が辛い。「ねえヴィヴさん、なんで急にいなくなれるの、ねえ花、死にたいのはいつも貧乏人、金をもつと命が惜しくなるんだよ、でも金はどんな人間よりも長生きだ、ねえヴィヴさん、ねえ黄美子さん、黄色は金運、幸福の色、黄美子さんの名前にも黄色、そう、西に黄色、わたしたちを守ってくれる、黄色は私たちの幸せの色――そこでわたしは目が覚めて汗だくになった体を起こす。真夜中。」・・・・・・。人生のボタンをかけ間違う姿。人生の下り坂には、落ち目には落ち目の縁を拾う姿。暗きより暗きに入る姿が描かれる。しかし、頑張り抜いて普通に生きていく、戻っていく時、昇りゆく太陽とはいかないが、金と黄色ではない夕陽の光に包まれる結末にいささかほっとする。
「自立した女性」「波瀾万丈の人生」「戦前、戦後――激動の20世紀を全身で受け、全力で生き抜いた凄い女性」「我が息子に限りない愛情を注いだ母」――。軍事アナリスト小川和久さんの母・小川フサノさんの一生を描いた伝記。その凄まじさに驚く。激動の20世紀日本が、そのまま人生に投影されている。小川和久さんと私は、同じ昭和20年生まれ。平和や昭和が私たちの同級生の名前には付けられている。何か祈りのようなものが、我々の誕生には込められているような気がする。しかし、それにしても小川和久さんのお母さんはケタ外れに凄まじい。想像を絶する苦難に、毅然と突き進むまっすぐの生命の姿勢に感動する。
1903 (明治36)年生まれ。13歳にしてブラジルに移民として渡る。「移民小屋は家畜と同居」「移民は棄民」。頑張り抜いて「タイピスト修行」「ダンサーとして、『私はブラジル育ちのアマゾンおケイ』」・・・・・・。そして21歳、祖国日本に帰る。「横浜山下町でカフェ『タンジー』繁盛」。しかしさらに東洋一の大都会・上海に向かう。26歳。その上海で「母の人生を決定づけた3人の外国人と出会う。在日華僑で南京政府の要職に就いていく陳伯藩、結婚間際までいきながら結ばれなかったアメリカのキャリア外交官ロバート・ジョイス、ひょんなことで日本語を教えることになったオーストリアの名誉総領事エルンスト・ストーリである」。そこでの人脈はすごい。働き、運もあって相当の資金を得る。
そして再び日本へ、31歳。日本は昭和恐慌、2.26事件、軍靴の音がひびく。「渋谷鉢山町44番地」「アパート経営」「女の実業家として目を引く」・・・・・・。しかし、「憲兵政治の魔の手」「東京大空襲」「熊本への疎開」、そして終戦。日本人は「戦争で何もかも失った」が、我が家のように田舎暮らしではなく、東京・横浜・鎌倉を本拠地とした小川さんの母子の大変さはいかばかりであったか。激動の20世紀――歴史に今なお顔を出す著名人、そして事件と交差する小川フサノさんの凛とした生き様は感動的だ。