「アンパンマンとぼく」が副題。「絶望のとなりに だれかが そっと腰かけた 絶望は となりのひとに聞いた 『あなたはいったい誰ですか』 となりのひとは ほほえんだ 『私の名前は希望です』(絶望のとなり)」――。「一寸先は光」というのが嵩のモットーだった。「どんなに深い闇でも、目をこらせば光はある。生きるということを肯定し続けた生涯だった」と、やなせたかしを「先生」と仰ぐ梯久美子さんは言っている。
NHKの朝ドラの「あんぱん」は、妻となる暢の「ハチキン」「韋駄天おのぶ」が中心となり、母に捨てられ、孤独と屈折する感情の無口で気真面目な嵩が描かれているが、本書は99%がやなせたかし。父と母、伯父の家、青春の日々、軍隊へ、徴兵されて中国へ渡り、戦場で飢えを経験、弟千尋の戦死、売れない仕事、そしてアンパンマンに託した嵩の思いが丁寧に描かれる。
「(中国の地に足を踏み入れた嵩)支えになったのは、日本が正義の戦いをしているのだという思いだった」――。しかし、敗戦とともに信じてきた「正義」が突然ひっくり返る。そして「ある日を境に逆転してしまう正義は、本当の正義ではない」「正義の戦争などというものはない」「勝った側は百%正しかったのか。そうではないはずだ」「正義のためなら死んでも仕方がないと思っていた自分は、いったい何だったのだろう」・・・・・・。そして「ひっくり返ることのない正義はあるのか」「もし、ひっくり返らない正義がこの世にあるとすれば、それはおなかがすいている人に食べ物を分けることではないだろうか」と悟るのだ。
優しい言葉で「アンパンマン」「手のひらを太陽に」、雑誌「詩とメルヘン」を創刊して30年間も編集長をつとめる。苦難ばかりが押し寄せるが、誠実に懸命に生きたやなせたかしの祈りと哲学が語られる。こんなまっすぐな人生を歩むことができること自体に感動する。
荒川放水路が通水して100年――。記念するシンポジウムが6月1日、岩渕水門(荒川と隅田川を分ける水門)、国土交通省荒川下流事務所のある東京北区で開催されました。
現在の荒川である荒川放水路は、明治43年の大水害を契機に抜本的な洪水対策として建設された人工の河川。1924年(大正13)の通水からちょうど100年が経過。荒川と隅田川が岩渕水門によって分岐し、東京東部・埼玉南部の低地帯を守ってきました。この荒川放水路という大河川を計画し、建設したというのは凄いこと。しかも人力。短期間(昭和5年に全て完成)。想像を絶する歴史的大偉業と感嘆します。
この日のシンポジウムでは、「これまで1度も堤防が決壊することがなかった」「洪水を防ぐため現在、上流に第二、第三調節池を整備している」などの国土交通省関東地方整備局から報告があり、「浸水と親水〜まちづくり〜」の講演(加藤孝明東大教授)、パネルディスカッションなどが行われました。私は「荒ぶる川の荒川は、徳川家康による利根川の東遷、荒川の西遷から始まる。100年前の荒川放水路建設は人力を結集した民衆の凄い力によるもの。今は第3の節目。洪水防止、親水まちづくりに皆で力を注ぎたい」と一言挨拶をしました。多くの人に来ていただいた良いシンポジウムとなりました。
この日は、豊島区、目黒区などの会合にも参加させていただきました。
「能力・探求・ウェルビーイング」が副題。AI・デジタル化は社会を激変させている。デジタル、グローバル化などのなかで、世界各国とも教育改革を加速させている。AI ・デジタル化、少子化、教員不足、いじめ・不登校、過重なカリキュラム、激しい中学受験競争、外国人増加などのなか日本の教育の課題をどう克服していくのか。国連やOECD、ユネスコなどの国際機関に直接関わり、文科省の教育行政の真ん中にいる著者が、「これからの教育はどこへ向かうか」「あるべき教育、学校の未来を探る」を真正面から語る。きわめて有意義な著作。
「変わる世界の教育」――。なんといっても、デジタル化の影響だ。デジタル・スキルとコミュニケーション能力や協働性が求められる。注目されるのは「オンラインでできないのは結婚と離婚だけ」というエストニアだ。PIS A(読解力、数学的リテラシー、科学的リテラシーが対象)でも、エストニアは好成績。フィンランドは低迷、トップに踊り出るシンガポール(人材育成こそ国の存立の基盤を理念)、日本も2022年ではそれぞれ3位、5位、2位と良い。現在は20年前と大きく変化しているのだ。教師不足も世界共通。AIや半導体で国際的な人材の争奪戦が行われているが、教師の世界でも「国際的な人材獲得競争」が起きていると言う。教師の移民の加速、日本への英語教師も急増していると言う。逆に日本が想定してこなかった教師の国外流出のリスクが高まると指摘する。いちど辞めた教師の復職もこれから増える。
「教育は何を目指すか」――世界的に、経済成長モデルが限界になり、人間重視の世界観へ進む。SDGsはその象徴。OECDが提案したウェルビーイングが中心となる。個人の尊厳、人間尊重のよりよく生きる社会への立ち返りだ。学校生活と余暇のバランス、ワークライフバランスは子供たちにとっても大事だ。世界的に見ると「日本の子供たちは疲れている」ようだ。子供たちの立場に立っての学校教育の課題が見える。
「『主体性』を捉え直す」――。「重いランドセル問題」は子供たちの声(主体性)を聞いていないのではないか。「『やらされ感』のある学習から脱却し、学問の面白さや意義を自分ごととして理解していくようになること、それが『主体性』を育んでいくための正しいアプローチではないか」と言っている。
「子供たちに求められる『能力』とは」――。コンピテンシーの重要性が大事だ。単なる知識ではなく、対立を処理する柔軟性ある総合判断力のリーダーシップといえようか。世界はコンテンツ主義を脱し、コンピテンシー主義に舵を切る。「認知能力」偏重から「非認知能力」重視への方向だが、そこでの教育は「リスペクト、責任感、粘り強さ、正直、共感、誠実」などの価値観が重要だ。
「『探求』の再検討」――。大事なのは「題材やテーマがどのようなものかということではなく、探求のプロセスが回っているかどうか。子供たちが探求の方法論を身に付けているか」と言う。「シンガポールがカリキュラムの削減を進める上で、生徒だけでなく、教師に対しても『ゆとり』を作ることを徹底してきた」とシンガポールの成功の理由を述べている。「探求」におけるコーディネーターとしての教師の役割の重要性だ。
「何をどこまで学ぶべきか」――。「広さ」と「深さ」は、トレードオフにあり、科学の発達や社会の複雑化に伴って、カリキュラム・オーバーロードが避けられない。面白いのは「PISAにおいて、各国の生徒の金融リテラシーを分析したところ、金融リテラシーのスコアと金融リテラシー教育の実施状況と間には明確な関係性が見られなかった」「数学的思考方法に熟達していて、確率やリスクなどの概念を十分に理解していると、金融に関する問題であっても、既存の知識を応用することがある程度できる」ようだ。各学問分野の重要な概念や考え方、思考パターンなどに焦点を当てるアプローチが注目されると言う。改善には工夫がいるわけだ。
「これからの教育はどこへ向かうか」――。ニュー・ノーマルの教育像を示す。①教育システム②学習③教師、生徒の関係――それぞれ改革の動きは不断に進めなければならない。「未来の学校はどうなるか」――OECDはこれからの学校のシナリオとして、「現在の延長線上にある学校」「アウトソーシングが進んだ学校」「地域ごとの特色化が進んだ学校」「融解する学校」の4つを示している。地域ごとの特色化というが、スティーブ・ジョブズ、マーク・ザッカーバーグなど、有名企業の創業者たちは、いずれも大学を卒業していないというのは面白い。「融解」は、従来型の学校モデルではなく、AI、VR、IoTなどの進む段階で、そもそも学校という形が重要なのかどうかが問われてくる。
しかし、これらの変化の中で、変化を踏まえた「学校の普遍的な役割」はより大きいと指摘する。全く同感である。そして不断に検証、改革をし続けることだと思う。
「昭和人間である自分自身をどう取り扱うか。そして周囲の昭和人間をどう取り扱うか」のトリセツ。大阪万博が開催されるなど高度経済成長の絶頂期だった昭和45年を境にして、前期昭和人間と後期昭和人間が分かれると言う。確かにモーレツからビューティフル、高度成長から安定成長など時代は変わり、時代の空気も変わった。
そして今――。「おじさんLINEに潜む、昭和男性の寂しさと姑息」――若い女性に相手にされるわけがないのに、自分本位な勘違いだし、おばさんLINEの「絵文字のチカチカは昭和女性の秘めた心のきらめきか(昔のぶりっこの呪縛か)」と言う。今やLINEの文章の最後にマルをつけると「怒っているように感じる」と「マルハラ」が話題となる。著者は「無理に若者にすり寄って、自分の流儀を変えるのはリスクが大きい」と言う。
「草食男子などと言われたのは15年前、もはや草食であることが当然」「下心に満ちていた昭和人間のデートの時代ではない」と言い、一方では、古過ぎて面白いから(貫禄や知性らしきものを示すことができるから)、「お先にドロンします」「許してちょんまげ」「恐れ入谷の鬼子母神」「そんなバナナ」「当たり前だのクラッカー」などを使うのも良いとそそのかす。著者はしたたかだ。
「自分たちにとっての昭和は『ついこのあいだ』だけど、若者にとっての昭和は想像以上に『はるか遠い昔』である」ことを知るべきだ。「日本はすごい国」というのは過去の栄光で、そんな刷り込まれた感覚で話をするのは「過去のモテ自慢」と同じと切り捨てる。また昭和人間は「お酒との『腐れ縁』をなかなか切れない」「一緒に飲んだ方が距離が縮まると思い込んでいる」と指摘する。
「昭和人間の仕事観と若者の仕事観の違い」「時代によって大きく変わる『マナーの常識』」に触れつつ、著者は「『無難な正論』しか口にできない世の中にしてはいけない」とも言う。
「昭和人間とジェンダー ――男らしさ・女らしさという呪縛」――。この変化は、大事なことだとと思う。「共働き共育て」「人権を大切に」の時代が進み、「『女はこうあるべき』と昭和の刷り込みが顰蹙を買うのは当然だ。「男はこうあるべき」への呪縛も、様々な悲喜劇を巻き起こすことを紹介する。
最後に「『老害』にならないために」――。「自分が若くないことを認めるべき。まだまだ若いという勘違いが『老害』につながる」と言う。そして急速なネット社会。「ネットが生み出す『正義過敏症』『批判恐怖症』」「誹謗中傷に熱心なのは中高年というデータも」「『自分たちは賢いけどあいつらは馬鹿』の罠」「ネットは『楽しいけど信用できない友だち』みたいなもの」「昭和人間は、若い頃より確実に『自分の非を素直に認める』という行為が苦手になっている」「歳をとると仕事や子供など『自慢したい欲』が膨らむ」と自制を促す。
昭和の文化や価値観をたっぷりインストールされている昭和人間が、これからの大人ライフを楽しく実り多いものにするため、終わりのない「良い大人」への旅を続けましょうと語る。
庶民の手が届かない異常な住宅価格の高騰。今、何が起き、「2030年、不動産市場に何が起こるか」を解説する。「私たちは今、不動産市場の歴史的な転換点に立っている」と言う。
「これから不動産市場を揺るがす7つの変化」――。「(1)少子高齢化・人口減少が一段と進み、コンパクトシティが誕生へ」「(2)金利はじわり上昇、ローンを組む人にはかなりの負担だが、都心の一等地では住宅価格は大きく下落しない」「(3)外国人投資家の参入は増える」「(4)在留外国人の増加が加速、やがて10人に1人が外国人」「(5)好立地マンションはさらに価格上昇」「(6)住宅ローン控除の制度が変更される可能性。優遇がなくなり、利上げ局面となると都心一等地以外の住宅価格は下落も」「(7)地方にもタワマンの波」の7つを指摘する。
「異次元の『三極化』時代がやってくる」――10〜15%は価格維持か上昇、85〜90%の土地の価値は下がり続ける。高騰するのは「都心」「駅前・駅近」「大規模」「タワー」。地方都市も駅前・駅近は上がる可能性。首都圏では「国道16号の外では売るのも貸すのも難しくなるようで、国道16号は不動産業界でルビコン川と呼ばれる。新築マンションは高嶺の花、買うなら中古が当たり前になると言う。
「自治体格差が浮き彫りになっていく」――。千葉県流山市は、つくばエクスプレス、駅前再開発、子育て世代の支援で成功事例。
「買うなら中古が当たり前になる」――。「細かい間取りの3 LDKは売りづらくなり、広いリビングルームのある1LDKや2 LDKへ」と傾向を指摘。その中古マンション選びは「管理」が決め手になると強調する。高齢化や空き家が多く管理組合が機能しないとか、長期修繕計画がずさんなど管理に問題のあるマンションは避けるべき。当然、外壁の剥落やセキュリティーに問題があるものはダメ。
「戸建の需要は全般に下落する」――。広さより利便が優先される時代。駅から遠い戸建は厳しい。郊外では依然として戸建が強いが、立地の見極めが重要になる。これからは省エネ性能の求められるZ EH(ゼッチ住宅)やLCCM住宅の時代。耐震補強、セキュリティー、水害対策に劣る戸建は価値を維持しにくくなる。
「住宅ローン金利はじわじわと上がる」――。住宅ローン金利の利上げ幅が大きくなれば、持ち家率は低下する。故に、必然的に賃貸住宅に住む人の割合は上がる。「不動産投資をして物件を貸したい人には追い風が吹くかも」「不動産投資は立地が良ければ視界は良好」と言っている。
「2030年、『地価が上がる』地域」として、江東区・住吉駅周辺、西東京市・田無駅周辺、神奈川、埼玉、大阪、福岡、熊本各府県の地域を具体的に紹介している。