欧米などの世界は、移民と格差を背景にしてポピュリズムが広がり、それにSNSが加わり不安定な政治が続いている。「アウトサイダーポリティクス」とか、「デジタルポピュリズムの時代」と言う人もいる。本書のキーワードは、「右派ポピュリズム」の潮流だ。
「参政党の集会に見られる熱狂と対立の風景はそうした危うさを如実に物語っている」「主張の実証的な裏付けがなければ、それらの言葉は独り歩きし、結果として排外的な感情や差別意識、あるいは根拠の乏しい迷信を助長する可能性が高い」と危機感を抱く。そして、「この悲劇の歴史(第二次世界大戦)が教えるのは、孤立よりも協調、迷信よりも科学、武力よりも経済、そして過剰な精神主義よりも、物質的な豊かさの追求であるという明確な教訓である」・・・・・・。そこに日本では、「反戦」と「協調」、そして「経済重視」の吉田茂以来の「保守本流」があったとする。しかし今やこれとは本格的に異なる「異形の保守」、つまり「右派ポピュリズムの潮流」が形成・拡大してきたとする。それは、「小沢一郎による政治改革」、「小泉純一郎による構造改革」、「安倍晋三による初期政権」を経て、「日本の政治を支配し続けている」と指摘する。
「安倍晋三の『遺産』」「『新たな保守』の正体」「戦後レジームと岸信介」「保守本流の崩壊」「アベノミクスと奇跡の復活」「歪められた言語空間」「保守の終焉」を現場記者の目で論述し、終章として「戦争実感の喪失と警鐘」で、「勇ましく、強くあれと叫ぶ『右派ポピュリズム』に煽られ、平和主義や反戦を『卑怯』と貶める勢力が台頭することに、なかにし礼や野中広務は抗った。戦争の醜さを知る彼らは、生き残ろうとする人間は、時に等しく『卑怯』となることを知っていた世代だ」と言う。また一方で、「左派ポピュリズム」が支持を失う現実、また「バラマキポピュリズム」に堕すことを批判する。
「線をひくのはだれか?」が副題。「法令を作るときは、どうしてもどこかで『線引き』をせざるを得ない。それが本当に妥当なものかどうか、常に問い続けることが必要なのではないか」「また、私たち自身も、無意識のうちに自分の心の中で『線引き』をしていることがあるのではないか」・・・・・・。本書は、国籍やルーツとアイデンティティー、ステレオタイプと差別意識、「線引き」と「当事者」の意味について、様々な背景を持つ6人との往復書簡・対話を交わす。在留外国人が増えている現在の日本にとって、大事な気づきをもたらす貴重な著作。
「自分が『日本人』でないことを最後まで明かさなかったお父さんを持つ安田菜津紀さん」「ドイツと日本の『ハーフ』で、どちらかひとつには決められない複雑な事情、心情について語るサンドラ・ヘフェリンさん」「イラン・イラク戦争の最中に孤児となり、8歳の時に、義母と2人で日本に来て、俳優・タレントとして活躍しているサヘル・ローズさん」「祖国ミャンマーの政府によって、国籍を奪われて『無国籍』となり、難民として日本に来たロヒンギャの長谷川留理華さん」「子供の頃、在日コリアン2世のお父さんが『国籍』を理由に差別的な扱いを受けて激怒したことを鮮明に覚えている金迅野さん」「フィリピンと日本の2つのルーツを持ち、大阪の被差別部落で生まれ、無戸籍・無国籍児から8歳で、『日本人』となった三木幸美さん」の6人。
私たちの多くは、自分の国籍を意識することは日常的にほとんどない。だが本書を読むと、いじめや差別に会い続け、国籍を意識して生きざるを得ない人たちが、懸命に生きていること感じる。「国籍を障壁にしてしまういちばん根本的な原因は、人々の中にある『偏見』だと思う(木下)」「三度以上、難民申請をしている人々は、強制送還の対象となり得る仕組みとなってしまった(安田)」「ひっくり返したい『見た目』の思い込み・・・・・・。多くのハーフは、成人後も日本及び外国の国籍を持ち続けている。このような複数国籍の人について、日本では『ずるい』と感じる人が多いようです。国籍をひとつに絞ればというのは乱暴な発想。ドイツでは全面的に二重国籍が認められるようになった(サンドラ・へフェリン)」・・・・・・。2015年時点で国連の194か国中142か国が複数国籍を認めている。
「日本で生まれ育っていても、国籍がないことで今も不自由な思いをしている隣人が近くにいるかもしれない。法務省は、無国籍の人が約480人というが.もっと多くの『無国籍』の人が今、日本で暮らしている。私が思う国籍とは『個人の尊厳』だと思う。必要なことは『無関心』スイッチをどう『関心』スイッチへと入れ替えるか(サヘル・ローズ)」「今、『善い外国人』と『悪い外国人』のニ分化した捉え方がある(三木)」・・・・・・。
「見た目で判断される世の中はいや。私は23年間無国籍で生きてきた。マイナンバーカードは、外国人、日本人差別なく発行されるのでとても良い(長谷川)」。ロヒンギャの大変さが伝わってくる。
「『頭の良い人には、わからない』----。頭ではなく、からだを動かさないと、他者の痛みを本当に理解することはできない(木下)」「『傷』の自覚と『出会いなおし』の希望。経験に根ざす痛みのセンサーをわかち合うことが重要(金)」・・・・・・。
攻撃性を持つSNS時代――「痛みのセンサー」「個人の尊厳」に立脚することがいかに大事かが伝わってくる。「多文化共生社会」は表面的なスローガンではなし得ない。
「成功する経営の軸は経営者自身の理念と哲学、信条にある」「経営者自らが一人の人間として人生理念を確立し、会社の理念を最も体現していくことだ」――。「『働きがいのある会社』ランキングで7連連続ベストカンパニーに選ばれた人材教育会社等のアチーブメントグループCEOの青木仁志氏の哲学・理念が語られる。
「私は愛・誠実・感謝を人生理念に定めている」「世界中で営利主義が蔓延し、あくなき利益の追求に傾斜しているが、企業で働く人、お客様、取引先、業界、地域社会といった縁ある人を幸せにする人軸経営こそ重要」と言っている。伝わってくるのは、経営者自身の「人生理念(青木氏の言う愛・誠実・感謝)」の確立と、そのぶれない軸としての企業理念の会社全体への浸透・確立。どこまでも社員を大事にし、社員の働きがいを生きがいにするという覚悟。社員たちが、良好な人間関係を構築できる環境作りに注力するのだ。その意味で「人の心を知る経営者だけが成功する」と言う。企業理念を会社・組織のビジョンとし、目標を設定、戦略的に計画化、そして日々の実践へと具体的に落とし込んでいくのだ。人の幸せとは「5つの基本的欲求(生存、愛・所属、力、自由、楽しみの欲求)」だ。
鉄鋼王アンドリュー・カーネギーの墓碑には「己よりも優れたものと共に働く技を持つ者ここに眠る」とあり、「彼の成功を支えたのは、数多くの協力者の存在だった」と言う。著者は23歳でナポレオン・ヒル著の「成功哲学」に大きな影響を受け、「人々を成功に導くことができる偉大な能力開発のスペシャリストになる」というビジョンを描いたと言う。また、アメリカの精神科医ウィリアム・グラッサー博士が提唱した「選択理論」と出会い、「私の生い立ちが『不満足な人間関係に起因する不幸』そのものであったことに気づいた」と言う。また本書の随所に、松下幸之助の経営哲学が紹介されている。アンドリュー・カーネギー、ナポレオン・ヒル、ウィリアム・グラッサー博士、松下幸之助等を実践的に学び抜いた経営哲学、人生哲学が本書にゆるぎないものとして開示されている。
経営者に留まらず、組織のリーダーとしてのあり方を、具体的に示し、展開している本書は筋の通った多くの示唆を与えている。
歴史に名を残す偉人名将であっても陥りがちな罠。なぜ英雄たちは敗れたのか、その「失敗の本質」を解明する。歴史は「勝者の歴史」となりがちだが、本書は通説や誤りを指摘、掘り下げ、その人物の本質を抉り出しているのが特徴。
3つに分ける。まず「現場主義・プレーヤー型」。源義経、西郷隆盛、山本五十六の3人をあげる。「源義経」――。「頼朝と義経の決裂の決定打は『腰越状』とされるが、その逸話は後世の創作」「後白河と義経の結合は、頼朝の目には、後白河が独自の武力を持とうとしているように、そして義経が頼朝の統制から離脱しようとしているように映った。ここに両者の関係は修復不可能になった」「義経の錯誤は会社の肩書があるから仕事ができていたことに気づかなかった。あくまで『現場の人間』」・・・・・・。
「西郷隆盛」――。「征韓論」とは何であったのか論ずる。「無計画な西郷」「征韓論にせよ、西南戦争にせよ、西郷が無謀な行動に走ったのは、同志である鹿児島士族を見捨てられないという心情に支配されていたからである」と言う。
「山本五十六」――。「対米開戦に反対の立場でありながら、真珠湾攻撃計画に熱中していった」「連合艦隊司令長官の職についている以上、職掌外の業務である政治に介入することはできない。特に海軍には、軍人は政治に口を出さず、己の職分を全うすべきの伝統があった」「ミッドウェー海戦で敗北への転換点。兵力分散の愚」・・・・・・。連合艦隊は、本社・本部(軍令部)と現場(機動部隊)の間に挟まれた中途半端な組織だった。「大作戦を破綻させたコミュニケーションの欠如」を指摘する。
次に「サラリーマン社長型」として、明智光秀、石田三成、田沼意次の3人を上げる。重役や補佐役として、有能だった人物がトップに立つとうまくいかない。「明智光秀」――。「三日天下を招いた決断力不足」とする。黒幕説がいくつもあるが、足利義昭黒幕説、徳川家康共謀説などを否定する。要は「決断力不足」。
「石田三成」――。最大の敗因は「組織作りの軽視」」とする。「家康の虚をついた挙兵」であったが、「増田長盛・長束正家・前田玄以の大阪三奉行は家康からも重用されており、家康に反逆する動機を持っていなかった」・・・・・・。そして「岐阜城陥落と毛利輝元の思惑」「問鉄砲はなかった。小早川秀秋は即座に裏切った」と言う。西軍は「石田・毛利連合政権」で、意思決定に多くの時間を要する弱さを持っていた。三成はワンマン社長に仕えていた優秀な部下だったが、脆弱性を持つ西軍のリーダーたりえなかったのだ。
「田沼意次」――。最近のリフレ派による再評価は過剰だとする。型破りの人物ではなく、むしろ官僚的で腰が低く根回し上手。拝借金の停止、蝦夷地開発も印旛沼干拓も失敗。「官僚の枠を超えられなかった改革者の限界」と言う。
3つ目は「オーナー社長型」――。後鳥羽上皇と織田信長の2人をあげる。「後鳥羽上皇」――。承久の乱の画期的なこと、それに対して、北条義時の勝因は何かを解説する。「最大の敗因は、朝廷・上皇の権威を後鳥羽上皇が過信したこと」と言う。
「織田信長」――。「部下の謀叛を招いた『ブラック企業』の長」と言う。光秀の謀叛は信長の四国政策の転換が大きく影響したという見解が有力。部下の不満に気づかなかった信長。
現在にも通じる教訓。
「性愛・親子の変遷からパートナーシップまで」が副題。離婚・再婚、同性婚、同棲・事実婚、シビルユニオン(登録パートナーシップ制度など)、選択的夫婦別姓、共同親権、養子縁組、生殖補助医療など、現代の結婚をめぐる様々な変化を、歴史的変遷を踏まえた一貫した視点から説明する。キーワードは共同性、性愛関係、親子関係の3点。
歴史の第一段階は前近代・・・・・・。結婚は、家の存続や生業の戦略と結びつき、性別や生殖(特に父子関係の確定)に基づいた。歴史に明らかなように夫婦の間に性愛(恋愛感情)は求められなかった。
それが日本では第二次大戦後、第二段階に移る。そこでは労働が家族の枠の外に出て、結婚が経営・家系・生殖ではなく、性愛・愛着と結びつくようになる。そして1980年代から今日に至る第3段階----。徐々に結婚・生殖・性愛の結びつきが緩くなり、結婚外の性愛関係も一般的になっていく。人々のライフコース(生き方)が多様化し、生殖と性愛はオプションとなり、生殖を想定しない結婚(子供を持たなかったりセックスレス)という考えが広がっていく。「同性婚は前近代からの結婚の考え方からの完全な離脱であり、かつ現代的な結婚の意味の変化のひとつの到達点だ」と言う。
そこで、残っている結婚の要件は何か。それは「家計や住居を共有し、共に助け合う」という「共同性」だと言う。「性愛関係は、あくまでニ者が共同生活を送る上でのひとつのパーツ。結婚自体が、人生のパーツとして『人生に内部化』してきている。自分(たち)が大事だと思う共同生活のあり方に合わせて、拘束度の強い法律婚、そこまでではない事実婚が選択肢として現れる」「結婚の法は既に入り口においてかなり開放的であり、生殖や性愛関係を重視しない者でも、結婚制度は利用可能である。・・・・・・入り口は、やはり広いので、同性婚は同性愛婚であるとは限らない」と言う。こうした時代から言えば、法律婚は、こじれたときに関係の解消が難しく、「西欧では事実婚・同棲が増加している」と言うが日本もそういう傾向にあるのだろうか。「共同関係の選択肢としての結婚へ」「自らがいかなるパートナーとどのような共同生活を送るのかを選び取る」時代となったわけだが、逆に「自由からの逃走」「自由であるがゆえのしんどさを抱え込んでいる」というわけだ。結婚をめぐる地殻変動を考えさせる著作。
