1771982921328.jpg「ウェルビーイングの経済学」が副題。経済成長を優先する社会から人間の幸福を重視する社会、ウェルビーイング社会をどう創るか。20世紀後半の世界は、経済成長とともに豊かさを求め、「福祉社会」への模索が行われたが、新自由主義が台頭、リーマンショックを経て、新たな成長戦略を競うようになっている。しかし、「GDPでは数値化できない『ゆたかな生』とは何か」「国が経済成長を希求し、モノは溢れていても、自然環境は破壊され、人々のつながりは希薄化し、社会はますます息苦しくなり、格差が拡大している」なかで、「GDPでは数値化できない『ゆたかな生』とは何か」を問いかける。それは成長至上主義を問い直し、「経済のための人間から、人間のための経済」に転換することだとその社会ビジョンを示している。それは「社会目標を経済成長から幸福度ヘ転換」(スティグリッツ)することだ。

データを示す。「一定以上の平均所得国では、平均所得と幸福度とは無関係になる(一定の閾値を超えると、幸福なるものは所得の多寡に還元されなくなる)」と言う。「ゆたかな富」は必ずしも「ゆたかな生」を意味しないのだ。

従来の資本主義社会は「市場」と「国家」の調整原理できたが(市場対国家の対立)、もう一つ「市民社会(コミュニティー)」という第3セクターを加えて考えることが必要、と言う。経済システム、政治システム、社会システムだ。この市民社会の領域で主役を成すのは互酬や協力を原理とする社会的連帯経済。協同組合、共済組合、非営利団体、財団・・・・・・。労働組合、宗教団体、文化・スポーツ団体、市民団体、クラブ・・・・・・。これらによる医療、教育、福祉、文化などは、「人間形成的」な活動であり、「カネによるカネの生産」ではなく「ヒトによるヒトの生産」であり「これからは『人間形成』が経済社会を主導する時代なのだ」と言う。

GDPに代わる「ウェルビーイングをどう測るか」――。UNDPの「人間開発指数(HDI)」は、平均寿命指数教育指数+GDP指数。長寿と教育(特に識字率)だから先進国では高い。国連の「世界幸福度報告」は主観的幸福度()とその寄与要因で図る。OECDの「ベターライフ・インデックス(BLI)」は生活の質(健康状態、ワークライフ・バランス、教育と技能、生活の安全・・・・・・)、物質的生活条件(所得と資産、仕事と報酬、住居)、ウェルビーイングの時間的持続可能性(自然・経済・人的資本・・・・・・)で観察する。この「ゆたかさをどう測るか」はその思想の世界観が現れていることになる。

経済至上主義にかき消されていくのではなく、「ゆたかな生」「ウェルビーイング」を目指して進んでいく意思の強さが大事となっている。 


1771551869770.jpg「わが精神形成と人間教育の道」が副題。心理学者の梶田叡一先生が、これまでの自身の精神形成が心理学や教育の先人たちとの思想交流の中から形成されてきたことを率直に語る。その人間形成、精神形成への真剣で誠実な姿勢が心に響いてくる。

京都の学生時代から始まる思想形成。ラジカルな左派政治闘争のなか、コリン・ウィルソンの「アウトサイダー」、サルトルやカミュなどのフランス実存主義哲学、キリスト教・仏教などの宗教哲学を経て、カール・ロジャーズ、G・ W・オルポートなど人間存在を深める心理学の道に突き進んでいく過程が語られる。「私は心理学者であり、人間学の研究者」と言う。そして、ベンジャミン・ブルームとの出会いのなかで「心理学、人間学の一環としての教育研究」が始まったと述べる。

梶田先生には21世紀の教育を考える肝いりの「教育改革国民会議」や中央教育審議会にも参画をいただき、教育基本法改正にも重要な提言をいただいた。「教育は人格の完成を目指す」「『人間としての尊厳』を具体化していく教育を」「『社会のための教育』ではなく、『教育のための社会』に」「教育者の力が重要」と言う。「教育の深さが日本の未来を決定する」と考える公明党の主張そのものであり、多大なアドバイスをいただき続けてきた。

人間形成の最終原点は「生きる力」だ。その「生きる力」には、「我の世界」を生きる力と「我々の世界」を生きる力のニつがあると指摘する。自身を鍛え、育み、豊かな情操と教養を持つとともに、世の中に出てきちんと生き、自分の人生を豊かにするニつの力だ。ではどう育てるのか。教育実践において、「開示悟入」(法華経にある)を教育原理として体系化して提示する。教育界の実践研究だが、奥行きは広い。

時代は情報過多、喧騒が常態化し、タイパ・コスパ、攻撃的なSNS時代が加速化している。「有能な『駒』ではなく、賢明な『指し手』に」と指摘しているが、人間教育、人間学がますます大切となっている。その意味で、本書は警世の書でもある。 


1771551694007.jpg時は13世紀。「大水滸伝」シリーズ、「チンギス紀」の壮大なドラマを描いた著者が、いよいよ大モンゴル国が草原の戦いから海を渡り、日本に迫る姿を壮大なスケールで描く。チンギスの孫クビライと、鎌倉幕府の8代執権・北条時宗の存亡をかけた戦い「元寇」。本書「狼煙の塵」はその序曲。大モンゴル国、クビライの脅威を逸早く感ずる第6代執権・北条時頼。この二人を中心に緊迫の度を増す世界史のドラマを描く。嵐の前の静けさ、そしてひたひたと地鳴りが響く。

偉大なチンギス・カン亡き後の13世紀のモンゴル帝国は、王座が空位のまま権力争いにより混沌としていた。チンギス・カンの弟たちによる東方三王家(カサル、カチウン、テムゲ)、息子の家系である西方三王家(ジョチ、チャガタイ、ウゲディ)が東西を支配し、クビライはチンギス・カンの孫(父はトルイ、母はソルコクタニ・ベキ)であった。クビライは祖父・チンギスの足跡を追う。長い旅路の中で、様々なものを見る。そして草原の先は行き止まりではなく、その海の向こうにまた国があり、物流、利権争い等が日常的に行われ、莫大な富があることを知る。ウラジオ(速頻路)、高麗、そして日本。そうしたなか兄のモンケが第4代の皇帝につき、重きを成したクビライの東方への拡大が始まっていく。海はクビライを魅了した。

一方、日本は鎌倉時代。激しい政争を経て得宗家の時頼は第5代執権に就く。極楽寺重時、安達泰盛らの献身的助けを得て権力を確立していくが、「海の向こうに強大な国がある。それは西へ拡がり、とてつもない版図を有している」「精強な騎馬軍団で周辺を呑み込み続けている国が海の向こうにある。馬は海を渡れないと考えれば、安心できるのか。馬を船に乗り換えたら、どういうことになるのか。高麗は悲惨な状況だと聞くが」・・・・・・。時頼は水軍の準備を進めていく。重時、泰盛らとともに松浦党、波瀬兄弟、梶原青児、安房小太郎など全国の水軍・水師と関係を深めていく。

やがて来る「元寇」の時代が幕を開けようとしていた。


1768442399738(1).jpg「トランプを生み出した思想家たち」が副題。アメリカ社会は変貌しており、「トランプは原因ではなくて結果である」と言われるが、「第一次政権の轍を踏むまいと、矢継ぎ早にディールを仕掛けるトランプの周囲には、様々な人物や勢力が集まっている」のは事実。「トランプを生み出した思想家たち」ではあるが、トランプ大統領が誕生し、活躍の場を得て、「トランプが生み出した思想家たち」でもある。帯には「アメリカを乗っ取った『危険な思想』の正体を明かす!」とある。衝撃的な内容だ。

リベラル・デモクラシーへの不信感は高まっている。そこで生まれ勢いのある「思想」。思想とまで成熟せず、イデオロギーや利害や雰囲気・感覚かもしれないが、新しいアメリカ思想が台頭している。「本書が主題的に扱っている戦後第3のニューライトは、まさにその内部にポストリベラル右派、ナトコン、テック右派、そしてオルトライトを突破口として表舞台に躍り出た極右主義などを抱える複数の潮流の集合体である」とし、その内幕とポストリベラリズムの右派思想の行方を象徴的な思想家、政治家、企業人に即して明らかにする。

現在のアメリカの新しい右派は、従来の右派とは異なり、アメリカの思想的な基底である古典的自由主義にも懐疑の目を向け、よりナショナリズムを重視し、よりキリスト教的価値を重んじ、よりテクノロジーを受け入れ、より極右との親和性を強めている。

「リチャード・スペンサー」――。ブラック・ライヴズ・マターやMe Too運動など左派の急進的な動きのなか、右の急進主義を束ねる「オルトライト(オルタナティヴ・ライト)」。その白人ナショナリストのカリスマがR・スペンサー。「軽めのオルトライト」が抜け、水面下に活動の軸を移しているが、トランプ登場のお膳立てとなった。

1619年か1776年か」の論争。今年は1776年から250年。アメリカの成立をめぐる理解は、ますます左右入り乱れた乱脈の様相。

「ポストリベラル右派の躍進」。「ヨラム・ハゾニー」――。ナトコン(ナショナル・コンサーヴァティズム) (国民保守主義)を率いて、リベラリズムによらずに、ユダヤ教とキリスト教の伝統と価値に立脚した国民国家を掲げるイスラエルのシオニスト。

「パトリック・J・デニーン」――。ヴァンス副大統領の盟友で、ポストリベラル右派の旗手。アメリカの病弊はリベラリズムを根本的に放棄することでしか治癒できない。リベラリズムはアンチカルチャーの思想であり、個人の自律を可能にする徳の重要性、共同体の復権を求めている。「リベラリズムはなぜ失敗したのか」の著作。宗教保守にとってグローバル企業、パワーエリートへの懐疑と不信は大きい。リベラリズムとは、一線を画した国家のあり方、文化、道徳、家族を守る国づくり、移民拒否のハンガリーのオルバン首相を政治家として高く評価する。

「タッカー・カールソン」――。オルバン首相を評価する元「FO Xニュース」の名物ホスト。オルバンの見方は、「西ヨーロッパが向かっているのは善きガバナンスなきアナーキー」だ。「ロッド・ドレア」――。デニーン達と共に、ポストリベラル右派の宗教保守でハンガリーに「文化的な亡命」をしたイデオローグ。

「ピーター・ティール」――。Googleの中国接近を激しく非難した。テクノリバタリアンで、テクノロジーと反中国主義を信奉する「右派進歩主義」の首魁。「テクノロジーが脅威ではなく、停滞こそ脅威」であり、テクノロジーへの不信や未来への希望の喪失は、「今我々は無神論的悲観主義」に陥っていると言う。そして「科学とテクノロジーは、西洋的楽観主義にとって自然な同盟である」と言っている。

「ルノー・カミュ」――。非ヨーロッパ移民の流入を征服であり、「大いなる置き換え」とするフランスの極右思想家。それは「大いなる文化の剥奪」であり、本物が紛いものに取り替えられていくと言う。そして「大いなる置き換え」現象を引き起こしているのは、巨大なテック企業、巨大な金融投資をしているファンド企業、ダボス会議に集っている巨大なグローバル資本である(ダボクラシー)と言う。

「マーク・アンドリーセン」――。「テクノ=オプティミスト宣言」を出した加速主義者。右とか左ではなく、敵は「停滞」である。

これらの思想家とともに副大統領のJ・D・ヴァンス、ケヴィン・ロバーツ、イーロン・マスクを紹介し位置づけている。アメリカの政治の背後にある社会と、その思想は激しく動いている。 


1768442386035(1).jpgこれまでの人生で「民度」という言葉を使ったことはおそらくない。「『市民』としての成熟度」「経済の成熟、生活の豊かさ、教育水準の高さ、道徳・倫理の高さ、文化・教養の深さ」などの総合的レベルをいうが、「民度が政治的な文脈で頻繁に用いられている実態があり、民度と政治の間には密接な関係がある」と言う。本書は、「民度概念の分析を通じて、日本の民主主義の現状と課題を明らかにする」を目的とする。

政治を取り巻く環境は、世界的なポピュリズムの跋扈と攻撃的なSNSによる慌ただしい言論空間の形成によって激変している。A I・デジタル社会の急進展は社会を劇的に変え、政治は翻弄されている。民主主義は危機にさらされ、日本では既成政党が苦戦を強いられ、左右の新興勢力が台頭する多党化時代に変貌している。それを担うのは、昔も今も国民そのもの。本書は「民度」という切り口で、民意の「現在地」を描き出すとしており、「分極化時代の日本の民主主義」が副題となっている。

民度の高低の判断基準は、「ルールの遵守」「マナーへの配慮」が高く、「協調・協力」「清潔さ」「素養・教養」「政治関心・参加」が続く。本書は「民度は政治的な性格を多分に含む概念」とし、「人々が持つ党派性によって、政治的属性の効果が大きく異なる実態」を明らかにしている。

「民度と投票率」――投票参加は参加コストの影響を強く受けている。昨今の政治家や政党による動員力の低下は、投票率を低下させているが、1990年代に行われた選挙制度改革が、意図せざる帰結して投票率の低下をもたらしている。民度ではない。

無党派層は1990年代の相次ぐ政党の離合集散によって急増した。「党派性と意思決定」については、「日本は政党に対する情緒的な結びつきが強い」傾向にあるが、「極端な形で党派性が意思決定を左右する事態に陥ることがある。適度な距離を保ちつつ、政党ないし自身の党派性とうまく付き合っていくことが肝要。のめり込むのではなく、自身の中でうまく党派性を操縦していく感覚を身に付ける必要がある」と言う。

若年層の投票率は相変わらず低い。政治関心は18歳選挙権でも変わらず、見た目で投票するなどと言われるが「若年層も政策に基づき判断している」ようだ。判断能力を高めることが大事だが、タイパ、コスパのSNS時代。更なる検討が急務だと思う。

民主主義を支える国民の総合的な判断力。「哲学不在の時代」などという言葉自体が消え、押し流される今、「民度」「人間の判断力」「人間力」をどう培うか。問いかける問題は、あまりにも大きい。 

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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