「終活本」が数多くあるが、実際に直面する現実は生々しく様々な「落とし穴」が潜んでいる。直面する現実の姿に、西川医師、福村司法書士、大城主任介護支援専門員、小島医療ソーシャルワーカー(MSW)がアドバイスする。
2025年は団塊世代が75歳以上となった。これからの大きな課題は5年後、10年後に医療・介護そして「終活」が、ますます身近に迫ってくる、避けられないということだ。本書を読むと、介護と医療とともに「認知症」が大きな課題となっていること、「終活」に関心を払ってこなかったことがよくわかる。
「法律視点による『認知症の落とし穴』」――。「自分の親のお金を引き出せない?」「不動産が売れないことも?」「先立つものも先に作っておく、資産を現金化しておくことが大切」「認知症の親の介護はどうする?」・・・・・・。
「司法書士が警鐘を鳴らす『相続の罠』」――。「認知症になっても遺言は書ける」「自筆の遺言の落とし穴」「認知症と相続の落とし穴」「エンディングノートの落とし穴」「生前整理で一番大事なこと」「死後事務委任契約と落とし穴」・・・・・・。死後の事務手続きがいかに大変か、家族信託の活用など解説してくれる。
「医師が思う『後悔のない最期』」――。重要なのは「自分にとって望ましい生活や医療とは何か」について考え、他者(家族や介護士、医師)と繰り返し対話を行っていくことだと言う。もしもの時の大事なことを話し合って伝える(ACP)の重要性だ。「終活をしてこなかったために、いざ意思確認をしたいときに、認知症や病状の悪化で本人の意思がわからなくなっている」が最大の落とし穴。また「本人は認知症だから判断できないと安易に決めつける」が落とし穴となる。「日常生活から『意思』を酌み取る」「話し合いを早く行っておくこと」が大事だと言う。
「医師と考える『延命治療の論点』」――。「抗がん剤治療や延命治療(人工呼吸器使用など)はどこまですべき?」「良い延命治療は、本人の意思や本人にとっての最善に照らして選んだ治療」・・・・・・。
「主任介護支援専門員が教える『介護への向き合い方』」――。「こういった場面ではぜひともケアマネジャーを頼って!」と、くれぐれも抱え込まないことが大切だと言う。そして今は「8050問題」ではなく「9060問題」だと指摘する。そして「ケアマネから見て『理想的だと思える最期』は、本人が病気を受け入れていて、予後もわかっている中で、家族と一緒に話し合ってきた、という満足が大きい最期なのではないかと思う」「一番大事なことは本人の想いや意思を大切な人や考えを代弁してくれる人にきちんと伝えておくべきだということ」と言っている。
「医療ソーシャルワーカーが考える『ACPの重要性』」――。医療ソーシャルワーカーを知っていただき、病院で困ったことがあったら頼って欲しいと言う。そして「やはり一番大事なのは、患者さんが自分の意思をあらかじめ、家族や知人、医療関係者に事前に伝えておくことだと思います」と言っている。
もっと相談してほしい。そうした人たちがいるのだから・・・・・・。その気持ちが伝わってくる。
「健康寿命を延ばす実践的アンチエイジング論」が副題。後期高齢者になって医療機関で受診すると「加齢が一番の原因ですね」と言われることが多い。その通りだろうが、そう言われてもと思う心がある。「若返りたい」とは思わないが、薬を減らし、健康寿命を延ばしたいわけだ。本書は、「この10年間で、老化に関する研究は飛躍的に進んでいる」「今や老化は戻すことのできない不可逆現象、あきらめなければいけない状態ではなくなっている」「老化は『治る』時代に入っている」と言う。
「老化に関わる12の特徴」――「1 ゲノム不安定性」「2 テロメア短縮」「3 エピジェネティックな変化(遺伝子の発現が変化)」「4 タンパク質恒常性喪失」「5 オートファジーの無効化(細胞のリサイクルシステムが停止)」「6 栄養感知の制御不能(食べたい飲みたいの衝動を抑えられない)」「7 ミトコンドリア機能不全(ミトコンドリアはエネルギー産生工場)」「8 細胞の老化」「9 幹細胞の枯渇」「10 細胞コミニケーションの変化」「11 慢性炎症」「12 腸内細菌叢の異常」の12項目が挙げられる。これらを正していくことができれば、老化の改善が可能になる。これらは互いに関連しているが、この改善ができれば、「老化は治療と予防ができる」「暦年齢は変えられないが、生物学的年齢は自分次第で変えることができる」と言うのだ。
そのために本書で主張しているのは、「加齢に伴い不足する根本的な栄養素を補い、老化に伴い発生する悪玉活性酸素を取り除くこと」。その3本の矢として「N MNサプリメント」「水素ガス吸入療法」「5− ALA (ファイブアラ)サプリメント」を挙げ解説する。
特に焦点は、細胞内に存在する小さな構造体(小器官)で、エネルギー産生の中心的な役割を担うミトコンドリア。身体に必要なエネルギーの約95%はミトコンドリアが作り出しており、日々摂取している酸素と栄養素を原料に膨大なエネルギー物質ATP(アデノシン三リン酸)を生み出す。これに異常が生じると私たちの細胞は老化する。しかも老化したミトコンドリアは、活性酸素種の発生量を増やす。ミトコンドリアの機能を向上させる成分が「NMN」。
そして体内で発生する活性酸素種のうち90%以上がミトコンドリア由来。脳内の活性酸素種を消去するとともに、ミトコンドリアを若返らせていくことが重要だと言う。そのために「水素ガス吸入療法」を推奨する。「水素は『悪玉活性酸素』のみを狙い撃つ」と言う。さらに日々のパフォーマンスを高める生命の根源物質「5− ALA」を解説している。
「同士少女よ、敵を撃て」「歌われなかった海賊へ」に続く長編小説だが、今回の舞台は日本が中心。瞬時に情報とモノが世界中を飛び交うSNS、ネット社会。情報に操作、翻弄され、特殊詐欺も頻繁に起きている不安定な危うい社会でもある。その中で「あなたの夢は何ですか」「あなたはどう生きるか」を問いかける現代社会の問題を多数取り込んだ意欲的な力作。
自動車期間工の本田昴は、同僚がSUV の「ブレイクショット」の車内にボルトを1つ落とすところを目撃する。日本の中古車を改造した軍用車両で暮らす中央アアフリカの武装勢力の兵士エルヴェは外国から来たゲストを護衛する。有名なファンドグループ「ラビリンス」の役員・霧山冬至は豪華なタワマンに住みSUV「ブレイクショット」を購入している。霧山は人生の座標を問われ、「勤勉、家族、平穏さ」と答えるが、社長の宮苑秀直は「マネー、ライフ、ゲーム」だと言う。好況は一転、宮苑はインサイダー取引で略式起訴され、社長を退く。社内の攻防は面白く、これだけでも一冊の小説になるほどだ。宮苑は言う。「今ならわかる。人生に十分な富を貯めたら、後は関係のない他のことを追求すべきなのだ・・・・・・もっと重要なものがある。人間関係、芸術、若い頃の夢」・・・・・・。霧山はタワーマンもブレイクショットも手放す。
板金工業に勤めるベテランの職人・後藤友彦は「そんな俺にもなくしようがない取り柄はある。それは善良さだと思っている」・・・・・・。しかし、突然の交通事故で前頭葉を損傷、高次脳機能障害になってしまう。その優秀な息子が後藤晴斗。晴斗は同じユースサッカークラブの後輩・霧山修悟(冬至の息子)に日本を代表するサッカー選手になると期待し、こよなく愛する。しかし、2人の親がそれぞれ大苦境に陥り、息子たちの夢は破綻寸前となる。そこで晴斗は自らの進学も諦め、修悟の資金援助までする。
「カズ塾長の一億経済塾! みんなで目指そう、経済的自由!」――後藤晴斗はその講師となる。投資マンション勧誘、悪徳商法、特殊詐欺、暴力団・・・・・・。晴斗は巻き込まれていく。晴斗と修悟の同性婚、父・友彦のリハビリ、アフリカでのジェイク・ウィルソンくん救出など、「ブレイクショットの関わる軌跡」の多方面的現代模様が描かれる。目がくらむような炸裂が次々と放たれる。
晴斗は追い込まれるが、毅然として腹を決める。「僕らは考えました。ルールに盲従するでもなく、ルールの裏を掻くでもない。真に偉大なプレイヤーは、ルールの中で正々堂々と戦いながら勝利を目指し、ルールを変えるために戦うものです。霧山修悟と僕は、そう納得しました。僕はあなたとは違います」「損と得で人間を測り、得をもたらすものを集めた。利用し、利用されることになれた自分にはそれ以外の人間関係が存在しなかった。だが、晴斗にとっての霧山修悟はなにか損得を超越した存在だった」「コーナー・ウィルソンは、新たな声明を発表した。・・・・・・『人は、必ずやり直せるのだということを、私自身がその行動によって示したい。ニ人の若者にも、自分自身にも』」・・・・・・。
現代社会の闇をダイナミックに描き上げ、希望の光を見出しで生きる人間の毅然たる姿勢が清々しい。
あの戦争の時、人類史上唯一となる米本土を爆撃した男がいた。藤田信雄元帝国海軍中尉。昭和17年9月9日、イ25潜水艦飛行長としてオレゴン州の森林を爆撃した。アメリカを震撼させる山火事を狙っての砲撃だ。藤田が操縦するのは潜水艦に格納され飛び立つ零式小型水上偵察機というわずか全長8.5メートルのもの。そこに藤田が提案した爆弾が装着されたが、爆弾のせいで、時速は1 40キロしか出ない。米側の厳重な警戒網をかいくぐり爆弾2 発を投下した。敵機から追われるが懸命に帰艦する。
機縁となったのは、昭和17年4月18日、日本本土が初めて空襲に見舞われたドゥーリットル隊による国際法上禁じられている「民間人に対する攻撃」にある。小中学校まで爆撃の的とされ、日本国民の怒りは沸騰した。そしてアメリカ本土爆撃。「いいか。諸君、・・・・・・これは東京空襲に対する我々からの心のこもった返礼である。借りはきっちり返してやろうではないか。米国建国160年、アングロサクソンの鼻っ柱を我々がへし折ってやるのだッ。たちまち艦内は万歳と喚声で興奮のるつぼと化した」と綴っている。
その後、藤田はイ25でレンネル島沖海戦、ガダルカナル島戦などに参加。死線をくぐり抜け、鹿島航空隊付教官を命ぜられる。そこでも、グラマンとの空中戦、さらに特攻隊の教官となり、自ら特攻志願第一号となる。そして「まさかの敗戦」となる。凄まじい経歴だ。
戦後は、仕事で苦労の連続。しかし昭和37年、突然の「青天の霹靂」――。「日米友好親善のため、オレゴン州に爆弾を投下した貴殿及びご家族を当地に招待したい」とオレゴン州ブルッキングス市長からの手紙が届く。反対もあったが、「戦争を美化するのではなく、あくまで日米両国の友好と平和親善のため」とパレードで大歓迎される。
その後、やっと築いた会社が倒産。高齢ではあったが、特攻の部下の下で裸一貫、一兵卒で働き、工場長にまでなる。優秀で自己統制力と体力・気力がしっかりしたまさに鍛え抜かれた「軍人」の姿が浮かび上がる。藤田さんは「ブルッキングス市民の善意に何かお返しをしたい。ブルッキングス市の高校生を何名かをつくば科学万博に招待したい」「日米親善のための草の根交流」と身銭を切って実現する。そして「貴殿の立派で勇敢な行為を讃え、ホワイトハウスに掲揚されていた合衆国国旗を贈ります」と、レーガン大統領より星条旗を贈られる。1997年、85歳で逝去。ブルッキングス市より名誉市民章を受ける。
戦中、戦後と凄まじい人生を生きてきた一人の人間の一筋貫徹の姿が浮かんでくる。
明治となり版籍奉還、廃藩置県、岩倉使節団の派遣、征韓論・・・・・・。不平士族は溢れ世情騒然、すべての人の戸惑いのなか近代化が進んでいく。新貨幣への交換、太陽暦への移行、廃仏毀釈、郵便、鉄道新設、学校・・・・・・。駕籠から人力車を始めとして変わっていかないものなど何ひとつない。北前船が寿命を終え、廻船問屋が時代からこぼれ落ち、越中富山の売薬行商にも新しい時代が来たと弥一らは考え模索する。売薬仲間組から「カンパニー」へ。
弥一らは、東京と大阪に分社を出し、大店とはいえない「松葉屋」という廻船問屋を使い、独自に清国との交易に乗り出す。「不平士族」「列強の罠」「密偵警察」「船出(富山の岩瀬浜から約8日で清国・福州へ、2日ぐらい後に富山へ)」「台湾出兵」「朱大老」「青年の自死(弥一の長男・太一郎の悲しい死)」、そして「西南戦争」・・・・・・。
「波の音が聞こえるでしょう? 聞こえるのは波の音なんです。潮の音じゃない。潮の音は海の底の方から聞こえてきて、海の底の動きを教えてくれるんです。岩瀬浜で潮の音を聞き分ける人間は、和泉屋の嘉六と美濃屋の鉄五郎だけですよ」「海が凪いでても、海の底のほうは、とんでもなく大きくうねってるってことだから」「潮の凄まじい音が。凄まじいけど、静かですね。恐ろしいほど静かで、世界の海の底が動いていますよ」・・・・・・。
「越中富山の売薬業者や廻船問屋は、徳川幕府という特殊な政体のなかでは法を犯したかもしれないが、その困難のなかで知恵を絞り、忍耐に忍耐を重ねて密貿易という道を選び、全国の人々に健康を届けるために、貧しい富山の民を食べさせるために、優れた薬を作って販売し続けたのだ」――。その薩摩への片道35日の「冥土の飛脚」。その旧薩摩藩では、若き旧藩士たちが、西郷とともに痛ましい死を遂げていったのだ。
宮本文学初の大河歴史小説。人生哲学をはらみながら、名もなき庶民「富山の薬売り」たちの知恵と勇気、そして幕末・維新の大動乱を新しい角度で濃密に描き切っている。実に読み応えがある力作。