412sFvYXv3L__SX336_BO1,204,203,200_.jpg"いい話"が続く。最後はドンデン返しのようでいて、暗黒から突き抜け、次元の異なる感動的な"いい話"で着地する。第一章「垣見五郎兵衛の握手会」から最終章「美しい人生」までの8つの連作短編。なつかしい映画の場面が現われ、流れる。

堀尾葉介――。顔もスタイルも抜群で、アイドル時代は圧倒的な人気を博す。俳優に転身した後は、演技力を磨き、数々の映画賞を獲った実力派の国民的俳優。真摯で誠実な人柄で誰もが称賛される好感度抜群の男だ。

各章で登場するのは、仕事も結婚も順風満帆ではなく不器用に生き暗い過去を抱える人々だが、いずれもある場面で堀尾葉介にかかわり、交差する。そこから人生が変わったり、アンビバレントな感情を引きずったりもする。「だし巻きとマックィーンのアランセーター」「ひょうたん池のレッド・オクトーバー」「レプリカントとよもぎのお守り」「真空管と女王陛下のカーボーイ」「炭焼き男とシャワーカーテリング」「ジャックダニエルと春の船」・・・・・・。いずれも"いい話"。題名にある激しい「雨」の日に「涙」を流す出来事は印象的だ。抱え込んだわだかまりが、「人との出会い」「雨」「涙」でふっ切れ、人生を肯定的に描いているのが心持良い。


41wqkw4PpJL__SX304_BO1,204,203,200_.jpg昨年、病のために47歳の若さで亡くなった伝説のエンジェル投資家、経営コンサルタントの瀧本哲史さん。京大客員准教授として教壇に立ち、「起業論」「交渉論」等を講義するが、衝撃の授業として人気沸騰、そのM・サンデル的な質問を交えての"白熱授業"に大教室は盛り上がった。たしかにそう思う。そこで東大でもやろうということで、2012年6月30日に行なったのがこの講義。2時間。「とりあえずやってみよう。このなかから少しでも自分がやれることをやって、世の中を変えてくれる人がいたらいい。本気でやる気になれば意外とできる。2020年6月30日に、またここで会いましょう。宿題の答え合わせをしよう」と呼びかけて終わっている。惜しいかな、瀧本さんはいない。どうなっただろうかという思いが募る。

言うことはきわめてリアルでシンプルに凝縮される。話にもリズムがあり、巻き込んでいく。「ヒトラーでも橋下徹でもない。誰かすごい人が全て決めてくれればうまく行くのはたぶん嘘」「自分で考え、自分で決めよ。人のふりをした猿にはなるな。人間になろう」「本を読んで終わり、人の話を聞いて終わりではなく、行動せよ!」「教養の役割とは、他の見方、考え方があり得ることを示すこと、『新しい視点』を先人たちの思考や研究を通して手に入れること」「『わかりやすい答え』を求める人向けにインスタントな教えとかノウハウを提供するのって簡単だが意味はない」「最重要の学問は『言葉』である。言語には2つの機能がある。『ロジック(誰もが納得できる理路を言葉にする)』と『レトリック(修辞=言葉をいかに魅力的に伝えるか)』である」・・・・・・。明治維新は言葉の力で国を動かした。行動を変え、仲間を増やし、世の中のルールと空気を変えた。

「世界を変える『学派』をつくれ。僕もマッキンゼーを辞めて、1900億円の負債にあえいでいたタクシー会社・日本交通の経営に参画した。当時29歳、川鍋社長34歳」「世を変えるのは若者だ。パラダイムシフトとは世代交代だ。天動説から地動説に変わったのも50年かけた世代交代だった」「口が達者なニセ預言者ではなく、正しい預言者を見極め、選択せよ」「交渉は『情報戦』、論点をずらし、妥協させるアンカリングの魔力に騙されるな」「大事なのは相手の『理由』をすべて潰せ。違う結論になった時は、なぜ相手はそう考えたかを理解すること」「人生は3勝97敗だ。ベンチャー企業は、100社でうまくいくのは3社ぐらい」「自分の仮説を試せ、見込みのある人を支援せよ、仲間を探せ」「よき航海をゆけ、その人にしかないユニークさは盗まれない」・・・・・・。


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8日、熊本市で行われた「第6回熊本地震復興会議」(公明党熊本県本部主催=城下広作代表)に出席しました。これには、蒲島郁夫県知事をはじめ、江田康幸衆院議員、熊本県下の議員が参加しました。2016年4月に起こった熊本地震から4年7か月、道路や鉄道などインフラの復旧・復興は着実に進んでいますが、今だに900人近い方々が仮設住宅生活を強いられるなど、現場を見るとまだ震災の爪痕が見られます。

私は「立党精神を胸に、一番大変な所に飛び込んで、苦しんでいる人に寄り添い、決定打を打つのが公明党の議員だ」「熊本県は特に、地震、コロナ、豪雨災害に直面している。コロナについては、生活・企業・医療の3つの大きな柱に対して、予備費を最大限活用するなどしてさらに力を入れていく」「豪雨対策においては、流域治水という観点から河川をどうコントロールするか、ハード・ソフト両面からの対策を打っていかなくてはならない」などと挨拶をしました。

復興会議の前後で、地震で被害のあった熊本城の修復状況、この程完成した国道57号線北側復旧ルート、架け替え工事の進む阿蘇大橋(来年3月開通予定)を、それぞれの首長らと現状調査をしました。また、トンネル工事が進んでいる熊本と大分を結ぶ滝室坂のトンネル工事を佐藤義興・阿蘇市長等と共に視察しました。

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スキマワラシ.jpgこの世は、たくさんの不思議に溢れている。可視の世界、有限の世界の背後には、それを支える不可視の世界、無限の世界が広がっている。それがある瞬間、記憶の隙間に現われるのかも知れない。「今どきの座敷童子(ザシキワラシ)は、日本家屋じゃなくてビルに棲んでいるってわけだ」「古い建物に棲みついていて、壊される時に姿を現わして、今度は別の建物に移るんじゃないかな。幽霊というより、むしろ座敷童子、今はビル童子か」・・・・・・。白いワンピースに、麦わら帽子。廃ビルに現われる"少女"という"都市伝説"が全体を通じて奏でられる。

古道具屋を営んでいる兄の纐纈太郎。ある瞬間、ある場面で物(モノ)に触れると過去が見える不思議な能力をもつ弟の散多(サンタ)。建築事務所で幅広く仕事をしていた両親が事故死する。二人はその面影を追って、取り壊し予定の建物を訪ねたり、古い「タイル」を探し、"スキマワラシ""あの女の子"に遭遇する。そして「なぜ次男なのに散多(サンタ)なのか」「おまえ、女のきょうだいがいたよね」という生来の疑問を持ち続けていたが、「ハナちゃん」と呼ぶ声が聴こえたり、「醍醐覇南子(ダイゴハナコ)」という女性に出会いから親しみを感ずるのだった。太郎・散多の母の旧姓が"醍醐"であり、太郎とハナコ、そして散多との"縁"の世界をなぜか感ずるのだった。

本当なのか、幻なのか、思い違いなのか。しかし生命の奥底に刻まれた"縁"と"因"の世界が、突如として噴出することは現実にある。その生命の感得が世界を知り、人生を深めるとしみじみ思う。


511jW40ZEuL__SX347_BO1,204,203,200_.jpg「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である」――。カルル・フォン・クラウゼヴィッツ(1780年~1831年)の「戦争論」は、どのようにして書かれたのか。「戦争にいかにして勝つか」という軍事学ではなく、クラウゼヴィッツは「戦争とは何か」を命題としてその本質、政治とのかかわりを著わした。しかも、近代国民国家の黎明期、ナポレオンの猛威が全欧州を覆うなか、劣勢続きのプロイセンの陸将として現場で苦闘し続けた実存感を執筆した。フランスに屈した母国に失望し、一時ロシア軍に身を置く(あの冬将軍のボロジノの戦いの頃)が、このことが国王に睨まれることにもなった。ナポレオンが敗れ去ったあとの1818年、クラウゼヴィッツは士官学校校長に任ぜられ、「戦争について」の執筆にかかる。社交とか愛とは程遠いクラウゼヴィッツと、貴族出身で社交的、芸術・文化に造詣が深く聡明な妻・マリーや義母とのやりとりは、シニカルでもあり、コミカル。あたかも"家庭内戦争"のようで、信頼があって面白い。1831年、クラウゼヴィッツは猛威をふるったコレラで突然に死亡する。己の未完成の膨大な原稿を妻・マリーがまとめ、「戦争論」全十巻として出版する。フラウ(妻)の戦争論だ。

イエナ・アウエルシュタットの戦い(1806年)、アイラウの戦い(1807年)、ロシア・ボロジノの戦い(1812年)、ザクセン地方・グロースゲルシェンの戦い(1813年)、ザクセン地方・ライプツィヒの戦い(1813年)、ラ・ベル=アリエンスの戦い(1815年)――。"前進また前進"のナポレオン軍と結束できず右往左往する反フランス同盟各国の生々しい様相が描かれる。「時代遅れの組織、戦術、装備もあるが、プロイセン敗退の原因は、君主制を敷く古びた国家が、(フランスの)共和制という新たな制度によって生み出された未知の力に対して、なんの備えもなくぶつかっていったところにある。軍隊の過失というより政治の失態に存するのだ」「戦いとは単に戦場を征服することを目的とするものではなく、相手の意志を征服する(戦いの放棄)ことを目的とする」「戦争と対になる言葉は『平和』ではなく『対話』。戦争は武器を用いた政治の手段なんだから外交、つまり『対話』だ」「お母様、カルルの論文のなかには人間がいる。・・・・・・たとえ国王陛下に評価されずとも、百年先に残るカルルの論文なの」「兵力は分散することなく集中して運用せよ。有形無形の力を決勝点に集中すること、これこそが勝利の方程式なのだ」「シャルンホルスト(陸軍参謀本部初代参謀総長、クラウゼヴィッツの恩師)は軍の戦術改善ではなく国家改造だった。自らの国を自らで守ろうとする国民の意欲を生み、大量動員を可能とすることだ。そして士官学校を創設した」「政軍関係はいかにあるべきか。政治が知性であって軍事は手段。その逆はあり得ない」「戦争は暴力と暴力のぶつかり合う単純な闘争行為に見えて、その実、矛盾と混沌に満ちている。ある側面の理解を基礎として全体を単純化してしまった理論は、いつの日か現実に報復される」・・・・・・。

「マリーには、難解なものを難解なまま、複雑なものを複雑なまま、相反する真理を同時に含んで提示する矛盾だらけのこの本には、愛する夫の苦悩がゆらぎとなってそちこちに立ち現われているようだった。子のない夫婦に残された共同作業の結実に、夫の了解もなく、勝手に手を入れることができなかったのである」と結んでいる。あえて矛盾も含まれた原稿に手を入れず、出版したのだ。

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任、公明党前代表。元国土交通大臣、元水循環担当大臣。

現在、衆議院議員、党全国議員団会議議長、東京第12総支部長、首都直下地震対策本部総合本部長、現代中国研究会顧問など。

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