「日本に"補欠"という制度があって驚いた。ブラジルには補欠なんてないからだ。補欠の子は、練習試合にも出してもらえず、ボール拾いや雑用などさせられる」「"部活で3年間スタンド応援"は"美談"ではなく"差別"だ」「部活動はスポーツではなく学童保育の延長上にある。部活動とスポーツは切り離さなければならない」「海外では、スポーツは地域にあるクラブチームで行われる。選手の人数が多くなれば、エントリーするチーム数を増やす。だから補欠は出ないし、試合に出て上達する」とセルジオ越後さんはいう。
日本のスポーツは学校で、そして教育の一環という面が続いてきた。だから「全員がスポーツを楽しむ。みんなで一緒にやって楽しむ」という習慣が乏しい。「忍耐力のある子」を褒めるから、競争心のない子が育つ。「日本では監督に、なぜ俺を出さないんだ!なんていう選手はほとんどいない」ともいう。それは、「実力社会の海外、順番待ちの日本」であるからだ。今こそそれを変えることだ。
「スポーツ立国・日本」を私は推進している。スポーツには、人々や地域を豊かにしていく力がある。日本はスポーツを単なるビジネスととらえて企業が応援したり(企業スポーツ)、教育であって、楽しむ・豊かにするということに欠けている。「楽しむスポーツ」という環境をつくることが必要だ。日本には心技体、精神性という武道がり、それは素晴らしいことだ。ただそれ以前に"楽しい"ことがあって培われるもの、苦しい練習も"勝利"の味があることが望ましい。
教育やプロ・セミプロのスポーツを、より多くの人が自らスポーツをやる。そして、家族とともに、人とともに、スポーツをやったり、観戦する。これからのスポーツ文化を考えさせられた。
「快楽とは、ヒトの脳が用意した"頑張っている自分へのご褒美"」だ。しかし、これが強力だけに、薬物やアルコール、ギャンブル、買い物などで、そのときに分泌される快楽物質への依存症に陥る危険がある。その源になっている化学物質(脳内麻薬)の働きについて解説している。副題は「人間を支配する快楽物質ドーパミンの正体」だ。
「ドーパミンの過剰・不足になると」「依存症は決して心の弱さといったものが原因ではなく、脳内の物質の異常から来る病気」「苦痛を和らげる快楽物質・オピオイド」「ランナーズ・ハイ」「依存症には(1)アルコール・薬物など物質への依存(2)ギャンブル・買い物・仕事などプロセスへの依存(3)恋愛・カルト宗教・DVなど人間関係への依存の3つがある」「人間関係への依存と社会的報酬の関わり」「自分が生きている意味を認識せずにはいられない、特異な生物・ヒト」「笑顔で表情筋が動き、脳の報酬系が刺激される」「幸福度の高い人ほど死亡リスクが低い」「人間は絶えず"自己実現"に向かって成長する――マズローの欲求5段階説」・・・・・・。人間の脳の仕組みは奥深い。
「ある日本兵の戦争と戦後」と副題にある。1925年(大正14年)生まれの小熊謙二さんの人生を、子息の小熊英二さんが聞き取り、まとめたもの。苦難の歴史は私の父母にもかぶるものがあり、思い起こしつつ読んだ。戦前、戦中、戦後の日本人の庶民の生活と心象風景。若い最も楽しかったはずの若き時代が、戦争に奪われ、苦労ばかりだった世代の思い。時代と権力を持つ側に翻弄された人生。そして戦後社会の激変。庶民の生活の民俗学ともなっている。
1930年代から「生活物質が急になくなっていく」「兄弟、親族が次々と病い等で亡くなっていく」「空襲、入営通知、敗戦」「シベリア抑留とは露ほども思わず日本に帰ると思っていた」「最初の冬は想像を絶する極寒と厳しい生活環境のなか、仲間が次々と死んでいった」「民主運動。反動分子の烙印を押されたら帰国できなくなるとの恐怖」「帰国後、まともな仕事がなく、次々と職を替える、生きるに必死の状況」「絶望的な結核療養所の約5年」、そして「高度成長とともに変わる生活」「戦後補償裁判」・・・・・・。父母と私の戦後生活がかぶる。