「未来の国難に備えて」と副題にあるが、地震が活性期に入っている今、本書は貴重であり、大事だ。しかも五百旗頭真氏は、阪神・淡路大震災で自ら被災し、東日本大震災では政府の復興構想会議議長を務め、熊本地震の今年は、熊本県立大学理事長を務めており、「くまもと復旧・復興有識者会議座長」を担っていただいた。その間、防衛大学校長でもあった。
歴史を観れば、日本には数回の著しい地震活性期が明確にあった。貞観期(863~887)、慶長期(1586~1611)、元禄・宝永期(1700~1715)、安政期(1854~1859)、平成期(1995~?)だ。1995年の阪神・淡路大震災に始まり、鳥取地震、中越地震、中越沖地震、岩手・宮城内陸地震、東日本大震災、そして熊本地震――。首都直下地震、南海トラフの地震津波にどう備えるか、まさに時代の課題である。巨大災害必須のなかで、さらに備えを加速させなければならない。
本書は近代日本の関東大震災、阪神・淡路大震災、東日本大震災について、災害の状況、種類、危機管理、応急対応、復旧、創造的復興など、その全容を示している。また、関連する大災害として明暦の江戸大火や、明治と昭和の三陸津波、さらには1755年のリスボン地震なども視野に入れて論じ、消防・警察・自衛隊・海保などの国交省、民間や地域やボランティアの自助・共助の動きにも考察を加えている。今、私たちは何をすべきか。大事な本だ。
「日本に"補欠"という制度があって驚いた。ブラジルには補欠なんてないからだ。補欠の子は、練習試合にも出してもらえず、ボール拾いや雑用などさせられる」「"部活で3年間スタンド応援"は"美談"ではなく"差別"だ」「部活動はスポーツではなく学童保育の延長上にある。部活動とスポーツは切り離さなければならない」「海外では、スポーツは地域にあるクラブチームで行われる。選手の人数が多くなれば、エントリーするチーム数を増やす。だから補欠は出ないし、試合に出て上達する」とセルジオ越後さんはいう。
日本のスポーツは学校で、そして教育の一環という面が続いてきた。だから「全員がスポーツを楽しむ。みんなで一緒にやって楽しむ」という習慣が乏しい。「忍耐力のある子」を褒めるから、競争心のない子が育つ。「日本では監督に、なぜ俺を出さないんだ!なんていう選手はほとんどいない」ともいう。それは、「実力社会の海外、順番待ちの日本」であるからだ。今こそそれを変えることだ。
「スポーツ立国・日本」を私は推進している。スポーツには、人々や地域を豊かにしていく力がある。日本はスポーツを単なるビジネスととらえて企業が応援したり(企業スポーツ)、教育であって、楽しむ・豊かにするということに欠けている。「楽しむスポーツ」という環境をつくることが必要だ。日本には心技体、精神性という武道がり、それは素晴らしいことだ。ただそれ以前に"楽しい"ことがあって培われるもの、苦しい練習も"勝利"の味があることが望ましい。
教育やプロ・セミプロのスポーツを、より多くの人が自らスポーツをやる。そして、家族とともに、人とともに、スポーツをやったり、観戦する。これからのスポーツ文化を考えさせられた。
「快楽とは、ヒトの脳が用意した"頑張っている自分へのご褒美"」だ。しかし、これが強力だけに、薬物やアルコール、ギャンブル、買い物などで、そのときに分泌される快楽物質への依存症に陥る危険がある。その源になっている化学物質(脳内麻薬)の働きについて解説している。副題は「人間を支配する快楽物質ドーパミンの正体」だ。
「ドーパミンの過剰・不足になると」「依存症は決して心の弱さといったものが原因ではなく、脳内の物質の異常から来る病気」「苦痛を和らげる快楽物質・オピオイド」「ランナーズ・ハイ」「依存症には(1)アルコール・薬物など物質への依存(2)ギャンブル・買い物・仕事などプロセスへの依存(3)恋愛・カルト宗教・DVなど人間関係への依存の3つがある」「人間関係への依存と社会的報酬の関わり」「自分が生きている意味を認識せずにはいられない、特異な生物・ヒト」「笑顔で表情筋が動き、脳の報酬系が刺激される」「幸福度の高い人ほど死亡リスクが低い」「人間は絶えず"自己実現"に向かって成長する――マズローの欲求5段階説」・・・・・・。人間の脳の仕組みは奥深い。