「あの人物に嘘は通用しない」――加賀恭一郎がきちっと理詰めで攻めていくシリーズ最新刊。8月の別荘地に裕福な家族が集まってくる。総合病院を経営する櫻木洋一と妻・千鶴、そのわがままな一人娘・理恵と婚約者・的場雅也。大企業の会長・高塚俊策とやり手の妻・桂子と会社の部下の小坂家3人。公認会計士の栗原正則と美容院経営の妻・由美子と中学生の娘・朋香。6年前から別荘地に移り住んだ未亡人の山之内静枝と姪夫婦で病院に勤務する鷲尾春那・英輔。そこで今年も恒例のバーベキュー・パーティが行なわれた。その夜、連続殺人事件の惨事が起きる。閑静な別荘地で、ある意味では、閉鎖された密閉空間での恐るべき殺人事件だ。
5人殺害、1人未遂――。殺されたのは櫻木洋一、高塚桂子、栗原夫妻、鷲尾英輔、未遂が的場雅也。ところがすぐに「俺が犯罪者だ」「生きている意味を感じないので、死刑になりたい。自分を蔑ろにした家族への復讐」と桧川大志という男が名乗り出て逮捕される。しかしそれ以上何も語らない。また被害家族との関係も全く見出せなかった。
事件に巻き込まれた家族たちは、真相を自分たちで解き明かそうとし、遺族が別荘地に集まり、検証会を実施することになる。鷲尾春那に頼まれ、長期休暇中の刑事・加賀恭一郎もそれに参加することになる。そして参加者には、「あなたが誰かを殺した」という手紙が送られていたことがわかる。疑心暗鬼の被害家族、次第にわかってくるそれぞれの家族の複雑な内情・・・・・・。そして事件の真相を加賀恭一郎が整理し、分析し、核心に迫っていく。いつもながら見事な東野圭吾の世界。
ミステリー小説ではない。歴史学者による実証研究の書。「堀田正俊と徳川綱吉」が副題。第5代将軍綱吉の時代(在職1680〜1709年)。元禄14年(1701)の江戸城内の「松の廊下」事件のほかにもう1件、貞享元年(1684)8月28日、大老・ 堀田正俊が若年寄・稲葉正休に脇腹を刺されて死亡した。赤穂浪士の話ばかりが有名だが、江戸城内で大老が刺し殺されるという大事件だ。こんな事件がなぜ起きたのか――。この殺人に綱吉の意志が働いていた。堀田正俊は、綱吉の度が過ぎるほどの犬愛護、それに落ち度があった者への厳しい処刑、恐怖政治、能役者の幕臣への登用など、諫言を繰り返したという。それを疎ましく思っていた綱吉は、ついに正俊の大老辞職を迫り、それが拒まれ殺害に至ったという説を立証している。
そこには、「綱吉の政治の是非(明君か暗君か)」「正俊が目指す仁政の実現と綱吉との食い違い」、何よりもよって立つ「儒学」に対する考え方の根本的違いが深刻な亀裂となったと分析する。近年になって、生類憐みの令が「仁政の実現」と言う評価があるが、「百件を優に超える法令によって、民衆の生活に立ち入り、厳しい処罰や取り締まりによって達成される仁政とはいったい何であろうか」と言う。正俊の著作「颺言録(ようげんろく)」には、仁政思想、明君たるべき将軍像が描かれている。綱吉を立てて書いたために、虚実が混ざっている。「民は国の本」「日本版貞観政要を意識」「仁政は父母の心で子たる民衆に望むこと」「命令や法律に頼らず、将軍自ら率先して人徳を示し、人々の心を感化して風俗を変えることこそ仁政である」「老子に『大国を治むるは小鮮を烹るが如し』とあるように、大国を預かる君主は、民衆の行いを逐一気にして介入し、その行いを正そうとするような小心翼々とした構えではいけない」などが描かれているいる。また綱吉は「儒学好き」で大名相手に講義をよくしたといわれるが、「儒学は修己治人の生きた学問、活学であって、儒学を講釈することと、儒学によって民衆を治めることはイコールではない」と解説している。綱吉の厳罰主義や、政治のやり方、講釈する儒学に、荻生徂徠、熊沢蕃山、新井白石などもそれぞれの立場で厳しい目を注いだ。正俊は諫言によって、綱吉の逸脱を正し、明君像近づけようとしたが、綱吉はそれを憎み、疎んじて大老職引退を迫り、それを拒否したことによって、事件が起こったと分析する。
正俊は、自分の死を予感していた節があり、それゆえに「颺言録」の完結を急いだようだ。綱吉を支えたのはたった4年。堀田正俊が殺され、綱吉のブレーキ役がいなくなり、生類憐れみの令、恐怖政治が進んでしまったようだ。きわめて面白い、示唆するところ大の著作。
5日、「改正動物愛護管理法を考えるシンポジウム2023」が開催され、挨拶をしました。「公益財団法人動物環境・福祉協会Eva(杉本彩代表理事)」をはじめ、熱心に取り組んでいる諸団体や学識関係者、国会議員が多数集い意見交換をしました。4年前の2019年の改正で、動物虐待に対する大幅な罰則強化、マイクロチップの装着義務等の大きな改正が行われましたが、まだまだ「動物愛護」への法改正や運用改善の推進が不可欠。この日のシンポジウムでも、「緊急一時保護の必要性」「移動販売の禁止」「10億頭の産業動物のアニマルウェルフェアを守るために必要な新たな条項」など現場からの切実な意見が述べられました。私はこの2~3年も、直接現場からの深刻な声を聞いており、連携をさらにとって「改正」に努力していくことを述べました。
前代未聞のニ児同時誘拐事件といえば、犯人をめぐっての激しいアクションか、理詰めの知的攻防戦の展開と思うが、全く違う。子供を思う清冽な「家族愛」ともいうべき切なく温かい一途な心情に感情が揺さぶられる。涙と感動の傑作。
1991年12月、厚木で小学校6年の児童・立花敦之が誘拐される。そして翌日、横浜市山手で4歳の内藤亮誘拐事件が発生。その母・瞳は不思議なことに全く無関心。育児放棄と児童虐待の疑いがあり、身代金の要求は、実家の木島茂(海洋G会長)・塔子夫妻にされる。厚木の事件は、翌日には児童が帰り、こちらはどうも捜査を撹乱させる囮と思われた。可愛い孫を助けようと、1億の現金を犯人の指定する場所へ必死に届ける木島。しかし警察は犯人を取り逃がす。警察の失態と批判され、1億円は遺失物扱いとして戻ったものの、事件は迷宮入りとなる。そして3年、1994年12月に突然、7歳となった亮が祖父母のもとに帰ってくる。なぜか亮も祖父母の木島夫妻も、口を閉ざし全くしゃべらない。
事件の真相は――。空白の3年間に何があったのか――。誘拐事件から30年たった2021年。当時警察担当だった新聞記者の門田次郎は、事件を担当していた元刑事・中澤洋一の葬儀に出る。そこで事件を担当していた同僚刑事から、誘拐事件の被害者・内藤亮が今、如月脩という人気の写実画家となっていることを知らされる。既に時効となっているこの事件ーー。門田は再取材に入るが、中澤たち元刑事も粘り強く調べ続けていたことを知る。そしてある不遇の天才的写実画家の存在が浮かび上がる・・・・・・。
「空白の3年間に何があったのか」「祖父母のもとに帰った亮は、その後どのように過ごし、人気の写実画家となったのか」――。祖母の木島塔子は、仲良くなった刑事に「情けないけど、産みの親より育ての親っていうのは本当ね」と漏らしたという。「空白の3年」を経て帰ってきた少年は、読み書きができ、きちんと挨拶ができる子供になっていた。虫歯だらけの育児放棄にあってきた少年が、驚嘆すべき写実画家の才を身に付けて・・・・・・。単なる誘拐事件として、表面的に語られ忘れられる「虚」の世界と、写実画に象徴される「実」の世界の対比。3年間の「空」の世界と、実際の濃密な「実」の世界。門田は元刑事に言われた「何でブンヤをやってるの」と言う問いかけを、事件を探るなかで考え続けるのだ。そして現代の社会に蔓延する安易で軽薄な表層的な世界であるからこそ、奥にある「存在」「秘めたる力」「写実の如き洞察」が大事であることを浮かび上がらせる。犯罪の背後に、なんと清洌な人間ドラマがあったか――感動的な傑作。
波騒は世の常である。この世は、表層で流れ続いて行く。だが、その事象の裏には必ず人間ドラマがある。それを見ないで、どうして人生と言えようか。その深さを求めて政治家も、きっと記者(ブンヤ)も、黙々と現場にこだわり戦う。その真実と人間ドラマに触れる喜びを見出して。