直心影流尚武館坂崎道場は改築の最中。坂崎磐音は木挽町にあった江戸起倒流の鈴木清兵衛を打ち破る。「坂崎磐音、予は迂闊にも江戸起倒流の背後に老中・田中意次、意知父子があることを知らなんだ」と、訪ねてきた白河藩主・松平定信がいい、竹刀を交える。定信は田沼意次の政治手法を「賄賂政治」と批判し、意次によって白河藩へと遠ざけられていた。読売屋の和蔵が来て、「佐野善左衛門政言が、田沼父子を告発する闇読売をばら撒こうとしている」という。佐野の暴発を心配した磐音は、毒矢から回復した忍びの霧子と密偵の弥助を岩槻宿に向かわせる。幕政中枢の老中・若年寄の田沼父子に対し、徳川家基、佐々木玲圓、おえいの仇を己の手で決したいと思っている磐音。そんな時、佐々木道場からの住み込みの門弟・松平辰平が失踪する。「こたびの一件はいよいよ田沼父子がなりふりかまわず牙を剥き出しにした結果と思える。倅の田沼意知様を己の跡継ぎにするために、尚武館を消滅させる決意をしたのだ」と、南町奉行所の笹塚孫一、木下一郎太が語る。磐音らが辰平の救出に動く。後に「瓦版」という名称になる「読売」(江戸のゴシップ誌)が、あたかも現代のように江戸の権力攻防に影響を与える。
13日夜、福島県沖を震源とするM 7.3、福島・宮城で震度6強の地震が発生。建物の倒壊や火災、土砂崩れ、新幹線等の運転停止、停電や断水の大被害となりました。復旧と被災者支援に全力をあげています。東日本大震災から10年、新たな復興庁として復興に力を入れていく時であっただけに、その衝撃は大なるものがあります。
15日の衆院予算委員会で公明党の岡本みつなり衆院議員が政府に迫ったように「今回の地震についての復旧・被災者支援に全力をあげること」「迫り来る首都直下地震・南海トラフ地震について、防災・減災への備えに万全を期すこと」が大事です。とくに首都直下地震については、被害が甚大とならないよう「建物の耐震化」「密集市街地、木密地域対策」「道路、鉄道等の防災対策」「電気・ガス・水等、生活インフラの強靭化」「帰宅困難者対策、そのための通信網の強化」「震災時の救助・救援体制」等々、全方位にわたる防災対策、支援対策が急務です。更に心して全力をあげます。
乃公出でずんば蒼生を如何せん――俺がやらねば誰がやるとの心意気で、明治・日本に資本主義革命を起こし、その近代化を一気に加速させた渋沢栄一。2024年からの新一万円札の肖像が決まり、2月からNHK大河ドラマ「青天を衝け」が始まる。私の地元・北区の飛鳥山に長く住み、そこで没した。1840年(天保11年)に生まれ、1931年(昭和6年)までの91歳の生涯であった。北康利さんが書いてくれることを待ち望んでいたが、渋沢の生きざまや思考、「論語と算盤」の信念に肉薄した期待どおりの素晴らしい作品。とくに、日本では西郷や大久保、伊藤、板垣等々の政治分野の国づくりが主流で語られるが、渋沢もたんなる「経済人」というのではなく、大蔵省や日銀や殖産産業、企業システムなど、まさに国づくりの骨格を築き上げた人物であったということが鮮明になる。
「論語と算盤」とは何であったのか――。商売は儒学では"金儲けの下賤な策"としてきた江戸以来のメンタリティーを渋沢は変えようとした。「魂を入れなければ資本主義は金儲けの道具になり、まさに下賤な業に堕ちてしまう」と考え、その最高の経典である「論語」を使って反転させ、公益につながるものであることの信念を貫き通した。「士魂商才」「道徳経済合一説」「社会的責任を忘れないリーダーの高い志」を唱え続けた。水戸学のプラグマティズム、朱子学批判。伊藤仁斎・会沢正志斎からのプラグマティズムとナショナリズムを継承しつつ、経済学的にも市場の"見えざる手"ではなく、「国家のため」「社会のため」といった公共精神、ナショナリズムが渋沢の思想と行動に現われる。経営の社会的責任について、P・F・ドラッカーは「彼(渋沢)は世界のだれよりも早く、経営の本質は『責任』にほかならないことを見抜いていたのである」と激賞したという。それが、岩崎弥太郎など同時代財界人との対立の根っ子にあることや並走した井上馨との距離感が鮮やかに浮き彫りにされる。政府にすりよって利益を得る政商の道を決して歩まず、社会・福祉事業にも力を入れ、戦争に反対し、財政規律を無視した国家経営にも異を唱え、行動した。
「人並み外れた行動の人」「強情っぱり」「強い意志と情をあわせもった人」であり、「常識や国境にとらわれないスケールの大きい人」であり、「誰の話も聞いて、即行動する"お節介"の人」であった渋沢の姿が活写される。大倉喜八郎、安田善次郎、古河市兵衛、浅野統一郎、佐々木勇之助、大川平三郎、中上川彦次郎、娘婿の穂積陳重や阪谷芳郎・・・・・・。明治から大正、昭和初期に至る間のあらゆる政治家、経済人との深い交わりと思想と行動。その結果の結実が驚嘆するほど見えてくる。
「終わった人」「すぐ死ぬんだから」に続き、"人生100年"「長寿社会」であるがゆえに考えさせる本。「人生をやり直したい」「あの時、あっちの道を選んでいれば・・・・・・」というのは、人によって悔恨もあれば、ごく普通に感情を伴うことなく思うこともあろう。自分自身にとってみると「回り道は真っすぐ道」だったということだ。誰しもターニングポイントは何回かある。いい時も悪い時も人生には4回位あるというが、迷った時は積極策をとる。悔いのない方を選ぶことだろう。「我慢して人生を無駄にしちゃダメ。・・・・・・他人に気を遣って生き続けて、何が楽しい」「昭和40年代は野蛮な時代だった(結婚して当然。オールドミスなどという言葉が平然と社会で通った)」「時代の風潮に合わせすぎるな。それらはすぐに変わっていく」「人間は死ぬ日まで、何が起きるかわからない。とにかく楽しんで生きるためには、自分から動く。何かを始める」「自分に与えられた人生を元気に、弾んで歩いて行く。佐保子にとっても私にとっても"今度生まれたら"より今なのだ」と本書にある通りだ。「私自身が『年を召した方』になってみると、口当たりがよく『人間に年齢は関係ない』とは言い難い。ただし、たとえ70を過ぎても、一生の一部分を、また生活の一部分を、やり直すことはできる」という。老境に入って、体も頭も若いが、仕事はない、社会も必要としてくれない、結局趣味に生きるしかないのか・・・・・・。「俺の人生、私の人生とは何だったのか」は「今度生まれたら」と同じ位相にある。
主人公は70歳になった佐川夏江。老境の夫婦、そして息子たちの家庭と人生、姉夫婦やかつて職場の同僚であった人の人生を描く。70代以降の人生をどうするか、長寿社会ゆえの大変な問題を、軽妙にテンポよく、ズバっと描く。さすが内館牧子さんとうなってしまうほどだ。
12日にファイザー社のワクチンが到着、いよいよ日本でのワクチン接種が始まります。まず医療従事者等、そして4月から高齢者、その後に一般の人という順になり、費用は無料(国庫負担)。実行するのは各市区町村で、その仕事は膨大。今、懸命に体制づくりをしています。各人に通知するクーポン券の発送、接種日程の調整(接種は2回必要)、接種場所や医療従事者の確保‥‥‥‥。混乱しないよう国民への情報提供がきわめて重要です。
準備途上であるため、その都度課題が見えてきます。「広い体育館等の集団接種と診療所等の個別接種の組み合わせ」「ワクチンの保管方法」「運搬方法(ファイザー社のはバイクや自転車は揺れるのでダメ)」「住所地以外の接種のあり方」「医療関係者のシフトや問診の仕方」「アストラゼネカ社のワクチンは仏、独などは65歳以上は推奨しない、としている問題」「変異株へのワクチン対処の問題」など、多くの課題に直面中です。国として、「ワクチンの有効性・安全性」を確認し、円滑な接種へ万全を期し準備を整えています。公明党はこれまで以上に「ワクチンの安全・安心・円滑」な接種に全力をあげます。