22日、東京都・北区合同の大規模な総合防災訓練が北区中央公園で行われました。
この防災訓練は首都直下地震に備え、東京都、北区、消防、警察、自衛隊、北区の消防団、町会など全ての防災関連の機関が参加し、かつてない大規模の防災訓練となりました。
訓練では、初期消火、倒壊家屋からの救出救助、道路啓開活動、中層ビルからはしご車を使った救出、東京消防庁の消防車や消防バイクでの放水消火活動、警視庁や自衛隊のヘリコプターを使用した救出救助など、より実践に近い訓練が行われました。
また、隣接する陸上自衛隊十条駐屯地や東京成徳大学の会場でも多くの関連団体の展示があり、コロナ感染症対策として、事前登録をされた来場者の方々も参加されました。
災害が頻発し、激甚化・広域化しているなかで、極めて重要な訓練となりました。
「大学入試改革・教育政策を問う」が副題。東大文学部の5人の教授による緊急講演録で、「文学国語」と「論理国語」の分割、実用重視の新・大学入試共通テストについて、より深く「ことば」「言語」について語る。「言葉というのは豊かで複雑なものだ。言語の基本的機能には、コミュニケーション(伝達機能)、思考の機能、美的機能があるが、コミュニケーションひとつを取っても非常に奥が深い。現代の国語入試の変更の方向を考えると、実用や論理がどうこういう以前に、言葉そのものに対する畏敬の念が失われつつあるのではないかと危惧する。コミュニケーション、論理、実用などという前に、その根本にある人間の言葉というものの豊かさ、複雑さに向き合わなければならない」(沼野充義)という。そして「人間の言葉による表現は、試験問題の求める単一の正答に還元できるような単純なものではなく、複雑で、豊かで、時に嘘をつくこともできるし、時に意図的で曖昧でもある」という。
「国語をめぐって起こっている問題の本質は何か。それは『ことばをツールだと思っている』ところにあるのではないか」「ことばを大切にしないことで、おそらく、人権や民主主義や自由といった、私たち人間が長い間ことばを通じて培ってきた価値について、非常に大切な部分が決定的に損なわれる危険がある」「私たちはことばで行動して、自身のあり方を作っていく。ことばは私自身である」「対話とはことばを交わすことであり、ことばは魂と魂の間で交わされるものだ。魂の間のやりとりだ(コミュニケーションは単にことばを道具として使っているのではない)」(納富信留)と、哲学からの考察を語る。「読解力がない、とはどういうことか。注意力と読解力は同じではない。多くの学力テストは注意力のテストとなっている」「国語で最も重視されてきたのは、ニュアンスや効果の読み取り、メタレベルの視点の獲得、文脈の読み取りだ。言葉の背後にどのような場面が想定されているかを理解できているかどうか」「『読み』をめぐる奥深さは世界の奥深さとも直結している」(阿部公彦)・・・・・・。「時空を異にして存在する文化の継続と断絶、人間の個別性と普遍性。人と文化の両面性をバランスよく適切に捉えることなくして、古代のテキストの読解は成立しない」「過去の言葉に耳を澄まさぬ者に未来を語る資格はない」(大西克也)・・・・・。
言葉の背後にはつねに相互性や関係性がある。言葉は単なるツールではない。コミュニケーションは単に言葉を道具として使っているのではなく魂と魂の触れ合い、ぶつかり合いだ。言葉というのは通じないものだ。そう考えたうえで、時間が限られ、採点が求められ、出題する側も数々の制約があるなか作成しなければならない試験という形態のなかで、「大学入試改革・教育政策」を行うことは至難の極致のように思えてくる。
現代哲学の最前線はどういう論議になっているか。最もホットな哲学研究の5つのテーマ――正義論、承認論、自然主義、心の哲学、新しい実在論を取り上げ、議論の状況を概観。哲学史や社会背景の説明を最低限に抑え、哲学者の関心をもっているエッセンスを整理、解説する。
ロールズ、サンデルからデネット、サール、ローティ、デリダ、メイヤスー、マルクス・ガブリエルまで、5つの「問い」と論争の構図を示す。デカルトの「心身二元論」、カント以来の「道徳哲学」「相関主義」はその源流に位置するが、人類の思索の歴史の壮大さと、それらの人間存在の根本的なテーマが、今なお激しく動いていることに改めて驚きを感ずるほどだ。
「正義論――公正な社会はいかにして根拠づけられるのか?」――「ロールズの第1原理は、基本的諸自由を最大限に保障するための制度的枠組みを各人に平等に保障する(第2原理は、社会経済的不平等を許容する条件を定めるもの)」「サンデルは、国家というのは、文字通りに中立的ではなく『善に対する正の優位(先行性)』は厳密には成り立っていないという」・・・・・・。「承認論――我々はどのように『他者』と認め合えるか?」――「哲学的な『承認』論は、我々が"普遍的な合理性を備えた自律した主体"になるには・・・・・・どういう条件をクリアすべきか、という前提に関わってくる。他者からの『承認』が必要というのが承認論者の考えである」「理性的思考の限界と無意識」「理性偏重の哲学と反『主体』哲学の架橋」・・・・・・。「自然主義――自由意志は幻想にすぎないのか?」――「理系的・自然科学的な方法、物理的因果法則を文系分野にも還元できる(自然主義)のか、人間の行動に固有の法則が存在するのか」・・・・・・。
「心の哲学――心はどこまで説明可能か?」――「心の哲学では、認知科学や心理学、生物学の成果を取り入れて、心を物理的に説明可能な現象として捉えようとする物理主義の傾向が強い」「心や意識があるかないかの境界線はかなり曖昧である」・・・・・・。「新しい実在論――存在することをなぜ問い直すのか?」――「前近代の実在論は、神やイデアのような"究極の実在"に関係づけることで諸事物の『実在』を証明しようとしたが、『思弁的実在論』や『新実在論』は主体による認識によって左右されることのない、否定しがたい『実在』があることを、哲学的な『思弁』を通じて明らかにする試みということになる」「ガブリエルの新実在論の2つの柱、『意味の場』と『世界』(スーパーマンやアンパンマンも、物語という"意味の場"に現われ、"意味の場"は"世界"という究極の"意味の場"に現われているのだから『存在している』といえる)」「新実存主義――歴史的に形成された概念としての精神に焦点を当てて、人間の行為を明らかにしようとする」・・・・・・。
「あとがき」で仲正氏は、「今まで全然分からなかった"哲学"が、急に『したたかに生きるための知恵』に思えてきたら要注意だ。そういう時こそ、なかなか理解させてくれない、身体的に拒否感を覚えるような、手ごわいテキストを読むべきだ」と結ぶ。これこそ現代哲学の最前線ということだろう。