海猿に対する海蝶――。海上保安庁にいまだいない女性潜水士に挑戦する若き女性と家族の物語。素晴らしい感動作だ。何よりも日本周辺海域の安全を守る過酷な毎日の戦いに、自分を律し、仲間を信じ、黙々と精励する海保の使命感と責任感に頭が下がる。「正義仁愛」の精神が伝わってくる。
女性初の海保潜水士として注目されるなかスタートした忍海愛。兄の仁は奇跡の救難と呼ばれたフラワーマーメイド号事件で表彰された特殊救難員。父は、現役最年長記録を更新中の潜水士。まさに「正義仁愛」一家だ。しかし、彼らを育て支えてきた母・ひすいを、東日本大震災で失ったトラウマが家族を襲い、愛は「手を離した右手」に残る心の傷を抱え続けてきた。覚悟のデビューをした愛を待ち受けていたのは、八丈島沖5キロで横波を受けて転覆した船の救助作業、要救助者は2名だという。しかし、船名もわからず、様子がおかしい。救助された女性の様子も変だ。そして、この海難事件が、津波による母の死からぎこちなかった「正義仁愛」一家を巻き込んでいく。
防災・減災、国土強靭化への対応、インフラ整備の緊急性について語ります。
藤井聡・京都大学大学院教授と対談。
・12月13日(日)19:00~20:00
※番組内15分ほどの出演
※12月20日(日)にも出演予定
今年2月に逝った古井由吉さん。未完の「遺稿」を含めた著者最後の小説集。昨年2019年の立春から晩秋、千葉や東日本全域で台風に襲われた時までの折りおりの事象のなか、病みゆく身体のなかで感じた心象風景を4編で綴る。「自分が何処の何物であるかは、先祖たちに起こった厄災を我身内に負うことではないか」(遺稿)が、最後の言葉となっている。
「雛の春」――インフルエンザの流行するなか、またも入院。病院のホールに飾られた雛飾りに、自宅にあった雛人形を思い出し、空襲の記憶や炎上する人形、雪の夜の女性の顔が連歌のように続いて出てくる。「われもまた天に」――令和となった初夏、天候不順が続き、高齢者の車の暴走による死傷事故、中年男が登校中の子供の列に包丁で切りつけるなどの事件が起きる。疫病について明の医学者・李挺の言葉「吾のいまだ中気(中和の気)を受けて以って生まれざる前、すなわち心は天に在りて、五行の運行を為せり。吾のすでに中気を受けて生まるる後、すなわち天は吾の心に在りて、五事の主宰を為せり」が心に浮かぶ。そして「そんなことを繰り返して年老いていくものだ」と思索をつぶやいたり、「道に迷った」思い出を語る。
「雨あがりの出立」――梅雨どき、次兄の訃報が届く。父親、母親、姉、長兄の死んだ時を思い起こす。次々と取り止めもなく思っては感慨めいたものに耽ける。「遺稿」――9月、10月と襲う台風、自宅や入院しての病院で、「重たるい天候も体調も改まろうとしない」なか、思念が途切れることなく続いていく。それが切れることなき長い文章で語られる。弱まっていく身体感覚が"老い"をよりリアルに語りかけてくる。
空襲を体験し、この世の厄災を常なるものと生老病死の次元でとらえてきた古井由吉さんの晩年の心の深淵が、静かに迫ってくる。
「急告! 生まれたばかりの男の赤ちゃんを我が子として育てる方を求む 菊田産婦人科」――。昭和48年4月17日、地元・石巻の朝刊2紙に掲載された広告だ。「実子として」と書くところを、「我が子として」と遠回しにして表現したもので、違法の「斡旋」をした産婦人科医・菊田昇が、悩み抜きたまりかねて出したものだ。「妊娠8か月以上の女性には出産してもらって、その赤ん坊を不妊症の夫婦にあげて実子として育ててもらう」「中絶を望んでもそれができない段階の女性と不妊症の夫婦をつなぎ合わせることで赤ん坊の命を助けられないか」「妊娠7か月の中絶を禁止すれば、医者が産声を上げた赤ん坊に手を下す必要はなくなる」「今回の問題の根本にあるのは、産婦人科医が違法行為をやらねばならねえ状況にあるという現実だ」・・・・・・。1970年代に起きた産婦人科医・菊田昇の「赤ちゃんあっせん事件」の真実を、ノンフィクションの騎手・石井光太氏が、小説として描いたもの。
新聞のスクープ、テレビ報道、国会への招致、日母からの除名処分等々のなか、菊田昇は母が営む遊郭で育ち、遊女の悲惨さを「小さな命を救う信念」に代え、闘い続けた。そして昭和62年(1987年)、「特別養子縁組制度」が成立する。それを菊田は自らのがんと闘うなかで聞く。