「日本の近代を問う」という膨大なテーマは「近代日本の病理を最深部から問う」ということだ。西洋文明への羨望と脅威から始まった明治は、昭和の敗戦に帰結し、平和と議会制民主主義の戦後は経済的豊かさの半面、軽薄な哲学不在の時代をももたらしている。明治が西洋文明を受容するなか、「日本とは、日本人とは何か」が間歇泉のように常に吹き上がる時代であったように、その後も「西洋対アジア」「豊かさと空虚」「ナショナリズムとパトリオティズム」「国家と個人」「権威・文化としての天皇と権力の天皇」「文明と文化」「思考と肉体」「議会制民主主義とファシズム」等、格闘が繰り返されてきた。現代はその格闘が減衰していることこそが問題だと私は思う。
「思想家とは、時代を『診る』医者である」と先崎さんはいう。時代の変化相のなかで、個人の孤立と不安を察知し、時代への違和感を持ち続けること。人間の複雑さ、不可解さを抱きしめ、思考停止の裁断を戒める骨太の誠実さを持つこと。本書では、福澤諭吉、中江兆民、高山樗牛、頭山満、保田與重郎、丸山眞男、江藤淳、竹内好、橋川文三、吉本隆明、三島由紀夫、網野善彦、高坂正堯ら錚々たる骨太の思想家23人を抽出して論じ、さらに自ら「明治と現代」を論述する。鮮やかな「近代日本の思想史」となっている。
横浜の女子高で出会った野々原茜(のの)と牧田はな。庶民的な家庭で育ち、しっかり者で頭脳明晰な「のの」と、エリート外交官の娘で優しく感じやすい心と芯の強さが同居する「はな」。二人は友情から愛情、そして恋へと進み、関係は行くところまでいく。高校、大学、そして40代と、深い恋がゆえの挫折・別離を繰り返し、時をそのつど置きながらも心の奥の奥を露わにする往復書簡・メールがずっと続く。秘めた魂の交流書簡は、息苦しいほどだ。
運命、業の次元の交流のなかで、女性のキメ細やかさと、突っ込む直進の力、胆の決め方には驚嘆する。普通の男性ではとても及ばぬ激しさだ。生老病死の世界に生きる女性の切実さと靭さが、往復書簡の行間を埋め尽くす。淡い女子学生の往復書簡から始まるが、一気に大地が揺らぐような衝撃を受ける。心の奥底のマグマを開け続ける濃密な書だ。