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暑い暑い日となった3連休――。地域の「夏祭り」がいよいよ始まりました。実に4年ぶり。16日には足立区小台の地元自治会の夏祭りが行われ参加しました。大変な盛況で、「久しぶりですね。お元気ですか」「子供さんもこんなに集っていいですね」「コロナ禍が終わって、やっぱり人が集うというのはいいですね。元気が出ます」・・・・・・。会話が弾みました。準備してくれた自治会役員の方々は大変だったと思いますが、感謝です。ありがとうございました。


maimai.jpg徳川第9代将軍家重とそれを支え続けた大岡忠光を描く感動作。

吉宗の子・長福丸(後の徳川家重)は、呂律が回らず、指が動かず、尿を漏らす。歩いた後には、尿を引きずった跡が残るため、「まいまいつぶろ(かたつむり)」と呼ばれ、蔑まれ、廃嫡まで噂されていた。誰にも言葉が届かない家重であったが、ただ1人、その言葉がわかる大岡兵庫(後の大岡忠光、大岡忠相の親戚)が小姓となる。大岡忠相は兵庫に、「(家重の)目と耳になってはならぬ」と釘を刺す。あくまで「御口代わり」だけを行うこと。吉宗の時代には、側用人制は廃止されており、役目を超えた働きをすれば、必ず、疑惑と、嫉妬の渦に巻き込まれ、幕政の混乱を招くこと必至との考えからであった。大岡忠光は、その言葉を守り抜く。また身体は不自由であるけれども家重の聡明さがじわじわと浸透していく。そして第9代将軍となり、吉宗の目指した改革の治世が継続・発展していく。家重の「言葉が通じない」辛さは、飢饉に喘ぐ民の辛さとの共鳴の窓が開いたのだった。一心同体、それぞれの苦難を受け止め、耐え抜いたニ人の生き方は感動的で美しい。

「上様は、(田沼)意次といい忠光といい、人を見抜いて用いる御力が段違いにございます。ご自身ではおできにならぬことを、代わって為すものをしかとお選びでございます」「それがし、上様が汚いまいまいつぶろと言われて、どれほど悔しゅう思いましたことか」「そなたも莫迦の小姓あがりと噂されたそうではないか」「たとえ存分に話すことができても、思いが通じぬのが人の常だというではないか。ならば、己はもはや口がきけぬという苦さえもなくなった」「まいまいつぶろだと指をさされ、口がきけずに幸いであった。そのおかげで、私はそなたと会うことができた」

家重は1760年に将軍退隠を宣下し、同じ月に正光は亡くなり、翌年の6月、家重も旅立った。短いといわれた将軍在位は15年に及んだ。


honkonkeisatu.jpg国際犯罪はこれからさらに増え、密輸等の経済犯罪のみならず、そこに政治的陰謀があれば、さらに深刻化する。帯で手嶋龍一氏が「ニッポンに香港・北京の公権力が密かに棲みついてしまった――西側のインテリジェンス・コミュニティはそう疑っている。そんな現実をリアルに描いた警察小説が誕生した」と言っている。単なる警察小説ではなく、「井水不犯河水(井の水は河の水を侵さず――江沢民の言葉で、中国と香港は、相互不干渉が最善)」「香港に民主はないが自由はある」「命運自主(自ら運命を切り拓く)」の三章からなるド迫力の小説。

香港で2021年、大衆を扇動して422デモを実行、さらに助手を殺害して日本に逃亡したキャサリン・ユー元教授。彼女を逮捕送検すべく捜査にあたるのは、香港警察の5名と日本の警視庁組織犯罪対策部国際犯罪対策課特殊共助係5名で構成された新設部署「分室」だ。警察内部では、厄介者ばかりを集めた香港警察の接待係の部署とされ、「香港警察東京分室」と揶揄されていた。

キャサリン・ユーの足跡を追い、密輸業者のアジトに潜入すると、いきなり香港系の犯罪グループ「黒指安」が襲撃してくる。彼女を監禁していたのは、「黒指安」と敵対する犯罪組織「サーダーン」。いきなり激しい銃撃戦に「分室」メンバーは巻き込まれ、互いに馴染めず思惑を抱えていた日本と香港の「分室」メンバーの心が次第に融けていく。逃亡するキャサリン・ユー、それを助ける者たち、殺そうと追いかける集団、そして「分室」メンバー。

「なぜ、穏健なキャサリン・ユーはデモを起こそうとしたのか」「彼女が会っていた若い男とは何者か。それがデモの扇動と関係があるのか」という問題。そしてその奥には、「2047年問題。香港の一国ニ制度が消滅する年の中国内部の主導権争いがある」「特殊共助係が設立されたのも、24年後の戦いに備えての布石」「その駒として動かされているのは、日本と日本警察」があるという仮説にたどり着いていく。

犯罪の奥にある時間的、空間的な大きさ、ど迫力のアクション。際立つ「分室」メンバーのキャラ。熱量溢れる力作。


11ninnno.jpg「吉田松陰から丸山眞男まで」が副題。幕末から明治、大正、昭和まで、日本を牽引した思想家11人を取り上げ、その思想の背景、骨格を鮮やかに描き出す。きわめてシャープ、大胆かつ明快でわかりやすい。頭が整理される。11人とは吉田松陰、福沢諭吉、岡倉天心、北一輝、美濃部達吉、和辻哲郎、河上肇、小林秀雄、柳田國男、西田幾多郎、丸山眞男。

吉田松陰(尊王と軍事リアリズム)――松陰には純粋すぎる理想家、夢想家といったファナティックなイメージがつくが、それはおそらく違う。根幹にあったのは、幕末の緊迫した国際情勢のなかで日本はいかにして生き残れるかという難問に、極めてリアリスティックな軍学で対処する軍事的アナリストであった。松陰の尊王思想に影響を与えたのは水戸学であり、忠誠の対象は毛利でも長州藩でもなく、天皇であった。西洋の侵略に対し、日本の独立を守るためには「億兆心を一にすること(会沢正志斎)」であり、天皇中心の中央集権国家しかない。従来の精神論ではなくリアリズム、多くの人々を兵士として動員するためには「教育」だと言う。松下村塾も奇兵隊もそこから出てくる。

福沢諭吉(今も古びない『お金の思想』)――法律や政治よりも経済が上。金儲けを卑しむ江戸時代の朱子学的規範を打ち砕いた「お金とドライなリアリズム」。人間が独立して生きるにはお金が大事だという経済リアリズムが、福沢の思想にあると言う。「福沢にとって蓄財とは、個人が独立を達成する条件」「一身独立して一国独立する――お金がないと、国防も福祉も教育も充実できないから税を重視」

岡倉天心(エリート官僚が発見した『アジア』)――英語エリート官僚・ 岡倉天心は20代で芸術行政の中枢に。西洋に対抗するために、外の世界を見る西洋。心の内側、主観で見えたものを表現する東洋美術、宗教も含む東洋思想のアジア主義に立った。「東洋の覚醒」「東洋精神の伝道」である。

北一輝(未完の超進化論)――「国体論及び純正社会主義」の中に、「生物進化論と社会哲学」が書かれている。生物に関するダーウィンの進化論をハーバード・スペンサーは、「社会進化論」として展開した。帝国主義や植民地政策の正当化理論ともなる考えに、日本でも同調するものがあり、北一輝は社会主義と進化論を結びつける。「お互いがお互いのものをやり取りするようになる相互扶助的な状態が、社会進化の究極であるというのが北一輝が考える純正社会主義だった」と言う。

美濃部達吉(大正デモクラシーとしての天皇機関説)――天皇は、憲法の下に置かれた国家の機関である。機関説は天皇は憲法に縛られる存在と規定するが、天皇主権説は、天皇を縛るものなどあってはならない、憲法を超えた存在として天皇はいるとする。美濃部は、「君民一致こそが国体であるとし、天皇中心の政治は、議会中心の政治とイコールと言っても差し支えないのではないか」と言う。大正デモクラシーの目が背景にある。

和辻哲郎(ポスト『坂の上の雲』時代の教養主義)――大正デモクラシーとともに、大正教養主義がある。夏目漱石門下生も多い。そこで重要なのは「人格」。ポスト「坂の上の雲」の価値観が日露戦争の後に生まれ、平和ムード、目的喪失の脱力感、集団主義や立身出世主義への嫌悪感が、新たな人間観を模索(漱石の小説)。不安を出発点とした「人格」と、「人間の学としての倫理学」にある「間柄」の重要さを説く。

河上肇(「人間性」にこだわった社会主義者)――明治以来、産業、経済の近代化が進んだが、貧富の格差が拡大した。大ベストセラー「貧乏物語」は、そうしたなかで生まれた。唯物史観に徹しきれなかった。

小林秀雄(天才的保守主義) ――「小林秀雄という人は、基本的に一つのことしか言っていない。なんでも科学的に説明できると信じる人間が増えると、世の中はダメになるということ」だ。「理屈、理論、理性などで人間というものがわかるはずはない」。「小林は、文学や芸術とは、今、自分にとって最も大事なものを、間違ってもいいから直観で把握して、情熱的に向かっていくべきものだ、と考える。理屈というものは、人間本来の瞬間瞬間を生きる生命力を削ぐものである。人間は失敗して退場して、再び打席に立って、の繰り返しでいいのだ。直観で生きよと説くのである」

柳田國男(「飢え」に耐えるための民俗学)――農政官僚として柳田が直面した危機とは、第一次産業の衰退、農民の破綻、飢饉。昔の人はどう乗り越えたか、それが民俗学の研究に導いた。日本人はどう不条理を乗り越えてきたか。

西田幾太郎(この世界の全てに意味はある) ――人間が理性を保って一貫していると考えたいのが、啓蒙思想以来の西洋近代の思想。福沢諭吉の独立自尊も、美濃部達吉のデモクラシーも、北一輝の超人思想も。「西田にとって、人間とはそんなにしっかりしたイメージでは捉えられない」「うまくいっていない人間にも生きる意味はある」「未来に価値がある進歩思想ではなく、常に現在を考える。生きるとは、ゴールのない現在の連続なのだ」

丸山眞男(戦後、民主主義の「創始者」として)――8月革命説の元のアイディアを提起したのは丸山だったとも言われている」「超国家主義とは何か――無責任の体系」

西洋近代化というグローバル化の圧力のなかで、日本人の苦悩と苦闘。そのなかで形成した思想。今なお重みがある。


sumino.jpg西新宿の老舗・三日月ホテルに勤務する続力。宴会場で行われる披露宴やパーティーの招待状の作成は重要なものだが、小さなホテルのため、専属の筆耕係はおらず、登録の契約を結んでいた。そうしたなか、続力は下高井戸で書道教室を営む遠田薫を訪ねる。驚くことにこの遠田、あらゆる筆跡を自在に書き分ける凄腕だが、口も悪い、育ちも悪いが何故かまっすぐの元ヤクザ。書道教室に通う子供たちにも愛され親しまれていた。依頼者に代わって、手紙の文面を続が考え遠田が依頼者の筆跡を模写するという代筆まで手伝わされるハメになる。続は巻き込まれながらも奔放な遠田に惹かれ、文字が放つきらめきにも魅せられていく。

続には想像もできない遠田の人生。貧しい放ったらかしの少年時代から、ヤクザの道に入り、刑務所まで行く。そこで出会った書道。温かく迎えてくれた書道教室を営む養父母。東京の街で、優しく、美しく生きて行く人々――。読みながら感動する。庶民の雑草の強さと優しさだ。とても良いし、「じゃあな、また来いや」――。遠田もいいし、続もいい。

「俺は、遠田の書が好きになった。いや、遠田の書を通し、書という表現そのものに魅入られた。白と黒、直線と曲線のあわいが生み出す不思議な宇宙。たとえ記され、刻まれた文字は解読できず、単なる模様にしか見えなかったとしても。時を超えてなお、墨の流れは鮮やかに黒く、瑞々しくゆらめき解き放たれて、地球外生命体のまえで、再び万物について謳いはじめるだろう」

確かに、墨の濃淡と文字は、森羅万象の諸法実相の姿を想起させる。庶民の素朴な幸福も。神保町のカレー「ボンディ」が出てくるが、三浦しおんさんも行っているのだろうか。

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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