「痛快時代ミステリー」の小説としても面白いが、綱吉の時代に貨幣経済を展開した荻原重秀の背景も浮き彫りにする秀逸作。
時は元禄――。佐渡金銀山は次第に産出が激減し、多くの間歩(鉱山の坑)も水に浸るようになっていた。その衰退しかけた佐渡金山で立て続けに怪事件が起こった。御金蔵から消えた千両箱、36人が落命した落盤事故、落ちぶれ山師トンチボの神隠し、能舞台で磔にされた斬死体、割戸から吊り下げられた遺体、そして役人の逆くノ字斬り・・・・・・。いずれの事件現場にも血まみれの能面が残され、能面侍「大癋見」の呪いと噂されていた。そんななか、幕府の勘定吟味役の切れ者・荻原重秀が新しい佐渡奉行となり、その補佐役(広間役)として間瀬吉大夫が先遣された。「凍て剃刀」と言われるニヒルな吉大夫、「焼き剃刀」と言われる荻原は、ともに強烈な個性を持つ辣腕で、惰性に流れ沈滞する佐渡に喝を入れ、怪事件の解決と佐渡の大改革に乗り出す。そこで行動を共にしたのが、若き見習い振矩師(鉱山測量技師)の静野与右衛門とその師匠の老振矩師、山方役筆頭の槌田勘兵衛。そして遊郭の女将あてび、与右衛門の幼なじみのお鴇など。それぞれがこれでもかというほどキャラが立つ。
怪事件の裏には、取り潰された藩の再興の策略と裏金作り、偽金作りの秘密があった。さらに事件を解決するとともに、衰退している佐渡金山を起死回生させる手を与右衛門を中心に立案する。水に浸った間歩、水没した坑道から水を抜く南沢惣水貫の大事業への挑戦。佐渡を蘇らせようと戦う人間模様が感動的に描かれる。
農本主義から貨幣経済への転換をもたらした荻原重秀。その伏線となる物語でもあることを思えば、この小説の重みがさらに増す。
「介護の大転換が自治体を破綻に追い込む」が副題。地域包括ケアシステムとは「認知症や寝たきりになっても、住み慣れた地域で暮らし続けるための、介護・医療・住まい・介護予防が一体となった中学校区単位で構成されるコンパクトな介護システム」。これが打ち出されたのは、2005年の介護保険法改正の時。団塊の世代が75歳の後期高齢者に入る2025年を目途として構築を図ることとしている。この高齢者施策の計画・推進・運営の責任者が「自治体」に変わるが、「介護の大転換が自治体を破綻に追い込む」という。
焦点となるのは、2025年ではなく、団塊の世代が後後期高齢者(85歳以上)になる時。それまでに体制を組めるかどうか、大変な問題であることを指摘する。後期高齢者でも、84歳までは要支援要介護が2割程度、寝たきりなど要介護3以上の重度要介護は5%程度、認知症も22%程度だが、85歳以上となると一気に跳ね上がる。要支援要介護発生率は6割、重度要介護は4人に1人、認知症は44%となる。この後後期高齢者が2020年には600万人を超え、2035年には980万人、2040年には1000万人となり、その後も約30年ずっと続くと言う。加えて、勤労世代の激減、介護人材の絶対的不足があり、さらに社会保障費の負担増大も介護サービスの抑制も、経済破綻を招くことになる。
結局、「社会保障費、特に高齢者の医療介護費用を徹底的に抑制していくしか方法はない」「これまでも社会保障費にお金がかかりすぎて、経済成長の足を引っ張り、経済の鈍化によって社会保障の根幹が揺らぐ」を繰り返してきたと指摘する。
これからの少子後後期高齢社会――。少ない介護人材、限られた介護財源の中で、それぞれの市町村が効率的・効果的な地域包括ケアシステムをどう構築するか。それぞれの自治体・市町村は、整備計画を作っても、人材不足・財源不足では手を挙げる社会福祉法人はいない。そのなかで「老人福祉施設と民間の高齢者住宅の混乱」「有料老人ホームとサ高住の混乱」「介護付・住宅型など介護保険適用の混乱」の3つの混乱、「介護は儲かる」と、「素人経営者が大量参入し、介護事故やスタッフによる介護虐待が激増、違法な無届施設や『囲い込み』と呼ばれる貧困ビジネスが横行している」という現状を指摘する。
どのような高齢者の介護医療費削減策があるのか。「介護保険の被保険者の拡大、制度の統合」「介護保険の対象者の限定(最低限の生活・生命を維持することさえ難しい重度要介護の高齢者に)」「介護保険の自己負担の増加」「社会保障制度の抜本的改革のためのマイナンバー制度」「社会福祉法人と営利法人の役割の整理・分離」「高齢者施設と高齢者住宅の整理・統合」「要介護認定調査の厳格化」「独立ケアマネジャー事務所への支援」「囲い込み不正に対する規制強化、不正に対する罰則の強化」「自己負担の増加、高齢者医療の包括算定制度の導入など高齢者医療費の圧縮」などを示す。
後後期高齢者1000万人時代――もはや「保険料や税金を上げるな、医療や介護・福祉は充実させよというモンスター級の幻想」を見直すギリギリの段階にあることを具体的に訴えている。危機感が強く伝わってくる。
「6つの脳内物質で人生を変える」が副題。この情報過多、人間関係が軋み、複雑な社会構造のストレス社会――。振り回されたり、落ち込んだり、人間関係に悩みやることなすことが空回りしたり、自己嫌悪に陥ったり・・・・・・。加えて運動不足、魅力的なファーストフードや砂糖が溢れ、タイパ・コスパの刺激を求める社会が加速する。どうするか。それは脳を変えればうまくいく。ドーパミン、オキシトシン、セロトニン、コルチゾール、エンドルフィン、テストステロンの6つの脳内物質の組み合わせを自分で決めれば、人生を少し楽にできる。極めて率直に具体的に説明する。
まずは「ドーパミン」――。「やる気ホルモン」だ。これには「クイック・ドーパミン」があるが、これは「チョコレートを食べたり、だらだらスマホを見たり、ポテトチップスを食べたりすると出るが、長期的には役に立たない」「ドーパミン源を重ねるのを避けて分割すべき」と言う。大事なのは、今の自分や未来の自分に役立つ「スロー・ドーパミン」だ。「新しいことを学ぶ、読書をする、運動をする、クリエイティブな活動をする、人と会う、挑戦を厄介事ではなく成長の機会として捉える」「クイック・ドーパミンを減らすことで、スロー・ドーパミンへの自然な欲求は戻ってくる」と言い、ドーパミンは『エンジン』であることを示す。
「オキシトシン」――。「愛情ホルモン」だ。得られるのは親近感、調和、信頼、思いやり、連帯感、寛容さなど。「人と触れ合うことで<天使のカクテル>の質を上げるには、誰かのそばにいる、友人と会う、親密になる、ハグをする、手を握る、マッサージをする」「見つめ合う」「感謝をする」などでオキシトシンが作られる。
「セロトニン」――。「幸せホルモン」だ。脳の興奮を抑え、心身をリラックスさせる。「セロトニンは明確に社会的地位と関係している。高い地位にある人は、セロトニンが多く、心の調和が取れていて、ストレスが少なく健康でもある。必要なものは手に入るし、地位も安泰だと感じられるからだ」と言っている。セロトニンのおかげで、満足感、安定感、それに何かを常に追いかけているという必要がない心の余裕が生まれる。そのセロトニンを得るためには「自分自身を愛し、ねぎらい、間違えても自分を責めない。自尊心を鍛えること」「日光を浴びること」「食べること(体内のセロトニンの90〜95%が胃腸の中にある) (迷走神経は胃腸に関係する)」「運動して、食べて眠って、瞑想する」ことが大切になる。
「コルチゾール」――「ストレスホルモン」だ。心身がストレスを受けると、急激に副腎皮質から分泌される。「少量の一時的なストレスなら、むしろ健全で素晴らしいものだ。新しいことに挑戦し、ドキドキするようなことをやる。日常の外に出ると、学びも得られる」。しかし、重いストレスに長期間さらされることは避けたいので、「思考パターンを断ち切り、瞑想し、激しすぎない運動をし、自分の思い込みを見直す」が大事と言う。
「エンドルフィン」――。「体内モルヒネホルモン、脳内麻薬ホルモン」だ。食欲、睡眠欲、生存欲、本能が満足すると分泌される。高揚感を得て笑顔で過ごすことになる。「笑顔はエンドルフィンだけでなく、セロトニンやドーパミンも放出する」「笑い声をあげる」「運動、音楽、ダンス、冷水浴が良い」。
「テストステロン」――。「男性ホルモンの中心」だ。骨格や筋肉量、体毛など男らしい身体、生殖機能の増大などをもたらし、自信と勝利を手にすることになる。行動を強める頼もしい脳内物質だ。「ゲームで勝つ、音楽を聴く、自信をつける、外向的になる、攻撃性を高める」から生まれる。
そして、これらを連関させることが必要だが、特に「睡眠」「食生活」「運動」「瞑想」の4つが大事だ。
薬に頼ることなく、自らの脳内物質を増減させて、自分の脳を最適化し、人生を変える――。複雑さを取り払い一直線に、しかも具体的にわかりやすく訴えている。
注目の坂崎かおるの初の単著。想像力豊か、各国を舞台にし、幻想小説からSF作品まで縦横に描く。文章の切れ味、時空を超え自在に描く手慣れともいうべき9つの短編集。
「ニューヨークの魔女」――19世紀末のアメリカ。屋敷の隠し部屋から魔女が発見されたのは1890年。エジソンが電気を発明した1882年、処刑方法として電気椅子が生み出される。その後の話。死を求める"魔女"は、処刑用の電気椅子を用いたショーに臨む。「僕はショーを本物だと信じてきた。どこまでが真実でどこまでがショーだったのだ。彼女は本当に魔女だったのか? いや、世を乱す者を魔女と呼ぶなら、誰が魔女だったのだ? 確かなのは孤独な女性がいたことと、そして彼女たちが消えたこと。僕はふたりの寂しい女性を思い出した」・・・・・・。
「ファーサイド」――「朝テレビのスイッチを入れると、ニュースキャスターが『おはようございます。世界の終わりまであと7日になりました』と言う。1962年は、そんな毎日だった」から始まるキューバ危機の頃のアメリカ。
「私のつまと、私のはは」――A Rグラスを用いた疑似的な乳児の育児体験ができる「子育て体験キット(ひよひよ)」を育てることになった同性カップルの日常(非日常?)。じわじわと愛が芽生えてくる心象と、2人の関係の変化が描かれる。絶妙。
「電信柱より」――リサは電信柱を切る仕事をしていた。その夏の日、リサはある電信柱に激しい恋をした。「これほどの電信柱には、この先二度と会えないと思うんです。気品があるんです」・・・・・・。
「嘘つき姫」――第二次世界大戦下のフランス。ドイツが侵攻し、逃げまどうなかで知り合った2人の少女、エマとマリー。皆が生きるため、愛情があるゆえに「嘘」をついていた。人をつなぐ「嘘」、人が生き抜くための「嘘」が、戦時下の極限状況のなか、心に響いてくる。感動的な作品。
「日出子の爪」――小学生が爪を学校の植木鉢に植えたところ、1週間ぐらい経って、指が生えてきた・・・・・・。
その他、「リトル・アーカイブス」「リモート」「あーちゃんはかあいそうでかあいい」の短編がある。才能が縦横に光を放っている。
「身につまされる」ような小説。昭和50年(1975)前後に生まれたいわゆる団塊ジュニアたちの見た世界。「24時間働けますか」の右肩上がり、高度成長期から突然のバブル崩壊、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件、金融の崩壊、デフレへの突入・・・・・・。社会に出た時は、「就職氷河期」のど真ん中。彼らの親は、「男は男らしく、女は女らしく」、競争に生き抜くことを余儀なくされた団塊の世代。「80 50問題」と言われるに至った今、まさに団塊の世代と団塊ジュニアの世代の葛藤を背景にした社会派ミステリーが本書だ。自分自身が遭遇した世界だけに、我々の仲間世代には、あまりにも生々しく身につまされるのだ。
2022年6月、公園でホームレスの老女が殺され、遺体が燃やされる事件が起きる。逮捕された男・草鹿秀郎は18年も引きこもりで、高齢の父親を殺害したことも自供する。女性刑事の奥貫綾乃は、殺された女性の身元を調べるなかで、自分の未来を重ねるとともに、自分たちの育った社会の歪みと対峙することになる。犯人の草鹿も綾乃も、そして殺されたホームレスの女性の娘も、同じ1974年生まれ、まさに団塊ジュニアそのものだ。
草鹿は全面自供する。中学生の時、「オタク」とからかわれ、好意を持っていた女性からも「キモい」と言われ、いじめに遭う。大学は卒業したが、就職氷河期。就活、圧迫面接、巡り会ったのはブラック企業、職場を転々とし、そこで感じる惨めさ、馬鹿にされ、嫌われてしまう恐怖感。32歳になって仕事探し自体をしなくなった。「ニート」という言葉が流行った頃だ。捜査をする綾乃は「更衣室の中でしかし風を感じた気がした。草鹿秀郎が内側に抱えるがらんどうから吹いてくる風を。・・・・・・風が、今度は綾乃に囁いた。――弱いのは、おまえもだろう。唐突に、震災の日の記憶が蘇る。独りぼっちで泣いているわが子。その無事を喜べなかった自分。愛するべきものを愛せないことも、きっと弱さだ」・・・・・・。そして、殺され焼かれた女性の身元を調べるうち、その愛する娘・茉莉花が引きこもり、自傷行為に及び、母娘とも苦しんでいたことがわかる。皆、バブル崩壊後の不況の影響を受けた就職氷河期世代。この世代の苦悩や絶望、後悔や鬱屈が描かれ、親の世代として、その叫びが痛いほど響いてくる。親も悩み苦しみ、引きこもりの子供を殺害した事件があったことを思い起こす。
「48歳、無職、独身、恋愛経験なし、ずっと引きこもり」の男は何を考え、何に苦しみ、もがき、親を殺し、遺体を燃やすに至ったか。団塊の世代と団塊ジュニアの世代が抱え込んだ時代の暗い影を描く社会派ミステリー。考えさせられ、重い。