「珍説トンデモ説は、いちいち批判せずに黙殺すべきだ」――これが日本史学界の共通認識だが、無関心を決め込めば、陰謀論やトンデモ説は生き続ける。「誰かが猫の首に鈴をつけなければならない」と本書を著した理由を語る。陰謀論は人気があるが、「因果関係の単純明快すぎる説明」「憶測や想像で話を作る"論理の飛躍"」「結果から逆行して原因を引きだす(結果からの逆算)」「挙証責任を批判者側に転嫁」などの特徴をもつ。面白いが危い。歴史は過去も現在も複雑な営みのなかで刻まれ、単純ではない。文献も「勝者の歴史」となり偽書も多い。しかし、歴史学の実証的な手法に則って進み、「人びとが陰謀論への耐性をつける一助に」と、日本中世史を整理・分析、そして陰謀論・俗説を斬る。情報社会の現代にも通じ、警鐘を鳴らす。
「保元の乱を起こしたのは崇徳側ではなく、国家権力を掌握していた後白河側」「義経は陰謀の犠牲者ではなく、義経の権力は砂上の楼閣だった」「後醍醐天皇は黒幕でなく被害者だった」「足利尊氏の挙兵は自衛行動であり、積極的主体的に後醍醐を裏切ったわけではない」「応仁の乱の元凶とされた日野富子はスケープゴート」「本能寺の変に黒幕はいない。突発的な単独犯行。騙されやすかった信長と、秀吉の"理外の理"の行動」「関ヶ原は家康の陰謀ではなく、上方での大規模蜂起は想定外で絶体絶命の危機に陥った」・・・・・・。
そして「虚々実々の謀略戦はフィクションとしては面白いが、現実の歴史とは異なる。勝負というものは、双方が多くの過ちを犯し、より過ちが少ない方が勝利するのである」という。
武士の府を守る――頼朝は、自ら開いた鎌倉府を守り抜く修羅の人となる。義経、範頼らの異母弟、奥州藤原氏、安田義定ら有力御家人等々を次から次へと葬っていく。尋常ではない猜疑心の背景には、鎌倉府を分裂させようと謀る朝廷との暗闘、内には功名を争う油断ならない権力争覇の策謀があった。頼朝の孤独と衰え、それを支えた北条政子。
承久3年(1221年)、朝廷との戦いに出陣する北条義時・御家人たちを前に政子は凛として叫ぶ。「今は亡き武衛様は囚われの身から平家を斃し、ここ鎌倉の地に武士の府を開きました。都で安逸を貪る公家たちに、作物の大半を取り上げられてきたそなたらのために、武衛様は人が成し得ぬほどの難事をやり遂げたのです」「今こそ報恩の志をもって上洛し、非義の綸旨、不法の院宣を掲げる逆臣どもを平らげよ!」「すぐにでも都に上り、朝廷に巣くう君側の奸を取り除き、宸襟を安んじ奉るのだ!」――。そして、「政子は、頼朝の創り上げた武士の府を守り切ったという充足感と、女として一人の子さえ育て上げられなかったという悔恨の念を抱いていた」と、その心情を描く。公明新聞に好評連載された力作。
女性の活躍、働き方改革、子育て支援、待機児童ゼロなど、政府として力を入れ、両立支援が進んできているのは間違いない。しかし、現在の状況のなかで、女性は、育休取得者は、夫婦は、企業は、上司は、どうしたらよいのか。より現場から具体的に解決策を提示している。それぞれが意識を変え、戦略性をもつこと、その「共有」が重要であることを示す。「マネジメント思考」だ。
「育休から復職した女性がどのような困難に直面するのかを調べていくと、女性個人というよりも職場環境や女性と管理職とのミスコミュニケーションがある」という。個人側の努力と組織側の努力の両方がマッチすることだ。それがない時、女性側には「就労意欲が低く、周りの士気を下げる"ぶらさがり"ワーキングマザー」「権利主張型女性の量産」「"なんとなく時短(時短トラップ)"でマミートラックに陥る」という危険。企業・組織側には「過剰な配慮」「理解のない上司」「均等法世代女子との確執」などの問題が生ずる。要は、互いが離れている、スレ違い、ミスコミュニケーションだ。
女性は育休時がチャンス。やりがい、キャリアアップ、成長機会と戦略的思考に立って「組織貢献型」に意識改革をした時、自他共に喜ぶ活躍の世界が開ける。そのことを育休プチMBA代表の国保さんが、実例で示す。
3月22日、京都府知事選(3月22告示、4月8日投票)に立候補した西脇隆俊(自民・公明・民進・希望・立憲推薦)さんの第一声応援演説に入りました。これには、山田啓二・京都府知事、門川大作・京都市長、自民党の二之湯智参議院議員、また各党の国会議員らが駆け付けました。
私は、西脇さんには国土交通省、復興庁で培った卓越した行政手腕があること。とくに、私の国交大臣時代には、防災・減災をはじめとするインフラ整備や観光行政などで陣頭指揮にあたったことなどをあげ、この人をおいて京都府政を任せられる人はいない、と訴えました。
西脇候補は、「38年間の行政経験を生かし、"安心・いきいき・京都力"をモットーに、新しい京都づくりをスピーディに実現したい」「京都生まれ、京都育ちとして地元に恩返しをしたい」と力強く決意を述べました。必勝を期してのスタートとなりました。