「旅立つ人も見送る人も笑顔・満足な死に方」――。小笠原文雄・日本在宅ホスピス協会会長ご自身の"笑顔の事例"を紹介した書。人生の最後の最後まで「延命」と「器械」で迎える「死」ではなく、穏やかな「死に方」を追求している。
「在宅ホスピス緩和ケア」の「在宅」とは暮らしている"処(ところ)"。「ホスピス」とはいのちを見つめ、生き方や死に方、看取りのあり方を考えること。「緩和」とは痛みや苦しみを和らげること。「ケア」とは人と人が関わり、暖かいものが生まれ、生きる希望が湧いて、力が漲ること。「旅立つ人が希望死・満足死・納得死ができたなら、離別の悲しみはあっても、遺族が笑顔で見送ることができる。"なんとめでたいご臨終"と言わずにはいられない」という。それには在宅緩和ケアを行なうスキルがいる。人生の最終章を迎える人と家族を包み込む小笠原さんのスキルが示される。
なかでも「ところ定まれば、こころ定まる」、つまり最期までここにいたいと願う"処"で過ごすことが、いのちの奇跡を生み出す。とくに"家"に帰りたい人が多いという"処"だ。最期まで家で朗らかに生きられる。そうした在宅ホスピス緩和ケアの総合的なスキルの実践レポート。
二百余年続いた(前)漢王朝が乱れ、簒奪した王莽の改革も失敗、反乱が全土に及んだ一世紀初頭。光武帝劉秀は天下平定・後漢王朝建国事業を進める。その劉秀の下で最も信頼を得た名将・呉漢を描く。
天下平定は言語絶する茨の道。制したと思えば、また反乱。広大な中国の混乱を収拾する道は、河北から始まり最後の蜀の公孫述を破り平定するまで、長い歳月を要した。謹厚で温柔な人物といわれる劉秀が、寛大で"赦す人""温情の人"であるとともに、教養と武略をも兼ね備えていたことがわかる。そして、「志とは、雲に梯子をかけてのぼること」と教えられた呉漢だが、"平凡""忠誠"に徹し、祇登、角斗、況巴、魏祥、左頭、樊回、郵解、郵周、呉翕ら、智慧袋、軍師、謀臣、軍吏、謁者らに恵まれ、その結束は固い。
宮城谷昌光氏の小説には「人間学」がある。そこが魅力であり、面白さだ。民は苦悶し、賊は跳梁するなかでの「天」の下での平定・建国。「民の憂い募りて国滅ぶ」「民の欲する所 天必ず之に従う」を思う。
「意志と責任の考古学」が副題。宇宙、神、存在と時間、言語、意志、行為、自由、選択、暴力、権力、徳と善など哲学的、根源的なことを考えさせられた。
アリストテレス、バンヴェニスト、アレント、デリダ、ハイデッカー、ドゥルーズ、スピノザ等の思考にふれつつ、失われた「態」・中動態の世界を蘇らせる。
「行為は意志を原因としない」「かつて、能動態でも受動態でもない中動態なる態が存在していて、これが能動態と対立していた」「受動態は中動態の派生形として後から発達したにすぎない」「能動態と受動態の対立は『する』と『される』の対立であり、意志の概念を強く想起させる。中動態に注目することで、この対立相対化を試みる。そこでは主語が過程の外にあるか内にあるかが問われるのであって、意志は問題とならない。能動態と中動態を対立させる言語では、意志が前景化しない」「その後の西洋世界で、意志や責任、人間主体といった概念が創造され、中動態は衰退する」「過去を断ちきるものとして"選択の開始地点の確定"が必要であり、意志の概念が呼び出され、責任が問われることになる」「能動性と中動性の関係でこそ、権力は説明できる」「強制はないが自発的でもなく、自発的ではないが同意している、そうした事態は十分に考えられる。というか、そうした事態は日常にあふれている。それが見えなくなっているのは強制か自発かという対立で、すなわち、能動か受動かという対立で物事を眺めているからである。そして、能動と中動の対立を用いれば、そうした事態は実にたやすく記述できる」「中動態はその後、抑圧され消滅していったが、回帰がある。『する』と『される』、能動と受動に支配された言語への違和感は陰に陽に、少なからぬ哲学者によって表明されてきた」「出来事は能動でも受動的でもない」「神に受動はありえない――『される』ではなく『なる』」「善は過剰である。過剰であるがゆえに、それは悪を暴力的に排除する」――。そして「われわれはおそらく、自分たち自身を思考する際の様式を根本的に改める必要があるだろう。思考様式を改めるというのは容易ではない。しかし不可能でもない。たしかにわれわれは中動態の世界を生きているのだから、少しずつその世界を知ることができる。そうして少しずつだが、自由に近づいていくことができる。これが中動態の世界を知ることで得られるわずかな希望である」という。
じつに面白い。寄席に行ってその場で聞くかのようだ。庶民の日常の会話が、ムダなくとぎすまされ、人情の波となってリズミカルに押し寄せてくる。
「噺家はその日の高座に全身全霊で挑みます。噺は、噺家にとってかけがえのない財産です。先代、落語の神様たちがあちこちで笑いをとってきた演目を、あたしたちの代で途絶えさせたり、減らすなんてとんでもないこと。・・・・・・お客さまに腹いっぱい笑ってもらえるよう、言葉を工夫したり、エピソードを変えたり、ネタを磨き続けることが大切です」・・・・・・。
「井戸の茶碗」「おすわどん」「鍋草履」「紙入れ」「壺算」「つる」「竹の水仙」「紺屋高尾」――。いずれも磨き上げられた芸術。
2月25日昼夜で行われた、公明党東京都本部女性局主催の「2020年パラリンピックで東京が変わる―バリアフリー先進都市へ―」に出席し、あいさつをしました。
私は、2020年東京オリンピック・パラリンピックを見据えて、今年の位置付けが非常に重要であること。公明党が先頭に立って、オリパラの成功に向けて、仕事をし、ダッシュする年にしなくてはならない。そのために、東京を世界一のバリアフリー都市にすることなど、弱者に寄り添い、おもてなしの心を持った新しいレガシー作りに政策を総動員しなくてはならない、と述べました。
講演では、松葉多美子女性局長、小池百合子東京都知事のあいさつ(昼の部)、東京都と国土交通省から、東京オリパラの現状やバリアフリー施策のに取り組み状況について説明がありました。2020東京パラリンピックを中心となって推進している平田竹男早稲田大学大学院スポーツ科学研究科教授は、パラリンピックの意義と概要、進めている諸対策を示して「パラリンピックの成功なくして2020年の成功なし」と講演を行いました。
韓国では日本選手が大活躍した平昌五輪が終わり、3月9日からパラリンピックが始まります。それが終わるといよいよ今度は東京オリパラです。その成功を期すと共に、バリアフリー先進都市・東京を目指してさらに取り組んで参ります。