22日、第196回通常国会が始まりました。会期は150日間、6月20日までとなります。まず前半は平成29年度補正予算案と来年度予算案の早期成立。そして後半は重要法案の成立と迅速な執行に全力を挙げ、「経済再生」「働き方改革」「全世代型社会保障」を確立していくことです。党として衆参両議員総会でスタートしました。また、安倍総理にも挨拶をしました。
補正予算では、昨年相次いだ豪雨災害を踏まえた中小河川などの防災・減災対策が強化され、さらに地方自治体のインフラ老朽化対策が拡充されます。
来年度予算案は、景気・経済と子育て支援・教育支援・高齢者支援の社会保障の充実に力を注ぎます。事業承継税制などの税制改革をはじめ、返済不要の「給付型奨学金」を本格実施するための費用、働き方改革として長時間労働の是正や、非正規雇用の待遇改善に向けた「同一労働同一賃金」を推進する法案、被災者支援の「二重ローン対策」「無料法律相談」の延長などが盛り込まれました。公明党の主張が強く反映しています。
今年は明治150年、平成30年という大きな節目。日本は人口減少・少子高齢社会、急速に進むAI(人工知能)やIoTやバイオテクノロジー(BT)時代の2つの大きな構造変化を迎えています。これに備えてダッシュをする年です。また、全世代型社会保障が政治のメインテーマです。立党以来これを貫いてきた公明党がど真ん中に立って頑張ります。
新しい画風に挑みながらも、不遇のうちに自らに銃弾を放った画家フィンセント・ファン・ゴッホ。それを献身的に支え続けた弟テオドルス・ファン・ゴッホ(テオ)――。その互いの思いやりが、それぞれの半身ともいうべき深い運命的つながりに起因することが激しく伝わってくる。そしてその同時期1880年代のパリに2人の日本人がいた。花のパリの美術界に東大を中退してまで乗り込み、大ブームとなった浮世絵など日本美術を紹介し売り込んだ林忠正と、その助手・加納重吉。この「史実をもとにしたフィクション」は感動的だ。
19世紀後半のパリの美術界は「アカデミー」全盛から新興の「印象派」台頭のせめぎあいの時。これに、日本の浮世絵が鮮烈な影響を与えた。
「たゆたえども沈まず」――。「パリは、いかなる苦境(洪水等の)に追い込まれようと、たゆたいこそすれ、決して沈まない。まるでセーヌの中心に浮かんでいるシテ島のように」「どんなときであれ、何度でも、流れに逆らわず、激流に身を委ね、決して沈まず、やがて立ち上がる。そんな街。それこそが、パリなのだ」。そして、茶碗の包み紙に過ぎなかった浮世絵も、その光明を受けて夢に突き進んだゴッホも、印象派も、それを支えた人々も、いつか世に認められる陽光の時が来た訳だが、そこは本書にはあえて書かれていない。
葉室麟の遺作となった。「(国を守ろうと思った西郷・橋本左内の志)それは天を翔けるような志であったに違いない。春嶽もそんな志を持った。・・・・・・しかし西郷は志を捨てぬまま世を去ったのだ。そう思うと春嶽の目から涙があふれた。・・・・・・明治23年、松平春嶽逝去、享年63」・・・・・・。本書はそう締められているが、葉室麟の死を思った。幕末から明治新政府、ずっと要職に就いて苦難を生きてきた松平春嶽。「破私立公」の人であるか否か。救国の思い、大きな志をもった男か「私」に立つ人か。春嶽はその観点から真の友を選び友を得た。見識と謹直と温和、絶妙のバランス感覚をもつ春嶽だからこそ、激震の時代の中枢にいる人の信頼を得た。阿部正弘も、水戸の徳川斉昭も、島津斉彬も、熟友の山内容堂も、そして横井小楠、勝海舟、坂本龍馬、西郷隆盛も春嶽に信頼を寄せたが、彼は徳川慶喜らに危うさを観た。
春嶽は大政奉還を早くから構想した。「徳川家の私政から脱却させ、公の政を行う」「安政の大獄で冷え切った朝廷との関係を修復し、公武合体によって国難に立ち向かう」「開国派と尊攘派が手を携えて国難にあたる挙国一致体制をつくる」――。常に変わらぬ一念が幕末の混乱のなかでも貫かれた。
しかし、「大政奉還、王政復古にいたる流れでは、実権は島津久光を始めとする春嶽や容堂らいわゆる賢候にあったが、新政府成立後、志士上がりの官僚たちが、すべては自分たちの功績であったかのように主張していく」「いずれにしても明治初年に尊攘派以外の政府要人はしだいに遠ざけられ、その後、明治維新は尊攘派による革命であったかのように喧伝されていく」のである。
激震の幕末を、その中枢にあった松平春嶽から描く思いの込められた歴史小説。幕末の四賢候とは、松平春嶽、山内容堂、島津斉彬と宇和島の伊達宗城。
平尾誠二と山中伸弥「最後の一年」――。最も厳しい状況のなか、心が本当に通った関係だったことが、あふれている。
表紙にラグビーボールを共にもった写真が出ている。「人生はラグビーボールと同じ。楕円形のボールはどこに転がっていくかわからない。しょうがないやないか」「世の中には理不尽なことがたくさんある、というのが僕の持論」「ラグビーボールが今も楕円形なのは、世の中というものが予測不可能で理不尽なものだから、その現実を受け入れ、そのなかに面白みや希望を見出し・・・・・・」と平尾さんは語り、「しゃあない、こんなこともある。でもなんとかなるわ」と理不尽な経験をポジティブにとらえる。二人の友情と対話。互いに全身で刺激し、支え合い、共鳴盤を打ち鳴らした強くすがすがしい世界が描かれる。
「技術革新と倫理観」では、技術革新とともに、「その時、暴走をコントロールするために必要なのが人間の倫理観というか、本当の意味での人間の力なのではないか」という。
ナイスガイの二人。波長があい噛み合った二人。素晴らしい。