飛鳥から寧楽(なら)に都が移されて27年後。史実には、「737年(天平9年)、奈良に天然痘が流行し、左大臣藤原武智麻呂ら藤原4兄弟をはじめ多数が死亡する」とある。その凄まじいパンデミックのなか、食い止めようとする医師、それに乗じて混乱を起こし私欲に走る者、権力でのし上がろうとする者、陰謀と罠・・・・・・。光明皇后が発意した貧しい病人のための施薬院や悲田院なども舞台となる。
飢饉・疫病、この世の業火のパンデミックが、あの時代いかに凄まじいものであったか。次から次へと嵐の如く襲いかかるその様子が、ものすごい迫力で描かれる。屍累々のなかで、「生きる」「1つの命の輝き」が、浮かび上がる。施薬院の峰田名代が夢中で走る。そして「綱手の苦しみが、諸男の憎しみが――それでもなお、人を救い、癒す彼らの哀れなまでの志が胸を打ち、やがて激しい震えとなって心を揺さぶった」――。力作。
「他人を引きずり下ろす快感」が副題。「シャーデンフロイデとは、誰かが失敗した時に、思わず湧き起こってしまう喜びの感情」だ。この感情は"愛情ホルモン""幸せホルモン"などと俗に呼ばれる「オキシトシン」という物質と深い関わりがあり、これらの効果と同時に"妬み"感情も強めてしまう働きをもつことがわかってきた。そしてオキシトシンは、セロトニン、ドーパミン、ノルアドレナリンなどの神経伝達物質に影響を与える。
オキシトシンの働きは「安らぎと癒し」「愛と絆」。「愛着を形成する」ものであるだけに、逆に人と人とのつながりが切れてしまいそうになるとき、オキシトシンはそれを阻止しようとする行動を促進する。「私から離れないで」「私たちの共同体を壊さないで」「絆を断ち切ろうとすることは、許さない」――。
こうした脳の働きから、「加速する『不謹慎』」「標的を"発見"するのは妬み感情」「相手の不正を許さないのは協調性の高い人」「集団を支配する『倫理』」「承認欲求ジャンキー」「"自分こそが正しい"正義バブルの時代」「『愛と正義』のために殺し合うヒト」「宗教戦争はなぜ起きるか」「愛が抱える矛盾」などを詳述する。
「よかれと思って」という気持ちとその帰結。「東に向かって全力疾走しているつもりが、西に向かって暴走していた」・・・・・・。愛の情動の裏にある闇を、脳内物質「オキシトシン」から剔抉する。
5日、公明党東京都本部、党都市農業振興プロジェクト(ともに高木陽介代表)は「都市農業フォーラム」を開催。これには衆参の国会議員、区議・市議、須藤正敏JA東京中央会・連合会会長らの農業関係者、国交省・農水省・東京都の代表が出席。都市農業振興の前進についての説明・議論を行いました。
都市農業は「安心・安全・新鮮な野菜等の食の供給」「地産地消による食育啓発」「防災機能」など、きわめて重要。しかし、「宅地化の進行」「生産緑地となっても30年の長期の建築制限」「相続税での終身営農等の厳しい制限」「農家の高齢化や後継者不足」など厳しい状況にあります。
平成27年4月、私が国交大臣の時、「都市農業振興基本法」を制定。国交省と農水省が連携して都市農業の振興策を打っていく枠組みをつくりました。都市農業に注目した初めての法律です。そして昨年、生産緑地の面積要件(500平方メートル)を市区町村の条例で300平方メートルまで引き下げられるようにし、小規模農地でも保全できるようになり、生産緑地指定から30年経過後も、農家の意向に沿って保全が可能となる仕組みも設置。税制も引き続き、固定資産税や相続税の特例措置を適用するようにしました。さらに今の通常国会で、生産緑地を円滑に貸し借りができる新法がつくられます。画期的なことです。私は「都市農業振興は画期的に進んでいる。推進した公明党は、胸をはってこれらの新制度をそれぞれの地域で説明していこう」と挨拶。農業者からも感謝の発言が次々と寄せられました。
「南洲翁遺訓」は庄内藩の関係者が西郷から聞いた話をまとめたものだ。庄内藩は"鬼玄蕃"として官軍も怖れた酒井玄蕃の下で無敗を誇ったが、奥羽越列藩同盟の崩壊に伴い、降伏する。その時、厳しい処分を覚悟していた庄内藩を寛大な処置によって救ったのが西郷であった。「西郷南洲先生を守れ」――玄蕃の遺言(明治9年2月5日逝去)でもあった。薩摩と庄内との深い絆である。
明治6年の政変。西郷等は征韓論争(西郷はむしろ遣韓論、征露論)に破れる形で追い落とされる。7年には俊才・江藤新平等による佐賀の乱が起きる。岩倉・大久保・木戸等の明治4年からの遣米遣欧使節団は、西郷・江藤等の留守政府の目覚ましい成果に焦る。国難に結束して戦おうとする西郷等と、私心を払拭できない大久保等の亀裂は一気に広がっていく。士族の不満は充満していく。「今の政府はおかしい。正気を取り戻さなければならぬ」「薩長土肥、それも一握りの者だけが贅沢三昧」「美し皇国を不潔な連中に勝手にさせるな」「奸臣を討ち、もって民の疾苦を救う」「維新のやり直し、第二維新を始める」「君側廓清、政体一新」――。その神輿が西郷となっていく。徹底的に「士族を潰す。武士を潰す」とする大久保、「敬天愛人」の西郷。「鳥羽伏見で止めるべきだった。戊辰の役まで進んだのが間違いだった。結果として勝者と敗者が生まれ、敗者には恨みが残り、勝者にも怯えが取り憑いた」「始めなければならないのは、勝たないための戦いだ」「道に外れた維新を終わらせる」「一(一蔵)よ、天下のこつで勝ち負けついたら、いかんでごわすよ」と西郷は思う。そして西南戦争で西郷は自決する。その時、庄内鶴岡はどうしたか。「この庄内鶴岡だけには武士が残る。国難に当たる者として」――西郷の遺訓を庄内鶴岡がまとめた。庄内藩の沖田総司の甥・沖田芳次郎の生きざまを通して明治の序章の激動、西郷と大久保を描く力作。