天下一の軽口男  木下昌輝著.jpg江戸時代前期の上方落語の祖・米沢彦八(?―1714年)を描いた小説。江戸の鹿野武左衛門や京都の露の五郎兵衛と並ぶ三大辻咄の米沢彦八。難波村の漬物屋に生まれて、生玉神社の小屋で、当世仕方物真似の看板の下、俄か大名で笑いを取る。「軽口御前男」や「軽口大矢教」など笑話集を出す。江戸と京都と大阪では、「笑い」が違うし、時の流れとともに形式も異なるが、街の盛場や祭礼の場で道ゆく庶民相手に「笑い」をとる辻咄が根源であることがよくわかる。

「儂はただ人を救いたいだけなんや。人笑わすのは、出世のためでも名声のためでもない」。天下一のお伽衆をめざした彦八だが、時代にもまれながら生まれた「辻咄」という、純粋な笑い話だけで銭を稼ぐ、辻芸人の世界のど真ん中に踊り出ていく。笑いを志し、笑いを極めようとし、笑いを大衆文化にした男の挫折と栄光。


千葉県本部 170902.jpg2日(土)、公明党千葉県本部(=富田茂之代表)の夏季議員研修会が、新装された公明党千葉県本部事務所で開催され、出席しました。新しく広い新事務所での旭日・千葉のスタートに喜びが広がりました。

私は、「公明党は太陽の党。公明議員は庶民に寄り添い、公平、平等に温かい陽光を注ぎ、心の中から生きる力、希望を与えていく太陽の存在だ」「どこまでも庶民の現場に入り、地域の柱となり頑張ろう」と訴えました。現場を走る議員の姿を、私は自分自身の日常活動を通じて話しました。

さらに劇作家・山崎正和氏が「中道とは、問題を指摘するだけでなく、解決策を提示していく態度だ」 「"問題がある"というのが左で、"問題はない"というのが右だとしたら、"問題はあるが、解決の道もある"というのが中道なのである」と言っていることに触れ、公明の中道主義について話をしました。

地元では町会・自治会の盆踊り、フェスタ、祭礼、特養での納涼祭など多くの行事が行われ、多くの方々と懇談しました。

交流会 170902.jpg 納涼大会 170902.jpg


片山右京さん.jpg

9月1日、F1レーサーとして活躍された片山右京さんが来訪、スポーツ振興等について懇談をしました。片山右京さんは現在、日本の自転車競技の発展・普及、自転車による地域振興についても取り組んでおり、意見交換をしました。これまでも私の地元、国交省荒川下流河川事務所主催の「あらかわマナーアップミーティング」にも何度もゲストとして出席、自転車マナー向上にご尽力を頂いています。

「スポーツの振興とスポーツを産業に」――私はこれまでスポーツ庁の設置やナショナル・トレーニングセンターの拡充、スポーツの産業化等に推進してきました。また広島と愛媛を結ぶしまなみ海道サイクリングの推進、ツール・ド・フランスさいたまクリテリウムなど、自転車競技・地域振興に力を注いできました。いい懇談ができました。


いのちの証言.jpg副題は「ナチスの時代を生き延びたユダヤ人と日本人」――。ベルリン在住の作家・六草いちかさんが、あの凄惨な時代を奇跡的に生き延びたユダヤ人と、杉原千畝(リトアニア領事代理)のようにそれを助けた日本人を丹念に取材し調べあげたもの。証言は生々しく、壮絶。「生き延びたのは偶然の積み重ね」「生死を分けた一瞬に自ら死を賭した捨て身の人がいてくれた」「密かにユダヤ人を助けるドイツ人や在独の日本人」・・・・・・。狂気に同調してしまう人間、人間性とは・・・・・・。問いは重く苦しい。

1933年ヒトラー内閣成立、ユダヤ人の公職からの追放、焚書事件、反ユダヤ運動の広がり。1935年ニュルンベルク法制定によってユダヤ人の人権が公然と剥奪。1938年11月の「水晶の夜」事件発生、町全体がユダヤ人憎悪の危険状態に突入。1939年ドイツのポーランド侵攻・第二次世界大戦。1941年ベルリンからの強制収容所行き列車移送開始、ユダヤ人の出国禁止。1942年7月ベルリンからアウシュヴィッツ絶滅収容所行き列車移送開始。1943年2月、ベルリン市内残留ユダヤ人を残らずアウシュヴィッツへ送る「工場作戦」実施(ベルリンからユダヤ人一掃作戦)。1945年4月、ソ連軍のベルリン砲撃。そして5月にドイツ降伏。

ベルリンにはかつて16万人以上のユダヤ人が暮らしていたが、終戦までこの町で生き延びたのはわずか6千人だった。日独が同盟関係にあったなかでユダヤ人を救ったベルリンの日本大使館、古賀守、近衛秀麿、藤村義朗、杉原千畝、毛利誠子・・・・・・。多くの日本人が描かれている。


荒川視察 170829①.jpg  荒川視察 170829②.jpg

荒川流域の万全な治水対策を――。29日、荒川流域全体の治水対策の現状と対策について視察を行いました。これには、竹谷とし子、矢倉克夫の両参院議員、うすい浩一、けいの信一の両都議、大島実、青木ひろこの両北区議、中野邦彦、かいべとも子の両板橋区議が参加しました。

まず、埼玉県戸田市の荒川第一調節池へ直行。いわゆる彩湖の所です。この調節池は荒川洪水時の被害に備えたもので、3900万立法メートルの貯水能力があります。治水と利水を目的に総合開発され、平成9年に利水の貯水池として「彩湖」が、平成15年に治水部分ができ、全体が完成しました。

日頃は「彩湖」から生活用水の取水をしていますが、荒川が増水すると荒川第一調節池の上流部分から段階的に水を引き込み、荒川下流の水位の急激な上昇を抑える、いわばダムの役割を果たします。今後、この上流で新たな調節池が計画されており、埼玉県や関係自治体、住民の方々の理解と連携が必要となります。

この後、船で戸田から下流の状況視察を行いました。隅田川を守る岩淵水門の耐震化や芝川水門の耐震化も完了し、堤防強化策として堤防の上部•天端の強化や法尻の強化も完了しました。私はこれらの強化策を推進、さらに2年前に日本で初のタイムラインをこの荒川でスタートさせました。いずれも進捗していますが、高規格堤防(スーパー堤防)も進んでおり、この日は高規格堤防の上に建つ足立区新田のハートアイランド、そしてこれから進めていく新田一丁目の状況を確認しました。

今年も九州や秋田で水害が発生、近年の雨の降り方は局地化、集中化、激甚化しています。荒川をはじめとして、各河川の水害対策に全力をあげます。

荒川視察 170829③.jpg

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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