副題に「世界が恋した日本女性」とあるように、明治の日本女性は乙女心を磨くために「家庭教育」を基礎とし、「修身教育」によって磨きをかけた。本書は近代日本における女子教育の先駆者・下田歌子の教えを中心として、女性の美しく磨き上げられた「心得」を説く。
「思いやる心、慈しみ深き心(礼と慈恵)(礼とは心の誠)」「おしゃれの極意(装飾と身だしなみ)」「心の通い合う人づきあい」「高尚な理想は女性の品格を高める」「天職と天命を知る」「きれいでかしこい家庭人(賢母・良妻)」「颯爽と道をゆく(勇気)」「信じる心に光あり(信念)」「凛と生きる(覚悟)」――。
「誠実」「慈しみ」「品格」「賢さ」「覚悟」・・・・・・。靭さも含めて「美しさ」を考えさせてくれる。
あまりにも凄絶な人生。柳美里さんの過酷なる世界に我が身を浸み込ませるのは不可能に近い。人生、生命力を考える。
在日韓国人として生まれ、小学校ではいじめに遭い、父はパチンコ屋の釘師で博打狂、殴られ続ける母は子供を受験で縛る。自殺未遂を繰り返し、高校1年で退学処分。東由多加率いる「東京キッドブラザーズ」に入団、共に住んだが彼は闘病の末に死亡することになる。付き添いもすさまじい。86年、演劇ユニット「青春五月党」を結成、最初に書いた小説が訴えられて出版できない。芥川賞受賞(「家族シネマ」)の時も裁判中。「わたしは過去を否定しない。その過去があって、今のわたしがある」――今は鎌倉から南相馬市へ移住、原発被害の街と人の中に入る。
宿業と向きあうが、自由奔放。宿業のなかで「深い人生でなくても幸せが欲しい」と思うのが凡夫の常だが、「人生にはやらなくていいことがある」といわれても、柳さんのように次々襲いくる難題に遭遇して格闘せざるを得ないのがまた人生というものか。いずれにしても凄まじい。
8月11日、鹿児島県の奄美大島に行き、公明党ティダ(太陽)委員会、遠山清彦衆議院議員の政経セミナーに出席。翌12日は、宇検村を視察しました。これらには遠山衆院議員のほか、三反園訓・鹿児島県知事、金子万寿夫衆院議員、成尾信春県代表をはじめとする県議、同群島の議員が参加しました。
先週、日本を襲った台風5号が奄美大島を襲撃。奄美市内で集落が分断され孤立したり、道路の法面崩落、床上・床下浸水も発生し、多くの被害をもたらしました。現在、復旧作業が急ピッチで進められており、また、次の台風への備えも必要です。
国交大臣時代から約4年ぶりの訪問となりましたが、この間、私が大臣時代に設けた「奄美群島振興交付金」によって、予算が格段に措置されるようになったこと、また、LCCの創便、観光客の飛躍的増加など、奄美は大きく発展しました。多くの方から感謝の声が寄せられました。観光客は一気に増え昨年は70万人にもなり、100万人を目指すまでになっています。
党ティダ委員会では、奄美全域から朝山毅・奄美市長など12市町村の首長、議長から奄美の現状、課題など多くの切実な要望を受けました。今年2回目の委員会で、「公明党に要望すると実現する」と信頼が高まっています。農業、漁業、観光、交通・通信、そして、雇用など、克服しなくてはならない多くの課題をそれぞれの市町村が抱え、率直な意見交換ができました。
問題は、次期「奄美群島振興特別措置法」に、これらの現場からの要望をどのように反映させていくかということです。私は離島振興ということからも、安全保障のうえからも、奄美の位置づけは大きく、奄美の現実と未来を見据えて、知恵を出し合って、引き続き連携していくことを述べました。
翌日は、元田信有宇検村長らから、同村の現状と課題について伺った後、世界自然遺産登録候補地になっている湯湾岳展望台を視察しました。霧が晴れ絶景でした。奄美の観光資源は魅力的。琉球と一体となって世界自然登録を目指し確実に進んでいます。また、黒糖焼酎工場に行き、仕込み、蒸留、熟成(音楽熟成)などの製造工程を見学しました。ここから世界に向けて出荷されています。
奄美は多くの可能性を秘めた魅力的な地域です。引き続き奄美の発展のために尽くして参ります。