片山右京さん.jpg

9月1日、F1レーサーとして活躍された片山右京さんが来訪、スポーツ振興等について懇談をしました。片山右京さんは現在、日本の自転車競技の発展・普及、自転車による地域振興についても取り組んでおり、意見交換をしました。これまでも私の地元、国交省荒川下流河川事務所主催の「あらかわマナーアップミーティング」にも何度もゲストとして出席、自転車マナー向上にご尽力を頂いています。

「スポーツの振興とスポーツを産業に」――私はこれまでスポーツ庁の設置やナショナル・トレーニングセンターの拡充、スポーツの産業化等に推進してきました。また広島と愛媛を結ぶしまなみ海道サイクリングの推進、ツール・ド・フランスさいたまクリテリウムなど、自転車競技・地域振興に力を注いできました。いい懇談ができました。


いのちの証言.jpg副題は「ナチスの時代を生き延びたユダヤ人と日本人」――。ベルリン在住の作家・六草いちかさんが、あの凄惨な時代を奇跡的に生き延びたユダヤ人と、杉原千畝(リトアニア領事代理)のようにそれを助けた日本人を丹念に取材し調べあげたもの。証言は生々しく、壮絶。「生き延びたのは偶然の積み重ね」「生死を分けた一瞬に自ら死を賭した捨て身の人がいてくれた」「密かにユダヤ人を助けるドイツ人や在独の日本人」・・・・・・。狂気に同調してしまう人間、人間性とは・・・・・・。問いは重く苦しい。

1933年ヒトラー内閣成立、ユダヤ人の公職からの追放、焚書事件、反ユダヤ運動の広がり。1935年ニュルンベルク法制定によってユダヤ人の人権が公然と剥奪。1938年11月の「水晶の夜」事件発生、町全体がユダヤ人憎悪の危険状態に突入。1939年ドイツのポーランド侵攻・第二次世界大戦。1941年ベルリンからの強制収容所行き列車移送開始、ユダヤ人の出国禁止。1942年7月ベルリンからアウシュヴィッツ絶滅収容所行き列車移送開始。1943年2月、ベルリン市内残留ユダヤ人を残らずアウシュヴィッツへ送る「工場作戦」実施(ベルリンからユダヤ人一掃作戦)。1945年4月、ソ連軍のベルリン砲撃。そして5月にドイツ降伏。

ベルリンにはかつて16万人以上のユダヤ人が暮らしていたが、終戦までこの町で生き延びたのはわずか6千人だった。日独が同盟関係にあったなかでユダヤ人を救ったベルリンの日本大使館、古賀守、近衛秀麿、藤村義朗、杉原千畝、毛利誠子・・・・・・。多くの日本人が描かれている。


荒川視察 170829①.jpg  荒川視察 170829②.jpg

荒川流域の万全な治水対策を――。29日、荒川流域全体の治水対策の現状と対策について視察を行いました。これには、竹谷とし子、矢倉克夫の両参院議員、うすい浩一、けいの信一の両都議、大島実、青木ひろこの両北区議、中野邦彦、かいべとも子の両板橋区議が参加しました。

まず、埼玉県戸田市の荒川第一調節池へ直行。いわゆる彩湖の所です。この調節池は荒川洪水時の被害に備えたもので、3900万立法メートルの貯水能力があります。治水と利水を目的に総合開発され、平成9年に利水の貯水池として「彩湖」が、平成15年に治水部分ができ、全体が完成しました。

日頃は「彩湖」から生活用水の取水をしていますが、荒川が増水すると荒川第一調節池の上流部分から段階的に水を引き込み、荒川下流の水位の急激な上昇を抑える、いわばダムの役割を果たします。今後、この上流で新たな調節池が計画されており、埼玉県や関係自治体、住民の方々の理解と連携が必要となります。

この後、船で戸田から下流の状況視察を行いました。隅田川を守る岩淵水門の耐震化や芝川水門の耐震化も完了し、堤防強化策として堤防の上部•天端の強化や法尻の強化も完了しました。私はこれらの強化策を推進、さらに2年前に日本で初のタイムラインをこの荒川でスタートさせました。いずれも進捗していますが、高規格堤防(スーパー堤防)も進んでおり、この日は高規格堤防の上に建つ足立区新田のハートアイランド、そしてこれから進めていく新田一丁目の状況を確認しました。

今年も九州や秋田で水害が発生、近年の雨の降り方は局地化、集中化、激甚化しています。荒川をはじめとして、各河川の水害対策に全力をあげます。

荒川視察 170829③.jpg


戦争を知っている最後の政治家 中曽根康弘の言葉.jpg「私の体の中には国家がある」「政治家は歴史の法廷に立つ。その決断の重さの自覚なくして国家の指導者たりえない」「政治家は、寝ても覚めても、この国をどうするかという課題を、いつも胸に抱いていないといけない立場である」――。まさに中曽根元総理を語ることが、そのまま戦後の日本の政治を語ることになっている。若い時も総理の時も、その後も今もだ。まず本書で感じたことはその凄さだ。

「中曽根は、総理大臣には『経済重視型』(吉田茂、池田勇人、佐藤栄作・・・・・・)と、『政治重視型(思想重視型)』(岸信介、三木武夫、中曽根・・・・・・)がいて、代わり代わり出てくると政治はうまくいく、という」「かくして中曽根は、『反吉田茂勢力』『反共産勢力』『自主憲法制定』『再軍備』を訴えて選挙を戦ったのである(1947年4月)」「"大局さえ失わないなら大いに妥協しなさい"・・・・・・この言葉ほど私の人生観を左右したものはない」「マッカーサー総司令部は、軍国主義復活の芽を徹底的につぶそうとし、その中核を形成した過激な国家主義に対する警戒心を緩めませんでした。しかし、私は健全なナショナリズム、その基盤となる愛国心こそ戦後の復興に不可欠なものと考えていました」「・・・・・・その間、現憲法も国民の間に受け入れられ、自由や民主主義、平等という考えも定着し、今日の日本の繁栄を支える大きな基礎となったことは否定できない。ただ、その過程で見失ったことも多い。やはり歴史や伝統、文化といった日本固有の価値をうたわぬことは、その国の憲法にとって大きな欠落と言うべきだろう」「我々の手による堂々たる憲法を作らなければならない」「政治家は、結果責任で仕事をしなければ失格である」・・・・・・。

戦後日本の政治史を語るには、本書は短い。だが、中曽根元総理の言葉を掘り起こすことによって、戦後の政治史・事件・抗争がありありと見えてくる。


防災訓練①.jpg 浮間防災訓練①.jpg

9月1日防災の日を前にして、各町会・自治会では防災訓練が始まりました。

27日(日)、滝野川や浮間の連合防災訓練が行われました。暑いなか多くの方が参加し、初期消火訓練、煙の対応、AEDの使い方、救護活動、炊き出し、地元消防団との一体的な活動など、さまざまな場面を想定した訓練が実施されました。私は「自助・共助・公助に加えて近助が大事。近所の繋がりが防災の砦となる。よろしくお願いいたします」と挨拶しました。

この土日、納涼盆踊りや子ども花火大会など多くの行事が行われ、子供たちにとっても夏休み最後の土日、楽しい時間となりました。役員の皆様に感謝いたします。

花火大会①.jpg 駒込②.jpg

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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