2日(月)、赤羽駅東口で街頭演説会を行い、安倍晋三首相(自民党総裁)と公明党の山口那津男代表が、応援に駆けつけていただきました。
安倍首相は、私の国交大臣時代に日本の再建に向け、懸命に戦ったことを評価、「800万人が限界だった訪日外国人旅行者を、2800万人に迫るまで爆発的に増やし、『観光』を日本の(産業の)大きな柱にしたのは太田さんだ」
「東京北医療センターを守り抜いたのも太田さんだ」と訴えていただきました。
そして、「日本の未来を、子どもたちの未来を守り続けていくために、自民党、公明党の連立政権の要である太田あきひろさんに力を与えてほしい」と呼び掛けました。
山口代表は、「少子高齢化や北朝鮮問題に対処するためにも、自公連立政権の継続が不可欠だ。連立政権の要である太田あきひろさんを押し上げてほしい」と訴えました。
私は「政治は結果」「仕事をしなければ政治家ではない」との私の信条を述べ、「厳しい戦いを断じて勝ち抜く」と決意を述べました。
街頭演説会には、自民党東京都連の鴨下一郎会長、高島直樹幹事長、北区の高木啓総支部長はじめ同区議会自民党の代表の皆さんも参加していただき、私、太田あきひろへのエールをいただきました。
月曜日の日中にもかかわらず、大変に多くの皆さまにお集まりいただき、ありがとうございました。皆さまのご声援に断じてお応えするため、なお一層、全力で走り抜いてまいります!
1日は、北区の十条銀座商店街、豊島区の大塚駅北口、足立区の江北駅前、北区・板橋区の境である浮間舟渡駅前でマイクを握りました。暑い日になりましたが、多くの方に足を止めていただき、心から感謝申し上げます。
江北駅前では足立区の近藤やよい区長と共に街頭に立ちました。
私は、芝川水門の耐震補強を実施し、水害から足立区を守るための手を打ち、さらには台風の上陸などに備え、行政や防災関連機関、近隣住民などがとるべき行動を時系列で示した「タイムライン」を、全国に先駆けて荒川下流域で導入しました。
また、足立区の皆さまの重要な生活の足となっている日暮里・舎人ライナーの早期開業や、朝・夜の増便を実現したことを紹介。
そのほか「きつい・汚い・危険」の3Kといわれてきた建設現場での仕事を、「給料がいい・休暇がある・希望がある」という新しい3Kにするために、職人の方々の賃金アップを実現してきたことを訴えました。
応援に駆けつけた近藤区長は、「太田さんは防災や交通網整備だけでなく、待機児童ゼロに向けて、保育ママが継続していけるよう率先して、動き、結果を出していただいた」と支援を訴えていただきました。
太田あきひろ、日本が険しい坂道に差し掛かっている今こそ、自公政権の要として、一生懸命頑張ってまいります!
衆院解散後、最初の週末となった9月30日は、北区の赤羽駅、王子駅で街頭演説を行い、「政治は結果であり、日本のため、地域のため、困っている人のため全力で頑張る!」と訴えました。
赤羽駅前での街頭演説では、荒川の氾濫に備えて岩淵水門の耐震化のほか、堤防の強化・補強などに取り組んできたことを報告。
また、日本のメダルラッシュの〝電源地〟であるナショナルトレーニングセンター(西が丘)の早期開設や拡充に尽力してきたこと。
民主党政権で閉鎖の危機にあった東京北医療センター(赤羽台)を守り抜くために、近隣住民の皆さんの声を受け、坂口力・元厚労大臣や地元区議等と奔走し、存続を勝ち取ったことなどを紹介しました。
「赤羽」が最近では全国的にも有名な街になったことは嬉しい限りです。地域の元気ために、これからも現場を走り抜きます。
昨日28日昼の本会議で、衆議院が解散しました。私はさっそく赤羽駅、大塚駅、巣鴨駅で街頭に立ちました。全力で走り抜きます!
今、日本は大きな危機に直面しています。
一つは北朝鮮です。今、米国と北朝鮮のトップが、互いに〝口撃〟していますが、エスカレートして不測の事態に発展するのではと不安を抱いている方が非常に多い。今後、事態がさらに緊迫してくるとの予想もあります。
今こそ、日本と国民の生命・財産を守れる力強い政権基盤を構築しなければなりません。それができるのは、自民党、公明党の連立政権であり、私、太田あきひろです。
もう一つは、急速度で進む少子高齢化です。現場を歩くと、お年寄りから「エレベーターやエスカレーターがないと生活できない」という切実な声が寄せられます。大変に深刻な事態であり、年金・医療・介護、バリアフリーの街づくりは喫緊の課題です。
また、少子化であるからこそ、子育て支援、教育支援にはこれまで以上に力を入れていく必要があります。
政治は結果です。私はどんな立場でも、いつも全力で現場を歩き、皆さんの暮らしの声に耳を傾けてきました。国土交通大臣として、防災・減災対策に全力を挙げ、地元では岩淵水門の耐震化や、荒川土手の補強も完成させました。
景気・経済をさらに上向かせ、勢いのある街、北区、足立区、豊島区、板橋区のために一生懸命、頑張ります。
まさに「知の巨人」。戦後日本の深層を自らの歩みから語る感動的、圧巻の書となっている。御厨貴さんら4人が、山崎正和さんへのロングインタビューを行ったものだ。これまで大事な時に山崎さんに話をうかがい、また著作にふれてきた私だが、そのインタビューの場に同席させてもらったような感動を覚えた。
まず感ずるのは、日本の時代と社会と人など直面する課題への関わり方の厚みだ。満州での少年期・終戦体験、戦後の左翼に傾斜する知識人への対処、共産党活動からの離脱、「世阿彌」の執筆、米国での自作の戯曲上演・・・・・・。20代、30代での仕事があまりにも濃密、あの碩学との対談「対談天皇日本史」刊行も40歳の時だ。「鷗外 戦う家長」「不機嫌の時代」「柔らかい個人主義の誕生」など、時代・社会の微妙な変化の"気分"を察知する洞察が、いかに哲学・思想の深みから発したものかを、本書は生々しく示している。サントリー文化財団設立、大阪大学への異動と演劇学講座創設、政治との関わりや内閣官房からの要請、中央教育審議会の会長就任・・・・・・。いずれも政権中枢や大阪など地方の難題に真正面から取り組んできたものだ。それは、時代の直面する課題を、より根底的にとらえる正視眼の姿勢、毅然たる山崎さんの姿勢を頼りにし求めているからだと思う。そして、組織の硬直的な権威主義や、いわゆる"左翼"と戦うなか自ら切り拓いてきた姿勢が凄い。「舞台をまわす」だ。
急激な大衆化のなかで、浅薄で煽動に乗りやすい体質がつくられ、ポピュリズムとナショナリズムに翻弄されがちな社会のなかで「常に問題解決の方途を示す中道の精神」「偏ることなく全体を如実知見する中道の精神」「道に中(あた)る中道の精神」を感じた。