10月29日、この日は世界の水循環、水災害を考える上で大きな一日となりました。
午後は、皇太子殿下をお迎えして行われた国連「水と衛生に関する諮問委員会」に出席して私も発言。また夜は皇居で、来日しているオランダのアレキサンダー国王を歓迎する宮中晩餐会に出席しました。国王は昨年5月までの皇太子時代、「水と衛生委員会」の第2代議長を務められ、世界の水問題解決に深く関わってきておられます。晩餐会でも、明治時代よりデ・レイケなどの土木技術者がオランダから日本に来て、我が国の河川工学に寄与した実績について、天皇陛下と国王からご発言がありました。
国連「水と衛生委員会」は各国の閣僚経験者や有識者がメンバーとなって、安全な飲み水確保など世界の水資源問題解決に向けた提言を行うためのもので、皇太子殿下が名誉総裁を務められています。この日の会議には20か国から約40人が参加。皇太子殿下のお言葉の後、私が挨拶し、「我が国は今年、水循環基本法を制定して世界に先駆けた取り組みを始めた。治水や利水の大切さを世界で共有し、健全な水循環の確保に向けて行動を起こしていきたい」と述べました。
その後の討論では、アイト議長(元ドイツ経済協力開発省副大臣)が日本の支援と貢献に感謝を表明。ハン・スンス国連事務総長特使(元韓国首相)、シンソン・フィリピン公共事業道路大臣をはじめ、オランダ、コロンビア、ブルガリアの代表者から、「世界で起きている災害の教訓を学んで備えをしていくことが大事」「水循環のガバナンスが重要」など意見表明が続きました。討論の締め括りとして私から、防災の情報を避難に結びつけることの重要性や、今年からタイムラインの取り組みを始めたことなど、我が国の防災対策の考え方と現状を説明しました。
世界の水災害や水循環の問題を共に考えるとともに、我が国の取り組みを示すいい機会となりました。
「建設業で働く女性を"けんせつ小町"に」――10月28日、建設業の現場で活躍する11名の女性が国土交通大臣室に来られました。建設業で働く女性の愛称を決定したので広めていきたいとのことです。
これまでは"ドボジョ"(土木女子)の愛称が普及していますが、土木だけでなく建築や設備、機械など幅広い職種を指す言葉として選ばれたものです。たいへん親しみやすいネーミングで、建設業界で女性が活き活きと活躍できるということをアピールできます。
私はこれまでも、建設業で働く女性たちとの対談や、女性活用のモデルケースである東京外環の建設現場視察など、取り組みを行ってきました。男の職場というイメージが強い建設業でも、女性がもっと活躍できるようにするための動きが着々と広がってきています。
女性が活躍する社会の実現に向けてしっかり取り組みます。
6本のスポーツ短編集。「連投(高校野球の神奈川予選)」「インターセプト(アメリカンフットボール)」「失投(やり投の第一人者と若きライバル)」「ペースダウン(箱根駅伝の快走後の初マラソン)」「クラッシャー(怪我に悩まされ続けたラグビーの4年生フォワード)」「右と左(もつれにもつれたプロ野球のシーズン最終戦のマウンドを誰に託するか)」――。
スポーツ選手は勝負に生きているだけに、ある部分においてきわめて神経質だ。しかも、怪我に悩まされ続ける。練習しなければ強くなれないが、怪我はより悪化するのではないかと逡巡する。過度の作られてしまった期待もある。ここで退けば1人取り残されるのではないか。さまざまな恐怖も同居する。そんななかでの攻守が入れ替わるターンオーバーの瞬間が必ず訪れる。
いずれも、あまりにも納得できる短編だが、「自分の力を誇示することしか考えていなかった。そうじゃない。ラグビーは、誰か――チームメートのためにやるものだ。味方を信じて命を預け、たった一つの目的のために心を一つにする。・・・・・・」――ラグビーをやっていた堂場さんの愛着がにじみ出ている。
「私の理想は、無名のうちに慎ましく生きて、何も声を上げずに死んでしまうことです。ただ、文章を書きたいという欲求はある」「人間というのは、生きていると社会的地位や肩書がくっついたり、係累がまとわりついたりします。そういうもの一切を払い捨ててゆきたい、脱ぎ捨ててゆきたい、何にも持たない生まれてきたときの自分にもどり、大地に還っていきたい」「現代人は自己顕示に汲々とし、自己愛に苦しんでいる。虚しい自己顕示競争に駆り立てられるのではなく、"自分の人生の主人になる"ことだ」「自分を匿さない。のた打ってでも生きることだ」「ナショナリズムとは、近代国民国家が生み出した病弊でしかありません・・・・・・膨大な人命を犠牲にして負けたあの戦争から学ぶことはいくつもあるけれど、イデオロギーとしてのナショナリズムは卒業したというのが、戦後最大の成果だと私は思っている」「パトリオティズムともいうべき愛国主義的な感情は個々の国民も持ったでしょうけど、自分たちの国を守らなくては、という意識はありませんでした。これが近代国民国家になると、国民一人ひとりが国を守るために命を捨てねばならないことになる」・・・・・・。
「逝きし世の面影」についてもふれている。従来の江戸時代のイメージとは相当違っている。前近代の社会は近代の社会とは大いに違うこと、そして優劣ではなく、不連続であること、「それはそれなりにいい文明なんだ」と、現代文明を相対化する鏡として示したことを、淡々と語る。江戸の人びとは、貧しくとも幸せであり、幸せに暮らす術を知っていたのだともいう。
「生きる」「無名」「幸福」を、渡辺京二さんの境地から語ってくれている。人生論は生命論。仏法の「煩悩即菩提」「桜梅桃李の己己の当体を改めずして無作三身と開見すれば是れ即ち量の義なり」を思いつつ考えた。