信玄の軍配者.jpg「早雲の軍配者」に続く、武田晴信(のちの信玄)の軍配者・山本勘助(四郎左)を描いた力作。

醜い顔、齢四十を超えながら無為の日々を過ごしてきた四郎左が、命をかけてやっと得た主君と軍配者の役割り。智略のみならず、千草や雪姫との情愛、足利学校で共に学んだ風摩小太郎(北條氏の軍配者)、曽我冬之助(扇谷上杉氏、後には越後の上杉氏の軍配者)との生死をかけた心の通い合いが快い。


240203池袋訓練1.JPG太田あきひろです。

今日(3日)、首都直下地震を想定した帰宅困難者対策訓練が東京の主要駅で行われ、私は池袋駅とデパート、ホテル、公園等を視察しました。

東日本大震災では、首都圏で515万人、都内で352万人の帰宅困難者が出ました。訓練は東京湾北部を震源とする首都直下地震が発生し、都内の交通機関は運行停止、幹線道路も建物崩壊や火災発生で交通が大混乱したという想定で行われました。各会場合わせ約1万人の方々が参加した大規模訓練です。

なんといっても大事なことは、情報が迅速かつ正確に知らされること、動線が確保されること、避難場所など地域との連携がとれて誘導できることです。日頃からのしっかりした訓練が大切であることを改めて痛感しました。

大震災に対する防災・防火・耐震に更に力を入れます。頑張ります。


寡黙なる巨人.jpg「免疫の意味論」の多田富雄さんは2001年5月2日、旅先の金沢で脳梗塞で倒れ、死線をさまよう。右半身は完全に麻痺し、言葉はしゃべれず、嚥下障害。飲むこと、食べること自体が命がけ。驚くべきことにこの書は、その後、約5年の間に書かれたものだ。

哲学も思想も文化・芸術も、とくに能楽にも造詣の深い多田さんが、壮絶な戦いのなかで、その深き透徹した人生観を語ってくれているが、何といっても"生きる"そのものの自らの新たな境地を語ってくれる。一言一言が、衝撃でもあり、ある箇所では息が止まり、また数分静かに考えたりもするほどだ。

リハビリを始めてから、自死を考えていた多田さんが、今までの自分ではない「新しい人」が目覚め、わき出してくることを感ずる。「鈍重な巨人」「寡黙なる巨人」が動き出す。一歩ずつ。そして小さな、かすかな一歩が感動となり、涙をぬらす。

小林秀雄についても語る。「死は日常茶飯事で、地獄も浄土も身近にそこにあった。それを醒めた目で眺め、たどり着いた想念が無常観だった。いまわれわれが感じている不安、不確実性は、中世にあった無常と通じている。だが現代は無常などといって心を澄ますことはできない。動物的にただ不安がっているだけだ。それは常なるものを見失っているからだと小林は指摘する。常なるものがなければ、無常を見ることもできない」――地獄を見た多田さんの言葉だ。


竹中労.jpg伝説の竹中労さんの没後20年。「左右を弁別すべからざる状況」――大杉栄はこの危機を打開するのは右も左もない、共に連帯して立ち上がれといった。竹中労はそれをまさに平然と動きに動いた。「人は、無力だから群れるのではない。あべこべに、群れるから無力なのだ」――鈴木氏は、「自分が見、話を聞いた竹中労、心酔した竹中労、そして時には争い、ぶつかった竹中労」をどんどん描く。

私も1970年前後、竹中労や太田竜、「現代の眼」などもかなり読んだ。1985年頃に、直接会い、本書に出てくる何人かを紹介してもらったこともある。会ってもカベが全くなく、話にも、書くものにもリズムと勢いがあった。本書で紹介している「どうしてタイの民衆が貧しいと日本人はいえるのですか?」という民衆への愛情と思想の拠点、権力への怒りがあった。

私の場合「左右」というより「上下」の軸――下から現場から生身の人間から、烈風のなかグチもいわず生き抜く靭い庶民の側に立つ。「如実知見」「諸法実相」「依正不二」「蔵の財より身の財、身の財より心の財」。そんなことも話し合った。時代を振り返りながら読んだ。


源平興亡三百年.jpgNHKで大河ドラマ「平清盛」が始まった。画面が汚いといわれたそうだが、重厚な画面を受け入れるだけのパワーが現代社会にないのかもしれない。

平将門・藤原純友の承平・天慶の乱(935年?941年)
前九年の役(1051)
後三年の役(1083)
院政(1086)
源義家の昇殿を許可(1098)
保元の乱(1156)
平治の乱(1159)
平清盛が太政大臣(1167)
源頼朝の挙兵(1180)
壇ノ浦の戦(1185)
鎌倉幕府の成立(1192)
後鳥羽上皇の討幕と幕府の反撃の承久の乱(1221)・・・・・・。

まさに源平興亡の300年だ。

しかし、常に、源平の戦いの上には朝廷があり、戦いには「錦の御旗」を常に掲げた。武士の力は巨大化したが、武家政権を呪縛し続けた朝廷の権威こそ自らの正当性を保障する「錦の御旗」であり、それは幕末まで続くことになる。しかもこの源平激突の時期には院政というシステムまで築かれた。まさに、鎌倉幕府が、朝廷との妥協の上に成立したことが、その後の歴史に宿命的に継続されていく。永久不変におかしがたい「権威」である。

「奢る平家は久しからず」「平清盛悪人説」「屋島や壇ノ浦のエピソード」「頼朝と義経」――。
本書は、それらの真偽、誇張、謀略、逸話と尾ひれ等々についても、解説してくれている。

<<前の5件

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

太田あきひろホームページへ

カテゴリ一覧

最新記事一覧

月別アーカイブ

上へ