「G O(柴咲コウ)」「世界の中心で、愛をさけぶ(長澤まさみ)」「春の雪(竹内結子)」「北の零年(吉永小百合)」「劇場(松岡茉優)」、そして「リボルバー・リリー(綾瀬はるか)」など・・・・・・。デビュー以来、25年にわたって、映画史に直刻む作品を撮り続けてきた映画監督・行定勲。身近で接してきた名だたる女優たちの挑む姿をエピソードを交えて語る女優論、映画論。映像でしか見たことのない我々だが、女優の奥行きと葛藤、凄さを知ることができ面白い。それを引き出したのが映画監督・行定勲と言えるだろう。行定勲は成瀬巳喜男監督を尊敬し、その成瀬監督が最も敬愛していたのが女優・高峰秀子だった。根っこはそこにあるようだ。
ヒロインをいかに組み立てるか――。凄い、無敵の松岡茉優――ストーリーを理解するだけでなく、この映画が社会に存在する上でどうあるべきかがわかっている末恐ろしい技巧派。女優としての重力、重い色っぽさがある有村架純――清楚でありながら、強烈に匂い立つものがある。自分をさらけ出すことに達成感を見いだすことができる人は期待できる。成熟した裸体を堂々と見せた二階堂ふみ――無鉄砲で自分が動けば何でも実現すると信じ、現実に成立させてしまう。台本を500回も読んできた8歳の芦田愛菜――現場で感情をプラスしてしまう天才。自分で考え、細かい芝居を加えてくる。美しさだけでなく、喜怒哀楽の陰影が豊かな薬師丸ひろ子――気の強さも儚さも、可愛らしさも全てを携えている。緊張すると腕組みをする癖があった沢尻エリカ――すごくわかりやすい子で、僕の演出は彼女の腕組みをほどくところから始まった。削ぎ落とした末に風格が立ち現れる竹内結子――存命だったら今も指名していた女優だ。美人で意志があって、でも柔らかくて、しっとりしていて、アグレッシヴでもあるそんな女優はなかなかいない。
誰が見ても大女優だが、ご本人はあくまでもニュートラルであろうとされている吉永小百合――できるだけ監督の話を聴こうとし、監督が望んでいることに近づけようとする人。次はもっと、その次はもっとと本気で思ってる人。人と仕事をする際の敬意を教えてもらった。相手との距離感や踏み込みには唸らされた大竹しのぶ――均衡が壊れると新鮮さが誕生する。圧倒的なヒロイン綾瀬はるか――初々しさと独特の透明感があり、肉感的でありながら、身体能力が突き抜けていた。被写体としての綾瀬はるかの説得力は、まず体幹の良さにある。めちゃめちゃ暗く全然しゃべらなかった長澤まさみ――自分から坊主にし「坊主に、なっちゃったぁ」と明るく笑った。真っ直ぐな眼差しの柴咲コウ――もし壊そうとしても、絶対壊れない何か。打ち勝ってしまう何か。それがあった。
長澤まさみにも、柴咲コウにも語らなくても伝わってくる「存在の雄弁さ」「芯の強さ」があった。だから、女性を脇役にはできない、と言う。我々が見ている映像とも違和感がないが、奥行きと深さが感じられ迫ってきた。
「あの人物に嘘は通用しない」――加賀恭一郎がきちっと理詰めで攻めていくシリーズ最新刊。8月の別荘地に裕福な家族が集まってくる。総合病院を経営する櫻木洋一と妻・千鶴、そのわがままな一人娘・理恵と婚約者・的場雅也。大企業の会長・高塚俊策とやり手の妻・桂子と会社の部下の小坂家3人。公認会計士の栗原正則と美容院経営の妻・由美子と中学生の娘・朋香。6年前から別荘地に移り住んだ未亡人の山之内静枝と姪夫婦で病院に勤務する鷲尾春那・英輔。そこで今年も恒例のバーベキュー・パーティが行なわれた。その夜、連続殺人事件の惨事が起きる。閑静な別荘地で、ある意味では、閉鎖された密閉空間での恐るべき殺人事件だ。
5人殺害、1人未遂――。殺されたのは櫻木洋一、高塚桂子、栗原夫妻、鷲尾英輔、未遂が的場雅也。ところがすぐに「俺が犯罪者だ」「生きている意味を感じないので、死刑になりたい。自分を蔑ろにした家族への復讐」と桧川大志という男が名乗り出て逮捕される。しかしそれ以上何も語らない。また被害家族との関係も全く見出せなかった。
事件に巻き込まれた家族たちは、真相を自分たちで解き明かそうとし、遺族が別荘地に集まり、検証会を実施することになる。鷲尾春那に頼まれ、長期休暇中の刑事・加賀恭一郎もそれに参加することになる。そして参加者には、「あなたが誰かを殺した」という手紙が送られていたことがわかる。疑心暗鬼の被害家族、次第にわかってくるそれぞれの家族の複雑な内情・・・・・・。そして事件の真相を加賀恭一郎が整理し、分析し、核心に迫っていく。いつもながら見事な東野圭吾の世界。
ミステリー小説ではない。歴史学者による実証研究の書。「堀田正俊と徳川綱吉」が副題。第5代将軍綱吉の時代(在職1680〜1709年)。元禄14年(1701)の江戸城内の「松の廊下」事件のほかにもう1件、貞享元年(1684)8月28日、大老・ 堀田正俊が若年寄・稲葉正休に脇腹を刺されて死亡した。赤穂浪士の話ばかりが有名だが、江戸城内で大老が刺し殺されるという大事件だ。こんな事件がなぜ起きたのか――。この殺人に綱吉の意志が働いていた。堀田正俊は、綱吉の度が過ぎるほどの犬愛護、それに落ち度があった者への厳しい処刑、恐怖政治、能役者の幕臣への登用など、諫言を繰り返したという。それを疎ましく思っていた綱吉は、ついに正俊の大老辞職を迫り、それが拒まれ殺害に至ったという説を立証している。
そこには、「綱吉の政治の是非(明君か暗君か)」「正俊が目指す仁政の実現と綱吉との食い違い」、何よりもよって立つ「儒学」に対する考え方の根本的違いが深刻な亀裂となったと分析する。近年になって、生類憐みの令が「仁政の実現」と言う評価があるが、「百件を優に超える法令によって、民衆の生活に立ち入り、厳しい処罰や取り締まりによって達成される仁政とはいったい何であろうか」と言う。正俊の著作「颺言録(ようげんろく)」には、仁政思想、明君たるべき将軍像が描かれている。綱吉を立てて書いたために、虚実が混ざっている。「民は国の本」「日本版貞観政要を意識」「仁政は父母の心で子たる民衆に望むこと」「命令や法律に頼らず、将軍自ら率先して人徳を示し、人々の心を感化して風俗を変えることこそ仁政である」「老子に『大国を治むるは小鮮を烹るが如し』とあるように、大国を預かる君主は、民衆の行いを逐一気にして介入し、その行いを正そうとするような小心翼々とした構えではいけない」などが描かれているいる。また綱吉は「儒学好き」で大名相手に講義をよくしたといわれるが、「儒学は修己治人の生きた学問、活学であって、儒学を講釈することと、儒学によって民衆を治めることはイコールではない」と解説している。綱吉の厳罰主義や、政治のやり方、講釈する儒学に、荻生徂徠、熊沢蕃山、新井白石などもそれぞれの立場で厳しい目を注いだ。正俊は諫言によって、綱吉の逸脱を正し、明君像近づけようとしたが、綱吉はそれを憎み、疎んじて大老職引退を迫り、それを拒否したことによって、事件が起こったと分析する。
正俊は、自分の死を予感していた節があり、それゆえに「颺言録」の完結を急いだようだ。綱吉を支えたのはたった4年。堀田正俊が殺され、綱吉のブレーキ役がいなくなり、生類憐れみの令、恐怖政治が進んでしまったようだ。きわめて面白い、示唆するところ大の著作。
5日、「改正動物愛護管理法を考えるシンポジウム2023」が開催され、挨拶をしました。「公益財団法人動物環境・福祉協会Eva(杉本彩代表理事)」をはじめ、熱心に取り組んでいる諸団体や学識関係者、国会議員が多数集い意見交換をしました。4年前の2019年の改正で、動物虐待に対する大幅な罰則強化、マイクロチップの装着義務等の大きな改正が行われましたが、まだまだ「動物愛護」への法改正や運用改善の推進が不可欠。この日のシンポジウムでも、「緊急一時保護の必要性」「移動販売の禁止」「10億頭の産業動物のアニマルウェルフェアを守るために必要な新たな条項」など現場からの切実な意見が述べられました。私はこの2~3年も、直接現場からの深刻な声を聞いており、連携をさらにとって「改正」に努力していくことを述べました。