daiti.jpg「一握りの土に5億年の重みがある」「土は極めて複雑だ。大さじスプーンすりきり一杯(10グラム)の土に、世界人口を上回る100億個の細菌、さらに無数の菌類、古細菌、ウイルスが共存している」「地球の歴史46億年の中で、41億年目まで地球に土はなかった。5億年前に植物が上陸したことで、緑と土に覆われた大地が誕生した。ここで、他の惑星にも共通する石や砂の物語から分かれ、地球は独自の土の物語を紡ぎ始める。土壌とは岩石の風化によって生まれた砂や粘土に腐った動植物遺体が混ざったものだ」「植物と土の歩んだ5億年、ヒトと土の歩んだ1万年」――。副題には「せめぎあう土と生き物たち」とあり、土と人類の驚異の歴史が語られる。極めて面白い。

「土は少しづつ『変化』し、『酸性』という厄介な性格を持つ」「酸性土壌に適応したマツ、岩を食べるキノコ」「氷の世界の森と土」「水に恵まれた森の楽園・奇跡の島国日本、降り積もる火山灰」「草を食べ尽くすブラキオサウルス、ゲップやおならを含め2億年前の地球を温暖化させるのに充分な量」「アマゾンの黒い川と白い川」「オランウータン、土を食べる」「雨が増えると、土が酸性になる。樹木は生まれ育った酸性土壌に適応力があるが、ムギやトウモロ之シのような栽培作物は、生まれ育った半乾燥地の中性土壌に適応してきたので酸性の土壌には弱い」「エジプトはナイルの溶存有機物の賜物」「田んぼによる酸性土壌の克服、水田稲作のおかげで日本の農業は発展、人口も増えた」「窒素肥料の功罪、土壌劣化を加速する資本主義」「木材を輸入する森林大国・日本。木材は輸入で賄われ、熱帯雨林は減少、手つかずの日本のスギ人工林」・・・・・・。

土をめぐる競争と絶滅の繰り返し、「必死になって居場所と栄養分を求めてきた植物・動物・人間の試行錯誤の歴史の末に今がある」と言う。


tugaru.jpg関ヶ原の戦から10年後の1610年、石田三成の3女・辰姫が津軽家に嫁ぐ。三成が処刑された後、豊臣秀吉の後室の高台院(北政所)に庇護されていたが、19歳で津軽信枚に嫁いだのだ。ところがその3年後、家康の養女・満天姫が正室として嫁いでくる。満天姫は福島正則の姉の子・正之に嫁いでいたが、正則によって廃嫡・死亡され、息子とともに実家に戻されていた。辰姫は上野国大館ヘ移るが、後の藩主となる長男を産む。関ヶ原から遠く離れた津軽の地で、三成の娘・辰姫と家康の養女である満天姫とが切り結ぶ。西軍の花と東軍の花の対決。女同士の嫉妬や競争心の醜い応酬と思いきや、全く違う戦国女性のキリリとした聡明さと忍耐強さ、矜持を持ったニ人の姿が描かれる。男どもには及びもつかぬ女性の靭さに感服する。

「されど、家康殿は朝廷をわが思いのままにしようとされておる。・・・・・・源吾は言葉を発することができなかった。大阪の陣は家康が豊臣家を滅ぼそうと始めた戦だと思っていた。だが、高台院の話を聞けば、むしろ豊臣家から仕掛けた戦だという」「それにしても、津軽の花は見事に咲いたようじゃな。高台院はくっくっと楽しげに笑った」「世間から見れば憎み合い、謗り合う仲であるはずでした。しかし、わたくしにとって、あなたは生きる支えでした。あなたがいなければ、わたくしは自らのなすべきことを何一つなせなかったと思います」「わたくしも同じでございます。満天姫様に一度、お会いした時から、わたくしは自らを磨こうと思いました。まっすぐの道を歩もうと心に定めました。もし、そうでなければ、満天姫様に笑われる。その思いがわたくしを導いてきました」・・・・・・。縁は関ヶ原の戦いから始まり、津軽の地で、石田三成の娘として負けられない戦と、徳川家康の養女として勝たねばならない戦が繰り広げられたのだ。「守らなければならないものを守ろうとして」の戦だ。

本書は、このほかに「鳳凰記」「虎狼なり」「鷹、翔ける」の短編が収められている。「鳳凰記」は、後陽成天皇を守ろうとした豊臣秀吉の精神、大阪冬の陣に臨む淀君の姿が描かれる。「虎狼なり」は、関ヶ原の戦いに挑む石田三成の思いもよらぬ戦略と安国寺恵瓊。「鷹、翔ける」は、本能寺の変に向かう斉藤内蔵助利三の心に秘め続けたもの、を描く。いずれも良い。


koto.jpg「人生の幕が下りる。近頃、そんなことをよく思う。・・・・・・今年(2015)から京都で暮らしている。何度か取材で訪れた京都だが、もう一度、じっくり見たくなった。古都の闇には生きる縁となる感銘がひそんでいる気がする。幕が下りるその前に見ておくべきものは、やはり見たいのだ(薪能)」「このエッセイの連載は、――幕が下りる、その前にとサブタイトルをつけた。幕が下りる前にしなければならないことがある(義仲寺)」とある。京都の街に潜んでいる人と歴史を探訪する実に味わい深い珠玉のエッセイ68篇。感動的。早く亡くなったことが残念に思われるが、その後出版された本を何冊も読んだゆえに、余計に死が惜しまれる。

「ふと、京を逃れて一騎駆けをした武将がいたことを思い出した。源平争乱の時代を切り裂く稲妻のように生きた木曽義仲だ。義仲のどこに魅かれるかと言えば、誰しも最後はひとりだ、という感慨ではないか(薪能)」「ゾシマ長老と法然」「漂泊の俳人尾崎放哉が見た京の空」「最澄と空海(比叡山)」「千利休始め、山上宗二、古田織部など名だたる茶人が非業の死を遂げたのはなぜだろうか(大徳寺)」「漱石の失恋」「龍馬暗殺」に始まる68篇は、いずれも味わい深い。「梶井基次郎の名作『檸檬』の舞台となった京都の書店・丸善、大爆発(檸檬)」「信長が定宿とした本能寺、比叡山と法華宗の戦いの中で本能寺の変を見る(本能寺)」「与謝蕪村の本当の寂しさ(蕪村)」「芹沢は尊攘派が没落した京都に取り残された。・・・・・・この時期まで芹沢が生きていれば、上洛を目指す天狗党に京で呼応しようとしただろう(芹沢鴨)」「山科に隠棲した大石(大石内蔵助の『狐火』)」「高山彦九郎の土下座」「禁門の変の埋火」「京都の島原と島原の乱(島原縁起)」「一休さんが復興した大徳寺(利休の気魄、一休の反骨)」「三条木屋町の『長浜ラーメン』」「西郷が亡くなる瞬間まで肌身離さず持っていた橋本左内の手紙(西郷の舵)」「紫式部の惑い」「庶民世界に根ざした龍馬の手紙」・・・・・・。

京都の街に潜む人間と歴史――7年も京都に住んでいたが何も見なかったなぁ、前ばかり見て走り回っていたなぁとつくづく思う。もったいない。


syuusifu.jpg28歳にして「終止符のない人生」とは何か、と興味を持ったが、反田恭平さんには確かに終止符はない。その深く、広く、3次元空間を爆走するエネルギーに驚嘆する。尻をぶっ叩かれた思いだ。

ピアニストの世界で、オリンピックやサッカー・ワールドカップのようなすごい大会「ショパン国際ピアノコンクール」で、日本人として51年ぶりの2位の快挙を遂げた反田さん。サッカー少年でもあった反田さんは、骨折を経てピアニストの道に没入する。2012年、高校在学中に日本音楽コンクールで第1位に、2014年にチャイコフスキー記念国立モスクワ音楽院本学科に首席で入学。言葉もわからないロシアでの苦闘が語られる。2015年のイタリアの国際ピアノコンクールで優勝するが、これは無謀とも武勇伝ともいうべき挑戦で、およそ繊細だと思われるピアニストの真逆の行動と生命力に、何か心持よい笑いさえこみ上げる。「いかなる場所でも手を抜くな」「誰がどこで聞いているかわからない。チャンスは目の前にあるといつも思え」――TBS「情熱大陸」でも語っている通りだ。2017年より、ポーランドのフレデリック・ショパン国立音楽大学(ワルシャワ音楽院)に在籍。そして2110月、第18回ショパン国際ピアノコンクールで第2位に輝く。言語絶する緊張感、一生を賭けた勝負が伝わってくる。かくも戦略性を持って挑むのか、壮絶な格闘技を思わせる。「11秒の瞬間瞬間に、永遠が凝縮されているかのような濃密な時間だった」「ああ、自分はなんと幸せ者なのか。ショパンに出会えたおかげで、僕の人生はこんなにも豊かになった。ピアノをやっていて本当によかった」「ステージでピアノを弾きながら、全身の細胞が歓びに打ち震えた。僕の夢のような40分間が終わった」と語る。

その凄まじさは、とどまることを知らない。ピアニストであるとともに、オーケストラを率いる指揮者でもあるのだ。さらに自身のレーベル設立、日本初"株式会社"オーケストラの結成、クラシック界のDX化、コロナ禍におけるオンラインサロンを立ち上げる。バーチャル・リアリティーとメタバースの未来に向け突き進み、アニメ音楽や映画音楽とクラシックの融合、さらには音楽学校設立プロジェクトに意欲的に挑む。文化芸術後進国・日本を覆し、「文化・芸術のソフトパワーによって新しい日本の未来を築く」「奈良を日本のワルシャワへ、いつの日か国際音楽コンクールを音楽の街・奈良で」「ハードパワーによって武力衝突しようとする殺伐とした世界を、僕は音楽の力によって変えていきたい」と言う。圧倒され、嬉しくなる。


笹子トンネル天井板落下事故から10年(2012年12月2日)――。9人の方が亡くなられる大事故でした。直後の12月26日、国土交通大臣に私が任命され、1月にはお正月に東日本大震災視察、笹子トンネルを視察。ボーイング787機のエンジントラブルが発生しました。

「公共事業悪玉論」が1990年代からはびこり、止どめは「コンクリートから人へ」を掲げた民主党政権。八ッ場ダムの建設は止まり、北海道などの道路工事は凍結され、2011年には東日本大震災に見舞われました。

熊本視察① (1).JPG

私は直ちに、「2013年をメンテナンス元年」とする。防災減災に力を入れる。「防災・減災、老朽化対策、メンテナンス、耐震化」に公共事業を大転換する、そう決めました。予算編成においても、その部分の比重を50%以上に向ける決断をしました。これも大転換です。そして「老朽化対策」の工程表を定め、今日に至るまで実施されています。1960年代から建設された公共インフラ。例えば道路部分の橋梁は、高度成長時代は年間1万橋が建設され、現在の新設は2千橋ぐらい。50年が経過し、老朽化対策やメンテナンスが重要となっています。1930年代に作られたアメリカのニューディール政策のインフラが、50年経過した1980年代、橋梁等が落下し、「荒廃するアメリカ」と言われたのは有名な話。

10年以上続いた公共事業の予算削減を止め、「担い手」が重要だとして、「設計労務単価」を大幅に引き上げました。この10年で設計労務単価は1.57倍と急上昇。若い職人さんが育つように、現場の職人さんにその賃金上昇が届くように全力を挙げてきました。まだまだ足りません。そこで若者が入ってくれる職場にと、「きつい、汚い、危険」の3k職場を変えようとし、新しい3 K「給料がいい、休暇がある、希望がある」の職場にしようと呼びかけ、今も日建連を始めとして続けています。

sytokou.jpg 宮城①.JPG

「公共事業はムダであったり悪玉ではない」「公共事業は命を守る」「インフラ整備は便利を獲得するだけでなく、命を守り、生活を守り、防災・減災によって事前に手を打つ」「全国のインフラを総点検し老朽化対策、メンテナンスに力を入れて事前に事故を防止する」「何よりもインフラ整備は、それによって産業を発展させるインフラのストック効果を生む。経済発展の源たるインフラ整備だ」と言う思想への大転換が、東日本大震災と笹子トンネル天井板落下事故の教訓からなされました。政府の中でも、私たちが机を叩くほどの戦いのなか変革させた10年でもありました。未来を見据え、さらにがんばります。

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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