連休明けの7日、新型コロナ対策について連続して会議、打ち合わせを行いました。焦点は、「雇用調整助成金」「中小・小規模事業者、個人事業主の家賃」「困窮する大学生」への支援です。4日の安倍総理の会見で与党側のまとめを要望したものです。公明党は連休中も毎日、検討をしてきました。
「雇用調整助成金」は、企業が従業員を休ませたときに支給されるもの。「一人当たり1日8330円の上限の大幅引き上げ」「手続きの簡略化(オンラインなど)」が課題。これをともに直ちに実現します。
「家賃支援」は、自公協議を連休中から行っており①1か月の売り上げが前年同月比で50%以上減、3か月の売り上げが30%以上減の事業者を対象に半年間の家賃の3分の2を特別給付する②家賃対策を行っている自治体は極めて多く(例えば神戸市はテナントとオーナーで話し合い、引き下げ分の5分の4を支援する)ーーと言うもの。最後の詰めを行っています。
「アルバイトや仕送りのなくなった大学生への支援」は公明党が萩生田文部科学大臣に4月20日、5月1日と申し入れを行っており、授業料減免、給付型奨学金等の対象拡大、緊急小口資金の推進などを実現してきました。これをさらにスピードアップし「アルバイト、家賃」を補う大幅な「現金給付」を検討しています。
いずれもスピードが大事、がんばります。
職場を不当解雇され犯罪を犯したところを、伯母の柳澤千舟に救われた玲斗。千舟は「私はあなたのお母さん、美千恵さんの姉(異母姉妹)です」「あなたにしてもらいたいこと――それはクスノキの番人です」という。柳澤家の敷地内に神社があり、そこに中が空洞となっているクスノキの巨木があって、管理をするように命じられたのだ。そのクスノキには不思議な力があり、その木に祈れば願いが叶うといわれていた。
「新月と満月の夜に祈念する」「クスノキに入れるのは一人」「祈念の内容は極秘」などのルールがあるが、「念」を預け、「念」を受念する――。言葉にならない心の深層を預け、受け取る"祈りの儀式"が繰り返されるなかで、家族のわだかまりが消えたり、切ない思いが理解されたり、新たなスタートが決断されたりする。一念の深さ、重さ、祈りと生死を感じさせる。
「クスノキの番人」である柳澤千舟の品格・誇り・責任と、それを受け継ぐ玲斗の純朴さ・成長がリズムを奏で、鮮やかな感動作となっている。
5月5日、子どもの日――。15歳未満の人口は、昨年より20万人少ない1512万人、39年連続の減少で過去最少を更新。東京だけは人口増で全国では、深刻な少子社会が進行し、2020年代の人口減少・少子高齢社会への備え、子育て支援が急務です。
4日、政府は緊急事態宣言を47都道府県を対象に5月31日まで延長、13都道府県の特定警戒都道府県を維持することを発表しました。さらに、専門家会議を14日をめどに開催、地域の感染者の動向や医療体制を分析して、宣言解除の可否を検討します。特に重要なのが「医療崩壊阻止」「治療薬承認」で、今月できるよう努めることを発表しました。
「一律1人10万円支給」「雇用調整助成金」「中小法人・個人事業者への持続化給付金」が早く現場に届くよう、そして「家賃支援」「大学生支援」などを追加してできるよう大至急取り組んでいきます。
デジタル化が進み、人とモノがネットで密接につながった先進的な社会こそ、脆弱性が深刻になる。日本はそのうちの一国だが、その認識が弱い。個人のレベルでも1つのパスワードを使い回している人の割合は85%、それでは大切なデータや金銭が抜き取られる。企業も脅威インテリジェンスに精通した社員を確保(最低1人)しないと生き残れないのに、行動しようとしない。国の安全保障でも、陸・海・空に今、サイバー空間が戦闘領域となり、米欧中露をはじめ、北朝鮮、中東の国々の動きに比べてあまりに弱い体制となっている。「他国ではない。最大の脅威は日本人自身だ。日本人は自分たちの直面している現実を知ろうとしていない。そのため日本のサイバー空間は隙だらけだ」と強い警鐘を鳴らす。サイバー攻撃や詐欺などが頻発し、ネットの闇は私たちのすぐ近くにある。吉野さんは、実際の犯罪者や世界のサイバー作戦に関わった人を直撃し、ネット社会の暗部を生々しく剔り出す。副題は「ネットの闇に巣喰う人々」。
「10代で悪事の限りを尽くした未成年ハッカー。動機はお金欲しさより称賛されたいため」「振込詐欺は生態系ができあがり、今や撃退が困難」「チャットレディで拡大したネット風俗」「恐喝、見殺し、爆殺――サイバー空間での熾烈な攻防戦」「やらせの口コミの蔓延、フェイクニュースの拡散戦略」「急進するネット監視社会とその実例」「国家による政治を操り、金銭強奪、殺人にまで及ぶサイバーテロ」「日本のサイバーセキュリティーは脆弱」・・・・・・。数年にわたって、危険を冒して世界中で当事者たちを取材しただけあって、ネット社会の現実、その闇の深さが伝わってくる。
1591年の1月、2月、秀長と利休が相次いで死ぬ。「聞く耳を持たぬ」存在となっていた秀吉に直言することができたのは、この2人だけ。それだけにその死は、政権を衰退させた。1582年の本能寺の変、1600年の関ケ原とともに、各人の思いが交錯した歴史の分岐点、それが1591年、秀長と利休の死であり、利休の自害は奥深き謎であり、解説も多い。4年前の「天下人の茶」(伊藤潤著)が、古田織部等の弟子の視点で利休が描かれていたことを受け、さらに利休の心の深淵、相克を剔抉して描いたのがこの長編だ。利休の政治との関わりと苦悩と胆力を研ぎ澄まして描いている。凝縮しているがゆえにシンプルで迫力がある。
本能寺の変の後、利休は秀吉の懐に入る。反対があろうと「大陸制覇」まで突き進む秀吉と、戦乱のない「民の静謐」をめざす利休――。補完関係にあった二人の亀裂は、割れ茶碗のように破局を迎えていく。本書の3分の2は、この宿命とも宿業ともいえる亀裂の過程で埋め尽くされる。「そなたは、わしを俗物と侮っておったな」「現世の戦も、心の内の戦も、わしが負けることなどないのだ」「殿下はその気になれば、いつでもわしの領分に踏み入ることができるというわけか」「ああ、現世の王に心の内まで支配されては、これほど息苦しいことはない」・・・・・・。しかし二人とも石田三成の「法の支配」には違和感をもつ。「彼奴ら奉行どもは法の支配により、わが天下を固めようとしている。それゆえ『茶の湯は要らぬもの』とぬかしおる。だが法では人の心を支配できない(秀吉)」と。
「・・・・・・重用しているが、ときどき差し出がましいことも言う。宗久も宗及も狙いは一つよ。世を静謐に導き、此奴らの商いをもっと盛んにすることだ」「そなたは、わしが大明国を制さんとする戦いを、港を制するだけの小さなものにしようとしているのだな」「北条を討ち、家康を討つ。そのためには布石が必要だ」「宗二、何と愚かな。宗二は自ら掘った墓穴に落ちていった。己の感情に勝てない宗二は・・・・・・」「茶の湯は『聖俗一如』なのだ。利休には『異常なまでの美意識』という聖の部分と、『世の静謐を実現するためには権力者の懐にも飛び込む』という俗の部分があった」「現世の支配者はわしで、心の内の支配者はそなただ。・・・・・・だがそなたは、わが領分を侵食してきた」「しかもそなたは知りすぎた。・・・・・・豊臣家中のことではない。そなたが知りすぎたのは、わしの心の内だ」・・・・・・。利休は、唐入りを一部にとどめさせ、「何事にも執心する」という秀吉の心を「能の世界、能の海に溺れさせる」ことに連れ込もうとしたのだが・・・・・・。凄まじい「業」の世界としかいいようがない。