6本のスポーツ短編集。「連投(高校野球の神奈川予選)」「インターセプト(アメリカンフットボール)」「失投(やり投の第一人者と若きライバル)」「ペースダウン(箱根駅伝の快走後の初マラソン)」「クラッシャー(怪我に悩まされ続けたラグビーの4年生フォワード)」「右と左(もつれにもつれたプロ野球のシーズン最終戦のマウンドを誰に託するか)」――。
スポーツ選手は勝負に生きているだけに、ある部分においてきわめて神経質だ。しかも、怪我に悩まされ続ける。練習しなければ強くなれないが、怪我はより悪化するのではないかと逡巡する。過度の作られてしまった期待もある。ここで退けば1人取り残されるのではないか。さまざまな恐怖も同居する。そんななかでの攻守が入れ替わるターンオーバーの瞬間が必ず訪れる。
いずれも、あまりにも納得できる短編だが、「自分の力を誇示することしか考えていなかった。そうじゃない。ラグビーは、誰か――チームメートのためにやるものだ。味方を信じて命を預け、たった一つの目的のために心を一つにする。・・・・・・」――ラグビーをやっていた堂場さんの愛着がにじみ出ている。
「私の理想は、無名のうちに慎ましく生きて、何も声を上げずに死んでしまうことです。ただ、文章を書きたいという欲求はある」「人間というのは、生きていると社会的地位や肩書がくっついたり、係累がまとわりついたりします。そういうもの一切を払い捨ててゆきたい、脱ぎ捨ててゆきたい、何にも持たない生まれてきたときの自分にもどり、大地に還っていきたい」「現代人は自己顕示に汲々とし、自己愛に苦しんでいる。虚しい自己顕示競争に駆り立てられるのではなく、"自分の人生の主人になる"ことだ」「自分を匿さない。のた打ってでも生きることだ」「ナショナリズムとは、近代国民国家が生み出した病弊でしかありません・・・・・・膨大な人命を犠牲にして負けたあの戦争から学ぶことはいくつもあるけれど、イデオロギーとしてのナショナリズムは卒業したというのが、戦後最大の成果だと私は思っている」「パトリオティズムともいうべき愛国主義的な感情は個々の国民も持ったでしょうけど、自分たちの国を守らなくては、という意識はありませんでした。これが近代国民国家になると、国民一人ひとりが国を守るために命を捨てねばならないことになる」・・・・・・。
「逝きし世の面影」についてもふれている。従来の江戸時代のイメージとは相当違っている。前近代の社会は近代の社会とは大いに違うこと、そして優劣ではなく、不連続であること、「それはそれなりにいい文明なんだ」と、現代文明を相対化する鏡として示したことを、淡々と語る。江戸の人びとは、貧しくとも幸せであり、幸せに暮らす術を知っていたのだともいう。
「生きる」「無名」「幸福」を、渡辺京二さんの境地から語ってくれている。人生論は生命論。仏法の「煩悩即菩提」「桜梅桃李の己己の当体を改めずして無作三身と開見すれば是れ即ち量の義なり」を思いつつ考えた。
東海道新幹線が開通して50年――10月22日、JR東海、JR東日本など鉄道関係各社、新幹線の海外進出を目指す国際高速鉄道協会、新幹線やリニア新幹線を計画する12の国・地域の代表者、新幹線沿線の知事・市長など、多くの関係者が参加した祝賀会が盛大に行われました。
日本政府としては安倍首相と私、そして外国関係者としてはキャロライン・ケネディ駐日米国大使、シーファー元駐日米国大使、サイド・ハミド・マレーシア陸上公共交通委員会議長、チュア・チョン・ヘン・シンガポール陸上交通庁副長官などが参加。祝賀会で私は、「新幹線が開通して50年。"夢の超特急"と言われ、夢と希望と技術水準の高さへの誇りを日本に与えた画期的事業となった。しかも50年間、一人の死傷者も出さなかった安全性と確実性は類を見ないものだ。今、次の夢でもあるリニアが具体的に始まろうとしている。世界の方々とともに、次の時代に向けてスタートを切りたい」と挨拶しました。
また、午前中は、ワシントンDC~ボルティモア間へのリニア導入を目指している米国の「TNEM社」のウェイン・ロジャーズ会長兼CEO、アドバイザリーボードメンバーのトム・ダシュル元民主党上院院内総務、メアリー・ピーターズ元連邦運輸長官、クリスティーン・トッド・ホイットマン元ニュージャージー州知事、ロドニー・スレーター元連邦運輸長官など、米国政財界に影響のある重鎮の方々と懇談しました。懇談では、リニア導入に向けた同社の意欲的な取り組みや米政府の動向などについて意見交換し、今後の連携の強化を確認しました。
なお、8月22日に行われた土木学会のシンポジウム「東海道新幹線と首都高 1964東京オリンピックに始まる50年の軌跡」での私の発言を、要旨として掲載します。
【発言要旨】
1964年、50年前というのは、私にとっても大変印象的な年である。京都大学土木工学科に入学をしたのが1964年であった。また1964年の6月には新潟で地震が発生し、昭和大橋が落橋した。これが、私が耐震工学を専攻する機縁にもなった。さらに10月1日に新幹線が走り、10月10日に東京オリンピックがあり、それに準備するという形で1962年に首都高が誕生した。そして、オリンピックの後、個人的なことではあるが、11月に公明党が立党した。50年後の今、こういう立場になるとは夢にも思っていなかった。
「気品」――。この気品を備えることが、いかに素晴らしいか。美しい心が、姿・形に現われ、その美しい所作が美しい心を生み出し、気品となる。「形から入って心に至る」という武士道の精神を体現し、一期一会の人生に「一度のお辞儀で、人の心を捉える」ことが、いかに重きをなすか。
「姿勢を正せば心が変わる」「嫌なことは"丹田"に納めよ」「"残心(ざんしん)"で思いやりの気持ちを残す」「型を身につけ壊す(守破離)」「人生とは上手に感情を自制する技」「表向きの顔をつくりなさい」「質素倹約は本質を見極める」「忙しいときこそ贅沢な時間をつくる」「美しい挨拶――言葉と動作を一緒にしない、胸元に"懐"をつくる、静と動の動きにメリハリをつける」「気品とは、人さまに心を配ること」「何ごとにも、入口があれば、出口があるのですよ(最終的な仕上がりをイメージすること)」・・・・・・。
水戸徳川家の流れを汲む讃岐国高松藩松平家の末裔の松平洋史子さんが、祖母・松平俊子が昭和女子大の校長時代にまとめた松平家に代々伝わる生き方教本「松平法式」を、現代に生きいきと語る。
