私、そして公明党は今、「防災・減災ニューディール」の実行を訴えています。
橋や道路などのインフラは防災・減災の基盤ですが、現在、全国で老朽化が進んでいます。この整備に集中投資することで、景気回復と雇用創出につなげ、防災力の強化と経済の活性化の両方を実現するというのが「防災・減災ニューディール」です。
この防災・減災ニューディールに関連し、私は昨日23日、首都高速1号羽田線の芝浦地域で行われている、耐震補強工事の現場を視察してまいりました。
現在、首都高速では、阪神・淡路大震災クラス(最大震度7)の地震にも耐えられるよう、補強工事が実施されています。橋脚は、鋼板を外側から巻き付けたり、内部から補強部材を増設するなどして補強。橋桁を支える台座をゴム製に取り替えるなど、大きな揺れがあっても免震構造のように橋の上部が水平に移動して、橋が落ちないようにする対策も施されています。
こうした工事を、私も橋桁の直下まで行って、直接この目で見てまいりました。首都高速の全路線について、本年度中の工事完了を目指しています。
思えば阪神・淡路大震災の時、高速道路が無惨にも崩れ落ち、横倒しになった光景は、あまりに衝撃的でした。
私は耐震工学を研究してきた政治家として、以来、高速道路の耐震化を折に触れ求めてまいりました。2003年6月4日には衆院国土交通委員会で、高速道路の耐震化工事について状況を追及。05年2月10日には衆院予算委員会で、首都直下地震対策に関連して、高速道路の耐震強化を要請しました。
実は、当時から私が最も心配していたのは、橋桁を支える台座部分(橋脚と橋桁の接点=支承部分)です。それが今回の視察で、耐震改修が進んでいることを確認できました。
この1号羽田線は建設から50年。首都高速道路全体でも、半分近い区間で建設から30年以上が経過し、老朽化が進んでいます。その大規模な改修工事のあり方について、現在、検討が進められているところです。
もちろん、ムダな公共事業は削るべきです。しかし、「公共事業=悪」ではありません。命を守り、都市を守り、生活を守る公共事業は、日本の底力に直結します。着実に、かつ大胆に、推進すべきです。
復興元年の本年は、新たな安全国家・日本を築く、本格的な取り組みをスタートする年に──。この自覚と気概が、勢いある日本を力強く再建する出発点だと思います。皆さまのご期待にお応えできるよう、さらに頑張ってまいります。
宮澤退陣で55年体制に幕が引かれた後、政治は明らかに変調をきたしている。とくに昨年来の東日本大震災、菅政権、野田政権――。政権を担当する首相、まして政権党、政治家全体から国を運営し、国民の生活を守るプロあるいはプロ集団の臭いが次第に薄れてきている。ノンプロ劇団の芝居のように映る、と岩見さんはいう。国を背負う「決死の覚悟」が欠けている。かつて政界にいた憂国の士がいない。器用だが、腰の座っていない政治家が増えている。言葉の軽さは目を覆うばかりだ。
「政治家はポピュリズムに流されず、有権者は政治家の選別眼をしっかり身につけよう」――。この危機に対してはまず政治からだ。だからこそ政治家を厳選する気風と習慣を早く身につけようという。
岩見さんの切れ味はカミソリというよりもズシッとしたナタのようだ。それでいて岩見さんの言葉には、人物を包み込む温かさを私はいつも感じる。「最近は毎週書く数本の私のコラムに批判の投稿が増えている」と書かれているが、ズバッというからだろうが、それにしても温かさが感じとれないゆえなのか。閉塞感漂うゆえなのか。「近聞遠見」「サンデー時評」――毎週読んでいる。
電通顧問の杉山恒太郎さん。きわめて面白く刺激的な本。
「逆をやれ」「変わらないために、変わる」「自分から自由になる」「加害者意識をもって生きろ。被害者意識をもって生きるな」「プロセスに、プレジャーを」「ものづくりはしょせん、人間の肉体と想像力でしかできない、生々しくもアナログな世界」「アイディアは思い出すもの」「リフティングをしてウォームアップするように、アタマもつねに回転させておく」「少しくらいクレージーじゃないと」「できない理由を考えちゃダメ」「自己模倣は、最大の敵」「漠然と生きているとフケむ」・・・・・・。
杉山さんがその時々、後輩などに語ってきた言葉が40出てくる。解説も。
人は何かに(子どもの頃からとか、常識とか)とらわれ、がんじがらめにいつのまにかなっているが、それに気付き、物事を本来のイメージに引き戻す力――それが想像力であり、無から何かを生み出すことではない。自由も孤独もみずから闘って手に入れるものだ。シバリがある、不自由だと感じたらチャンスと思うことだ。広告も含めて表現の世界は「正しくても、面白くなきゃ、意味がない。正義感に燃えてなにかを主張する人は、冗談をいわない人が多いが、マジメになりすぎちゃう。いつのまにか、発想がやせたものになりがちだ。
仕事一辺倒になると、どうしても猪突猛進しがちです。広告を出す側の目線だけになって、受け取る側の気持ちが見えなくなる。受け手の気持ちを慮ること、大人の思いやりこそ大切。他人のことを真剣に考えられない人は受け手のことがわからないわけで、いい企画ができるはずがない。
エビフライは尻尾があるから美味しい――エビフライの尻尾はふつう、食べない。しかし、尻尾のないエビフライはなんだか味気ない。料理は栄養を吸収するだけでなく、感性や情緒に働きかけて、楽しんでもらうこと。アタマのいい人は、ともするとムダを切り捨ててしまいがちになる。(エビフライの)尻尾を意識できるようになれば、もっと企画にうまみとか、コクが出る。
世の中には情報がたくさんあるが、それを自分で熟慮して編集したものが知識、そこから発酵してジャンプしたものが知恵となる。それが「教養」だ。コミュニケーションには、この教養が究極的に必要。
「毎日、コツコツと勉強しなさい」(ノーベル賞の小柴さん)というが、それは直観力を磨くため。ロジカルに追いつめ抜いたその先に、パッと思考がジャンプして「非論理的な"なにか"」「アイディア」が感じられるようになる。
政治も、人と話しをすることも、演説ということもあまりにも同じだと思う。
