太田あきひろです。

原油高騰、物価高が庶民の生活や中小企業を直撃しています。緊急対策を急がなければなりません。公明党は今、生活防衛、中小企業支援に全力をあげています。同時に、失ってはならないのは構造改革の視点です。

原油の高騰は、これから原油需要が急増すると見た世界の投機マネーが一気に入るということに起因するものですが、まさに世界の構造変化がそこにあります。このエネルギー危機に対して、低炭素社会、エコ社会に大きくカジを切ることこそ大事なことです。

物価高は原油高とともに、世界の食糧危機を背景にしています。これには自給率の低い日本の農業をどうするか、という視点が大切です。23日に私は、常陸太田市の遊休農地(耕作放棄地)の再生現場を視察。定年退職者の方々が農業生産法人を立ち上げ、耕作放棄地を活用して、有名ブランド「常陸秋そば」などを生産している状況を見てきました。耕作放棄地が今、日本では38.6万haもあり、そのためには借りやすく、貸しやすくするなどを含めた農地法の改正が必要。フルに減反の土地も耕作放棄地も活用できるようにすることが大切で、地産地消なども含め、力を注いでいきます。


半世紀前からの贈物.jpg高校の同級生、内田さん。愛知県蒲郡町立南部小学校2年生のときの雪組のクラス文集が送られてきて、それについて書いた著作だ。「にわとり」「ひこうきからビラがまかれた」「台風13号」「おつかい」「正月のおこずかい100円」「あたらしいゲタ」「空の星」「手づつ花火」「不二家のミルキー」「砂漠は生きている、佐久間ダムなどの映画」「三角ベース」「玉の海ジャイアン」「おそがいヘビ」――。映画「早咲きの花」もそうであったが、郷里の思い出をなつかしく読んだ。

貧しかったが、子どもが自然のなかで、伸びのびと、元気で遊んだ時代だった。


日本の経済.jpgしっかりした本である。まさに、歴史・現状・論点を整理して、主義やレッテル張りを排除して、徹底的に冷静に分析してくれる。アメリカ標準を安易に前提とする議論にも、日本異質論にも(日本だけでなく他国にもある)、また1940年体制についても、システムが固定化したというより、特有の仕組みが「選択されつづけ」たといい、警鐘を鳴らす。大蔵省の均衡財政主義は職業的使命感として是認したうえで、"角を矯めて牛を殺す"という経済の萎縮をもたらさないようにと懸念も示す。

実需ではなく、投機需要が経済を撹乱し、時に破壊することも、これまでの歴史のなかに学んできたとある。

さあ、日本の今と今後、市場主義、小さな政府、アメリカ・モデルでなく「合理的な助け合いのネットワーク」「能力に応じた負担、必要に応じた受益」「権限と責任の明確化」など、社会を組み換える原則をしっかりと提起する。


北京オリンピック一色の夏になっていますが、地元では、夏祭り、盆踊り、納涼祭、どじょうつかみ大会など実に地域の皆様ががんばってくれています。全国を回る中で原油高や物価高への影響は深刻で政府に休みなく働きかけをする毎日です。

11日に、政府・与党会議を行い、物価高や景気低迷などに対する緊急経済対策を含む「安心実現のための総合対策」の基本方針を了承しました。この会議では、公明党が次から次と注文。なかなか紙面では表現されていませんが、相撲でいうと「ガブリ寄り」でした。

我々のいったことは、総合対策も大事だが、そのベースに、原油の高騰や物価高に対し、どんなに庶民生活や中小企業の現場で悲鳴が上がっているか、その危機感をもって、生活防衛・中小企業支援のために、まず緊急対策を出せということです。そして、併せて、現在のこの状況が、世界的なエネルギー危機、食糧危機、さらには国内では少子高齢社会を迎えたという決定的な構造的要因によって起きているゆえに、デタラメなバラまきではダメだということです。

エネルギー危機・原油高に対して低炭素社会の実現と省エネ・低エネ社会への転換を急速度にやる。物価高への緊急対処、融資をはじめとして中小企業への支援、所得の低い人に対しての支援策をしっかりやるというのが我々の主張です。反映された文書となりましたが、具体的に更に公明党は突っ込みます。 


命あるかぎり.jpg河野澄子さんが亡くなられた。心よりご冥福をお祈りしたい。1994年6月27日深夜、河野さんからの電話による第一通報。松本サリン事件である。
事件から14年、奥様の澄子さんは、今年、寝たきりのまま還暦を迎えていた。
河野さんは私と全くの同郷、豊橋市のなかでもきわめて近い所で生まれ育った。


私がお会いした河野さんは、静かで、信念と哲学性をたたえた心の芯の強固さが印象的だったが、子供の頃は私などとは比べものにならないガキ大将、その後の人生の処し方、楽しみもまたはるかに越えている。「麻原被告にとって極刑は、はたして死刑なのだろうか」
「徹底的にマスコミと闘い謝罪を勝ち取らなければ、世間に定着した"河野が犯人"というイメージを払拭できないと考えていた。それほど、マスコミ報道は激しかった。そうしたなかで、私がうれしかったのは子どもたちがふつうどおり学校に通ってくれていたことだ」
「私は、麻原被告も、オウム真理教の実行犯の人たちも、恨んでいない。恨むなどという無駄なエネルギーをつかって、かぎりある自分の人生を無意味にしたくない」長野県公安委員、マスコミ報道への苦言など、重みがある。

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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