「起きるかどうかではない。いつ起こるかだ」――感染症対策の専門家はそういう。「鳥インフルエンザウイルスH5N1」。すでにヒトの世界に入り込み始めて、2003年以降、世界14カ国で380人が感染し、240人が死亡。致死率はなんと60%だ。2006年4月24日、インドネシアのスマトラ島北部のクブシンブラン村で女性の死から恐るべき事件が起きる。走り回るWTOや医師、対策班。まさに時間との戦い、どう封じ込めるかの緊迫した闘いだ。もうそうしたことが始まっている。
(1)抗ウイルス薬(タミフル)の大量投与
(2)国民のワクチン接種(パンデミックワクチン、プレパンデミックワクチン)
(3)学校の閉鎖
(4)感染者の社会的な隔離や強制的な旅行制限――など、大事なのはまず(2)。
医療機関から金融機関に至るまでの緊急対応。そして大量であるがゆえの治療、命の優先順位。プレパンデミックワクチンの備蓄。米国で行われている大規模な実践的演習。
日本の戦略を早く進めなければならない。
地方が疲弊しているから、どう活性化するのか、という知恵を得る本ではない。高松さんはドイツのバイエルン州、フランケン地方の10万人都市、エアランゲンに住むジャーナリストだ。都市に統一感がある。10万人都市は田舎ではなく賑わいがある。景観はきわめて高い優先順位をもつ。文化の充実は目を見張る。静寂はきわめて重視される価値観である。環境立国・ドイツというが、それは結局、生活の質や歴史・文化を重視するという志向性が全てにあるからだ。
自然発生というより、都市は人工空間。中央には広場がある。人はその都市の生存・生活空間のなかでどう質の高い生活を築いていくか。
「何でも揃う小さな大都市」ということ自体、これらのことと密接な関係性がある。人材も揃っている。職住近接でもある。公共財は利便性・経済効果という切り口ではなく、自らの住む生活圏の生活の質ということから考えるということだ。
森も静寂と憩いをもたらすものだからこそ重視される。
グローバリゼーションと喧騒のなか、日本人の生活の拠点をどう獲得するのか。考えること大である。それにしても日本社会に大きな影響をもつメディアやテレビはドイツではどうなっているのだろうか。
太田あきひろです。
政局の激動・緊迫のなか、とにかく懸命に動いています。
祭りや納涼の夕べ、防災など地元を歩くなかで6日、北区・西が丘にあるナショナル・トレーニングセンターを訪問しました。
北京オリンピックで活躍したトップ・アスリートの拠点で、私も国立科学センター、そしてこの世界に負けないナショナル・トレーニングセンター建設を推進しました。北京での日本選手の活躍の裏には、このナショナル・トレーニングセンターでの限界に挑戦し、技術の粋をこらした戦いがあります。
オリンピックが終わって、どういう様子か。少しでも激励をと思っての訪問でしたが、卓球では少年少女が、体操では、次を担う中学生などの若手が、カナダの代表選手との練習試合を行なっていました。ピーンと張り詰めたその緊張感たるや大変なものでした。
もう次が始まっています。その為に、使い勝手のよいものに施設を充実させなくてはなりません。食堂の食事も、減量の人にも、筋力をつける人にも選択できる気を配ったものとなっており、大変喜ばれていました。
それ以上に私が感心したのは、今回のオリンピック選手319人の全員の写真があちこちに飾ってあり、次のオリンピック選手に入ろうとする若い人の意欲があふれていたことが一つ。もう一つは会う選手がいずれも挨拶をしっかりしてくれたという生命のすがすがしさです。
地方の商店街や耕作放棄地が目立つ農村地域に立って、息をのむことがある。人里離れた山村にポツンポツンと点在する家を列車に乗って見る時に、子供の頃の田舎の思い出や住んでいる人に思いをはせて、哲学的な特別な感情がよぎることがある。
地域をどう活性化するか。よくいわれる言葉だが、私は生活が成り立つように地域をどうするかが大事だと考えている。農業振興というより農村生活バックアップだ。
副題に「食・農・まちづくり」とある。
8章立てのテーマに沿ってルポとして先駆的な試みを紹介している。そこには人が生きることとは何か、豊かさとは何かということが、底流として流れている。島根県雲南市木次町などの酪農、各地の(地元足立も紹介されている)商店街活性化、名高い徳島県上勝町の葉っぱ、今治市の地産地消と学校給食、新しい農と畜産をめざす北海道標津町、高知県梼原町の林業、富山市の公共交通・ライトレール、練馬区の市民農園・都市農業――いずれもそこにはいいリーダーがいる。