勝間さんは、金融アナリストの仕事をしながら、「ムギ畑」というワーキング・マザーの集まるインターネットのコミュニティ・サイトを主宰している。
私がとくに関心をもったのは、ともすると悲惨なワーキング・マザーを論じがちになる一般の話ではなく、勇気づけ、ポジティブに現実をとらえ、その向こうに新しい少子化を乗り越えた未来を志向していることだ。
そして、猪口さんに私が関心をもったのは、「近代化の帰結としての少子化」「近代の効率重視の典型的なパラダイムは、ワーク・ライフ・バランスなど、多元的の人間のニーズを取り込めない」という観点に立ち、自らのエスニシティを封印するなかでモダンなる存在へと発展したと歴史性を看取し、ポスト・モダンの時代におけるエスニシティを取り戻すこと(家庭はエスニシティの砦)、ポスト・モダン文化とはエスニックな文化との視点を提示していることだ。
そして、少子化対策を国の最重要戦略として位置づける(国の本気度)こと、そのために考えを結晶化させる触媒としてのインパクトのある政策(児童手当の乳幼児加算など)を示している。いい。それを推進した公明党の名がないことだけはまずい。
元西独首相のH・シュミットは、「福田赳夫生誕百年記念講演 21世紀に生きる哲学」でカント哲学を一言でいえば「我々の心の奥底にある道徳性は私たちを導く星であり、その星に従うことは我々の義務である」と述べ、福田哲学もそこにあるという。
「政治は最高の道徳」「世界は2人のために、ではなく世界のために2人はある」「20世紀は栄光と悔恨の世紀」「経済大国が軍事大国の道を歩むことは、歴史が証明している。
しかし、日本は経済大国になったが軍事大国の道を選択してはならない」「物質的充足のみでは飽き足らず、精神的な豊かさを求めるのは、アジアの伝統」「資源有限時代の認識に立ち、協調と連帯の基本姿勢を」「成長はその高さをもって尊しとせず、成長の質こそが大事」「モノ、カネ至上主義的な価値観から心の豊かさと人間としての生きがいを中心とする価値観を」「いかなる激動の時代にあっても正しきものは継承すべきである。
国民生活に密着している戦後民主主義の諸原則、すなわち、自由、人権尊重、平和主義の堅持、さらには非核三原則こそは戦後の日本が貴重な犠牲を払って獲得してきた成果であり、今後の日本の進むべき指針となすべきであろう」「昭和元禄」「人口爆発の危険、食糧問題の難問、無秩序な金融市場への対応、地球規模の環境温暖化の問題」「精神的、倫理的価値の欠如」――。
まさに戦後の栄光と悔恨のなかでつくられた断固たるゆるがなき姿勢、思想の原型をくっきりと見る思いだ。戦後レジームのなかで志向したものは何であったか、だ。
ラテンアメリカ独立の父。ベネズエラ、コロンビア、エクアドル、ペルー、ボリビアをスペインの支配から解放した軍人、政治家、思想家、革命家だ。
キューバ独立の使徒・ホセ・マルティの師でもあったボリーバル(1783から1830)の47年の短い生涯はしかし、波乱万丈。戦いに次ぐ戦いであったが、私欲を全く捨て去り走り抜いた生涯は美しいほどだ。皇帝に登りつめたナポレオンに彼は失望と幻滅と怒りをもっていたが、それ自体が揺るがぬボリーバルの姿勢を示している。
アンデスを越え大コロンビア共和国を築いた彼がアンゴストゥーラ憲法では、立法権、行政権、司法権に加え、「道徳権」(教育権)を設置した。日本としては珍しいボリーバル本だが、とにかく闘い、闘い、また闘いで、息苦しくなるほどだ。
安倍首相のよくいうイノベーション。「技術革新」と訳されるがそれでは狭義すぎる。もともと「新しくする」という意味だ。
社会全体に変化を起こすことがイノベーションであり、国や分野を越えて技術などの相乗効果が生まれ、予測不可能な時代に突入している。だからこそ、政府は「人材育成」「投資戦略」「インフラ」を促進させるという変化の環境整備に力を注ぐべきだという。予測不能なイノベーションに対応できる形に「国全体を革新する」ということだ。
坂村さんの「ユビキタスコンピューティング(ユビキタスとはどこにでもあるという意味)」のような社会のあり方を大きく、質的にも変えるインフラ整備は私の東京北区の荒川土手で、目の見えない人の散策の試みとしても始まっている。ものの考え方から法律の作り方まで変える。坂村さんの意欲と行動に触発される。