見えない「いじめ」を解決するために、という副題がある。
「いじめは我々の子供の時代もあった。いつでもあるもの」は誤りだ。昔は一部の暴れ者、グレた者がいた。他は仲良しだ。今は一握りのいじめ加害者に他が同調して、無視から「バーカ」「死ね」に至る。被害者は一人。
「いじめられる方にも原因がある」――それも誤りだ。あることをキッカケに、ターゲットが次々と変わる。
「わからない親や教師が悪い」――それも誤りだ。ケータイや戦略を使って、巧妙に追い込む病理があり、親にもいえない、教師にもいわない、わからないよう手口はしたたかだ。
「いじめられたら戦わなければダメだ。頑張れ」――それも誤りだ。戦いがいのあるものではないし、耐える意味もない。逃げることだ。
子どもを取りまく環境はもう昔と違う。そんななかに子供がおかれている。胸がしめつけられる。今こそ、その現実を親が直視し、賢明に、懸命に、対処するスベを学び格闘しないといけない。
民主主義と自由主義はいっしょと思うかもしれないがそうではない。もう一つ民主主義のなかには平等主義の概念がある。この本には「不平等か、不自由か」という副題がついているが、リベラル(自由主義)こそが民主主義だと日本は思いがちだが、アメリカ型の自由主義とフランス型の平等主義がある。
日本は憲法をみても自由ばかりが謳われる日本型「自由」偏重民主主義だが、フランス憲法は自由より平等を謳っている。社会民主主義だ。
イギリスの保守党は自由と小さな政府を、労働党は平等と福祉国家を謳う。とくに公共あるいは公的な領域、医療も教育も大学のあり方も、公権力の介入によって自由を制限して一部の独占を排し、格差を許容範囲に収めるのが平等化政策だ。
高福祉、高負担をめざした右派政党が賃金労働者を代弁すべきなのに、所得税、住民税の引き上げや付加価値税反対をいい、官から民を、そして税制緩和をいうのは、原理的におかしい。対立軸になってないという。官から民への安易さも指摘する。
またフランスの不安定雇用に対する猛烈な抵抗や、高福祉・高負担は高福祉の受益者は国民一般であり、「福祉を単なる弱者救済に還元するな」と指摘する。日本の未来の礎を考えるということは、今一度、そうした次元からこの国の形を考える時だ。