株主主権論は、企業と会社を混同した法理論上の誤り。会社とは法人化された企業。資本主義が産業資本主義からポスト産業資本主義へと大きく変質をとげた今、おカネの威力が増しているように思うかもしれないが、そうではなくて、おカネの力が弱くなってきていると岩井さんはいう。それは株主が会社の主権者でなくなってきたことでもあり、違い(差異性)から利益を生み出すヒトに重心が移ることになる。「知価社会(堺屋太一)」「脱工業化社会(ダニエル・ベル)」「第三の波(アルビン・トフラー)」だ。
日本的経営が育成してきた組織特殊的人的資産の役割(終身雇用制、年功序列制、会社内組合)は、産業資本主義対応型の熟練されたヒトであり、アメリカ型の株主主権論のヒトとともに、今求められているものではない。ライブドアとフジテレビ。会社とは何か。コーポレート・ガバナンス(企業統治ではなく会社統治)とは何か。会社とは社会のためにある。
糸井重里との対談が付けてあるが、資本主義、経済学の源流にさかのぼっての自然(じねん)に自在に、ていねいに、定義しながら哲学思考で進む理論は美しい。仏法の五重三段に美しさを感じたように。
「堀川の奇跡」と呼ばれる高校改革を成功させ、京都公立高校改革の旗手といわれる荒瀬校長の著書。最近の未履修問題、教育再生会議の論議も踏まえて新しい。
まず、私にとっての京都の教育は、「ここまで勉強しない高校が日本にあるんだな」というのが、昭和39年京大入学の頃からの印象だ。その京都の教育は少なくともこの10年全くといっていいほど変わり、前進した。
もう1つ。教育基本法論議のなかで、私の考え続けたことの1つが、「高校が大事。しかし、今の高校は普通高校、工業、商業、農業高校が生きていた私たちの時代と全く違ってしまっている。高校とは何かわからなくなっている」ということだ。
本書を読んで私は教育には粘り強さ、ガマンして待つ。時間をかける。そうしたものを胸中にいだいて愛情と信頼と使命と情熱をもって成すものだということを改めて感じた。人を育てるとはそれだけ厚みのあるものだ。
祖母力――日本も欧州も祖母の貢献が男女共同参画社会を下支えし、新たな家族的結び付きの形を生み出しているという。少子高齢社会のなかで、見落とされてきたまだまだ「元気」な祖母力に着目し、「新たな祖父母の時代」を浮き彫りにしている。
著者の樋口恵子さんには、感謝の気持ちがあふれている。"祖母力"なくしては自分たち親子の今はないといい切る。が反面、母親の余生を孫育てに食い潰させてしまったのではないかという思いから本書を執筆されたそうだ。
しかし調査を進める中で、祖母たちは、何よりも孫と接する喜びと家族の役に立つ喜びに満ちてること、また孫のほうが子どものときよりゆったりと育てられるとの声が圧倒的に多いことに気づかされる。この無限にして無償の献身的愛こそ祖母力であり、いまや働く女性にとっては大事な支えになっているのだ。
さらに樋口さんは、「社会的祖母力・祖父力」についても提案している。
「血縁の孫の有無にかかわらず高齢世代が社会参加し、何らかの貢献をし、世代間交流をすすめる必要性」「その祖母力の有無の『格差』是正のためにも発揮の場を地域づくり町づくりの核として発展させる」ことである。
わが家でも話をした。祖父母力のなかったわが家。しかも走り回っている私だったから、妻はどれほど大変だったことかと思う。