政界は一寸先が闇といっても、これほどの激震はなかなかないと思います。9月12日には安倍総理の突然の辞任、そして11月4日は小沢民主党代表の辞任会見、この臨時国会は大変な様相を呈しつつ、最終の週に入りました。
しかし、こうした時は原点からモノを考えることが大切だと思います。それは参院選で示された「率直で透明性・公開性のある隠しごとのない政治」「生活や格差を直視した生活現場主義の政治」をもって、政策実現することだと思います。
日本は今、重要な局面、政策課題はヤマ場です。政治は仕事をする為にある。庶民の為にある。その意味で政治の停滞は許されません。
スポーツの秋、文化・芸術の秋といいますが、10月に入ってから運動会や地域の文化祭に参加することが多くなりました。
一昨日の日曜日には、北区柔道大会をはじめ、クリーン・キャンペーン、運動会、消防団など10回の会合を走りました。
文化・芸術ということでは、日曜日には足立区の小台・宮城、舎人の2会場で地元の方々の文化・芸術の発表会に参加しました。
昨日の夜は北区・北とぴあでロシア民族歌舞団の友好・ふれあいコンサートがありました。民音の主催、ロシア大使館の後援でしたが、民族の、そして庶民の喜びがはちきれんばかりで、実に楽しく、感動的でした。
「喜べ、喜べ、人生は喜びだ」とは、トルストイの言葉だそうですが、楽しむ、喜ぶということが、いかに心を軽くし、未来への意欲を育むかということを実感しました。
スポーツ界は朝青龍や時津風部屋、亀田親子で荒れ、政界はねじれ国会で難題だらけ。ひときわ、文化・芸術の力が人間性と人間力をつくるために大切だと思うこの頃です。
突然、怒鳴り始めた老人に出会った人は確かに多い。老人の暴走というより、若者よりも老人がキレるようになったことをどう解釈するか。まさに藤原さんは「人と人とのかかわり方の根底的な変化」を社会分析する。自分自身ではないかと危機感をもった。
1つは「時間」――「待つこと」の耐性に欠ける大人の増加。待つことが苦手、せっかちで先を急ごうとする。待つことのトラブルの増加。待つことが当然だった社会が「待たされることに苛立つ社会」になった。時間帯・スケジュール・帯グラフ人生、どうものんびりと日向ぼっこするおだやかな老人でなくなっている。競争社会を猛烈にスケジュールで来た、しかも指導的立場にあった人がリタイアしてもその感覚は身体に染み込んでいる。自分の時間を奪われることへの怒り。音楽、スポーツ、読書、情報、新しい態度を身につけないと、時代不適性の新老人となる。そしてそれはIT社会から取り残され、焦りと孤独を生む。
2つめは「空間」――地域社会が非地域社会となり、孤独、家自体も個室化する。臭気の攻撃で社会を攻撃するゴミ屋敷、騒音に対するイラダチ、家庭に居場所がない。
3つめは「感情」――社会のマナー、常識のコードが日々更新され、順応できない老人は情動を爆発させる。患者や生徒は「お客様」で医師も教師もサービス業になってしまった。サービス社会では笑いも表情管理、労働となる。クレーム社会だ。