スポーツの秋、文化・芸術の秋といいますが、10月に入ってから運動会や地域の文化祭に参加することが多くなりました。
一昨日の日曜日には、北区柔道大会をはじめ、クリーン・キャンペーン、運動会、消防団など10回の会合を走りました。
文化・芸術ということでは、日曜日には足立区の小台・宮城、舎人の2会場で地元の方々の文化・芸術の発表会に参加しました。
昨日の夜は北区・北とぴあでロシア民族歌舞団の友好・ふれあいコンサートがありました。民音の主催、ロシア大使館の後援でしたが、民族の、そして庶民の喜びがはちきれんばかりで、実に楽しく、感動的でした。
「喜べ、喜べ、人生は喜びだ」とは、トルストイの言葉だそうですが、楽しむ、喜ぶということが、いかに心を軽くし、未来への意欲を育むかということを実感しました。
スポーツ界は朝青龍や時津風部屋、亀田親子で荒れ、政界はねじれ国会で難題だらけ。ひときわ、文化・芸術の力が人間性と人間力をつくるために大切だと思うこの頃です。
突然、怒鳴り始めた老人に出会った人は確かに多い。老人の暴走というより、若者よりも老人がキレるようになったことをどう解釈するか。まさに藤原さんは「人と人とのかかわり方の根底的な変化」を社会分析する。自分自身ではないかと危機感をもった。
1つは「時間」――「待つこと」の耐性に欠ける大人の増加。待つことが苦手、せっかちで先を急ごうとする。待つことのトラブルの増加。待つことが当然だった社会が「待たされることに苛立つ社会」になった。時間帯・スケジュール・帯グラフ人生、どうものんびりと日向ぼっこするおだやかな老人でなくなっている。競争社会を猛烈にスケジュールで来た、しかも指導的立場にあった人がリタイアしてもその感覚は身体に染み込んでいる。自分の時間を奪われることへの怒り。音楽、スポーツ、読書、情報、新しい態度を身につけないと、時代不適性の新老人となる。そしてそれはIT社会から取り残され、焦りと孤独を生む。
2つめは「空間」――地域社会が非地域社会となり、孤独、家自体も個室化する。臭気の攻撃で社会を攻撃するゴミ屋敷、騒音に対するイラダチ、家庭に居場所がない。
3つめは「感情」――社会のマナー、常識のコードが日々更新され、順応できない老人は情動を爆発させる。患者や生徒は「お客様」で医師も教師もサービス業になってしまった。サービス社会では笑いも表情管理、労働となる。クレーム社会だ。
秋の到来。地元では運動会、文化祭など諸行事が多く、走り回っています。
14日の日曜日も北区剣道大会を皮切りに、運動会や祝賀会、そして党として初の地方議員懇談会(東日本)などを行いました。
剣道大会で私が挨拶。「大相撲の朝青龍、ボクシングの亀田などが批判されている。それは日本の武道、そしてスポーツには、『勝てばよい、強ければよい』のではない。心のあり方、礼節、品格が求められているからだ。身心を鍛えるということが身体とともに、心を鍛え、心を養い、心を豊かにするということが大切だ。剣道をするなかで、人生にとって必要な攻める力と守る力、能動の力と受動の力の2つを築いてほしい」と話をしました。
子供たちが、伸びのびと元気に、声を出して気合をこめて試合をする光景に、うれしい思いがこみあげてきました。京大相撲部は「強き者よし、弱き者更によし」を部是としていました。いやこの部是は甘すぎる、強くなければダメだということを熱く論じたことがなつかしいですが、とにかく「人間を鍛える」ことこそが大事であることは時代を超えた真理だと思います。