産業資本主義の時代から新たなポスト産業資本主義の時代が21世紀だ。前者は「資本=金を追いかけ求めた時代」。後者は「お金が追いかける時代」。金融テクニックで膨れあがった資金が情報通信技術によって一体化した世界中の市場を行き交い、更なる膨張の機会を求めて駆け回っているファンド資本主義の時代が始まった。榊原さんは大切なものは「技術、知識、情報」であり、それを下支えするのが教育だという。
外国為替市場では、1日の取引額は1.5兆ドルで、資本が実体経済とは無関係に膨張する。お金が余っている。それが、技術と知識と人材を求めて追いかける時代。まさに、原油高騰と、サブプライム問題はそうしたものだ。
世界各国がいかに戦略的か。中国もインドも韓国もEUも。ところが日本は動いていない。動けないでいる。ポピュリズム、テレビの影響もその大きな要因だ。
ポピュリズムではダメ。ポピュリズムとナショナリズムの政治ではなく、リアリズム、リベラリズムの政治をもって、国家戦略をもって日本を進めよという。同じ危機感を私はものすごくもっていて、「安心、安全の勢いのある国」をめざしている。
「がんばらない」「あきらめない」最近では「なげださない」の著者。長野の諏訪中央病院に赴任して「がんばっている」鎌田さんの話題をよんだ著作。
高齢化社会、医療の構造的問題が大きな問題となっている今、「21世紀の超高齢化社会の解決策として介護保険制度が施行されたが、この制度はあくまで一般身体介護サービスであって本質的に大切なことが欠落している。人間のさびしさを解決してくれるサービスではないことだ」「物や金や情報よりも大切なものがあるはずだ。
21世紀、忘れていた魂への心くばりをぼくたちの乾いた心にとり戻したいと思う」「醫は医は技術、殳は役の一部で奉仕、酉は神に酒を奉ることで祈りや癒し」などをはじめとして、人に温かく、深い。
解説している荻野アンナさんは自立ということにふれ、「人は人によって支えられる。寄りかかりながらも、寄りかかり過ぎない。その按配をわきまえる以上の自立は、幻想でしかあり得ない」といい、家族、そして家族「のような」繋がりの必要さを話している。
脱9.11への視座と表題にあるとおり、9.11後の世界の劇的な変化。まさに脳力(物事の本質を考え抜く力)でそれを見る時に、日本がいかにズルズルと対応のみに終始し、理念もなく、時代を見抜く力もなく、漂流してしまっているかを描いている。大局観をみず、そして現実の変化を如実知見できずして、どうしてこの時代の、そして日本のカジ取りができようかという問いかけだ。
「脱9.11の時代を誤るな」「ベルサイユ講和会議の示唆するもの」「吉野作造と渋沢栄一」「核を保有せず、平和主義に徹し、武力をもって紛争解決をしない国としてのメッセージを発せよ。理念こそ現実的な戦略的時代が来ている」「力こそ正義ではなく、国際協調と国際法理を求める全員参加型秩序に向かう世界が始まっている」「分配に対して神経質になり始めた都市サラリーマンが既得権益を拒絶する心理をもった」「滅私奉公の時代を否定して成立した戦後社会に生きたために、公共とか社会に関わることにためらいを感じて育ってきた団塊の世代。
そこには経済主義と私生活主義への埋没がある」――思考停止を打ち破るには、理念と未来志向と責任、そうした強い意志が不可欠。
社会資本の整備を、経済が停滞し、財政が赤字で、しかも国民から既得権益への批判が出ている時に、どう考えたらいいのか。維持更新費を節約し、新たな経済活力をもつためには、「具体的に将来計画を立て、国民に示して、理解を得ることに本気で取り組まなければならない時期に来ている」という。従来、公共投資は「国民所得の最大化と地域格差の是正」をめざしたが、今の時代の理念は「まだ模索されている段階だ」という。
「市場は広域的で長期的なことは苦手」であり、「住民は将来の住民、他地域の住民に考慮が及ばない」というジレンマがある。
大阪が2008年度のオリンピックに立候補し、破れた時、IOCの調査国は大阪圏の交通基盤の弱さを指摘しており、世界の都市は大きく変化しているのに、日本は大都市への投資に80年以降油断とぬかりがあったと思われる。
コンパクト・シティ、街づくり、まさに少子高齢社会のなかで、グローバリゼーションの国際競争のなかで、新しい都市構想と公共の役割りをもっと考えなければと思う。