「カウンセリングの現場で見た絶望と変化」が副題。今から20年ほど前、山脇さんの「教室の悪魔」は衝撃的、現場での本質をついた素晴らしい著作であり、国会内で勉強会をもったことがある。久しぶりの今度は「夫婦」についての著作。現場のカウンセリングを通じた対応の希望を持てる良い本。
「夫への、妻への不平・ 不満は、実はやり直しの鍵」と帯にある通り、互いに理解し、努力すれば、やり直せる。「互いに余裕がなさすぎることが原因になっている場合もある。また、思いやりの気持ちが持てなくなってしまったのは、お互いに相手を責め、傷つけ合ってきた結果かもしれません。関係性というのは作っていくもの。相手を思いやり、優しくした分は自分にも戻ってくるはず」と結んでいる。
現場のカウンセリングの話だから極めて具体的----。「私が夫にイライラして仕方がないんです(『すぐやる』が苦手な夫」――母のようになりたくないのに、模倣してしまうと言う妻と、叱られた記憶がなく細部への観察力が低い夫の姿が浮き彫りになる。
「不機嫌に見える夫、顔色を窺ってしまう妻」――よくある話だが、親とのコミュニケーションが少なかった男性にこの傾向がある、と指摘する。「嘘の多い夫、GPSをつける妻」――男性は、子供の頃、厳しく行動について口うるさかった母の過干渉があったと言う。「妻の体調に配慮できない夫、受け入れすぎた妻」――尽くしすぎで「できない」と言えばよかったのに・・・・・・。
「自分大好き、自分勝手で不機嫌な夫、不機嫌な時は怖くて話しかけられないので、何も言わなくなった妻」――これもよくある話。「不機嫌、舌打ち、怒鳴らない。妻と子供のしたいことを優先する。子供とちゃんと遊ぶ」ことをカウンセリングで言う。また「妻の実家を毛嫌いする夫、親と仲がよすぎる妻」が紹介されるが、いずれも子供の頃からの家庭環境が反映していると指摘する。実家から離れるようにと言うアドバイスだ。
「家事を一切やらない妻、捨てられるのが怖い夫」「DVを訴える妻、実は先に被害を受けていた夫」「突然『死にたい』と言う妻、とにかく心配な夫」「実家に尽くしすぎる妻、間に立つことにした夫」など生々しい例が出される。
「子育てをめぐる困難」も、夫婦間に多い。まず「余裕のなさ」があるが、共働き時代が反映している。「夫が何もしない」「全く問題を感じていない夫」「父親の呪縛から自由になれない」「食卓がピリピリしている」「子供を愛せない妻」など、その育った家庭環境が大きい。「放任主義の家庭に育った妻」とか「自立心旺盛な夫」とか。
違った環境で育った2人が結婚し家庭を作る。若い頃は会話もない猛烈社員と専業主婦だった我々の世代と、共働きが普通でコミュニティーが欠落し孤立しがちな(互いに家庭で本当の感情が爆発してしまう)という現代----。互いに理解し努力する、相手の嫌がっていることを察知する努力が必要不可欠だ。熟年離婚でも、「これからも夫婦を続けて行くかどうかを考える際に重要なのは、お互いが相手の不満を受け入れ、変わろうという気持ちを持てるかどうかです」と言っている。わかり合っているということが幸せで楽しいはず。夫婦は案外、妻は(夫は)わかっているはずという思い込みが会話不足、そして亀裂になっていくもののようだ。
「君がいつもそばにいるから、毎日があたらしい」「新しい音楽に出会って、それまで見ていた世界がガラッと変わる」――。人や音楽。人生は、出会いによって目の前の景色が色づき軽やかになる。「自分には生きる意味がある」と切り替わる瞬間があり、目の前がパッと明るく面白く(面の前が明るく) なる。
中学生の新----幼い頃から家に飾られていた今は亡きカリスマ的ミュージシャンの写真を父と聞いて育ってきた新。いい仲間が3人。「バンドをやろう」と匠人が言い出し、匠はベース、陽菜はドラム、新はギター。「うたいながらぼくは、目の前の光景が、ぐんぐん色づいていって、輪郭がはっきりしてくるのを見た。あぁぼくの世界、今まで色がとても薄かったんだな」と。ある時、祖母からの手紙がきっかけで、「ぼくは有名なバンドマンの隠し子ではない」と知ることになる。こっそり祖母を訪ね、衝撃的な父の死の事実と母のとった行動。ずっと母は何も言わない。隠された真実に触れ、心が揺れる。祖母は「あなたのお母さんは、とんでもなく強い人だと思うわ」と微笑むのだった。
母親の晴本くすか――。幼い頃から家庭環境に恵まれず、友達もいない、"誰にも見えない存在"として生きてきた。父はほとんど帰ってこないし、母は「あ、そう」と言うだけ。ある時、音楽に出会ったことで、「なぜ泣きたいのかわからない。町に色がついてることを、光を発していることを、音に満ち溢れていることを、くすかはこの日にはじめて気がついた」・・・・・・。高校2年の時、初めて人間の友達ができた。庭田さん。そして東京の大学ヘ進学、そこで全く同じ音楽趣味の豆田時生に会うのだ。
いろいろあったが、再会後に結婚、子供がお腹に宿る。しかしその時、突然のホーム転落事故で時生が死んでしまう・・・・・・。
皆、一生懸命生きる。辛いこと、孤独・絶望もある。誰もが弱い。だが、「この絶望は私一人ではない。知ってる人がいてくれる」。1、2ヶ月で一気に書いたと著者は言う。そうだろうと思う。登場人物の感情のうねりが途切れない。人間っていいなと思わせるリズムがある。喜びと感動、思いやりが溢れている。素晴らしい小説に出会った。
大モンゴル国は高麗だけでなく南宋に迫る。その脅威をひたひたと感ずる鎌倉の北条時頼は権力を掌握。日本各地から情報を収集し、駿馬を集め、船を造り、水軍を訓練し、戦いに備えようと動く。蒙古襲来へ向けて、その激突前夜の静かな緊張感が迫ってくる森羅記第ニ巻。
お岩木山の北麓の台地から平野にかけて支配し、十三湊を抱える安東一族の木作繁安は馬群を引き連れ鎌倉に駆け付け得宗被官となる。松浦党の佐志タケルらも鎌倉と連携、造船を生業とする神田灯、海上輸送を行う松野青児、秀麗な水師・ 安房小太郎らも得宗被官として集う。劣勢の高麗で、懸命に珍島を守る波瀬一族(琵琶湖から日本海の舟運)も鎌倉と連携が深まっていく。北条時頼は、大モンゴル国の脅威を察知し、大型船の造船をはじめ態勢強化を急ぐ。執権を辞し最明寺入道となるが、きたるべき時のために嫡男の時宗(正寿)を厳しく鍛え上げる。
「大モンゴル国の内情を探ってみると大事な戦をニつ抱えているのがはっきり見えてくる。想像の及ばない遠い西の国の戦争、こちらからよく見える南宋攻略戦。大モンゴル国の視野にこの国が入っているのは間違いないことだ」「朝廷のありよう、寺と関係」「おまえは、いずれ執権になる。もしかすると、ひとりきりで立ち続けなければならないかもしれん。どうにもならないほどの、圧倒的な敵と向かいあったら、男が逃げることなどできないぞ」・・・・・・。父と子の「厳父の愛」「将軍学」は、この巻の白眉だ。
一方、大モンゴル国----。クビライの兄で第4代皇帝のモンケは「急ぎ過ぎる」性向を持つ。南宋攻略を任せられたクビライは、北部の燕京から西部の吐蕃、南西部の大理を陥し包囲網を成功させるが、南宋の防衛線は淮水と長江の間の平野で「壁」と呼ばれてきた。その防御の要は、2つの城郭、襄陽と樊城。「ニつの城郭を眼に入れた時に全身の毛が立つような感じがあった。陥せるわけがない。漢水の流れが本当の城壁だった。攻められない」とクビライは撤収する。
皇帝モンケは、「襄陽、樊城は自分で抜いてみせる」とはやり親征。クビライから軍権を召し上げる。西進していた兄貴のようなバトゥが死ぬ。モンケはテムゲ家のタガチャルを呼び出し総指揮とし親征を開始する。「クビライは戦わずして無理だと言った。そうなのかな。戦わなければ見えてこないものがある、と俺は思う」と広大な防衛地帯、襄陽と樊城に向かう。しかし、タガチャルは包囲したものの撤退。「あそこは、戦をするところではありません。地も、水上も空も支配されています」・・・・・・。
再び・・・・・・「兄弟に戻れ。モンケはそう言っていた。欲していた。願っていた。頼んでいた」「痩せたか、兄者」「うれしそうでしたね、陛下は。皇帝になられて、寂しいのですね」・・・・・・。二人の心情が伝わってくるなかなかの場面だ。
モンケ、クビライの軍勢30万。主力のクビライ軍----クビライ以下、副官のバアトル、麾下隊長のラケイラ、赤影隊の阿咒、そしてパクパ、竜夏以。いよいよ壁を破りに・・・・・・。そこに一報が・・・・・・。「陛下、御崩御です」と。
蒙古襲来ヘ緊迫感がひたひたと増す。
「青青たり陵上の柏・・・・・・」「自由自在に生きたらええ」「やりたいようにやったらええ」「やってくる変化が面白くて仕方ない」「遺灰は空に撒け」「気づいたものが変えていけばいい。身分も、肩書も、上も下も右も左もない。地面かて動いている」・・・・・・。
江戸の文化・文政時代。当代きっての儒学者で、諸藩をめぐっては経済改革の助言をし、閉ざされ格式ばった江戸の世に自由な生き方を説いた海保青陵が亡くなった。最後に弟子入りした弥兵衛は、弓師の家を継ぐべきか悩む16歳。「遺灰は空に撒け」との遺言を胸に、戯作者の暁鐘成とともに、青陵ゆかりの人々を訪ね歩く。
まず江戸に出て、青陵の弟・角田彪と会う。「兄上は非凡な才の持主。某は兄上のお役に立ちたい」「何が愚かだ、彪。我が賢弟。ただ、尾張徳川に仕えるのはひどく退屈で面白くない。そこにそなたを送って良いものか・・・・・・私ばかりが楽になって良いのかな」・・・・・・。天才、奇才、わがままで厄介な兄を廃嫡して、無事に角田家を継いだ真っ当な弟と認知されていくが、彪の心底にある兄への思慕は深かった。
さらに、江戸では自ら死亡通知を出して未だ達者な奇人、司馬江漢と交遊(これも青陵のアドバイス)しつつ、天文の地動説にまで思いを馳せる。秩父では忍藩の家老と会い生糸や煙草、さらに硯石まで見て回り、金沢では立山の資源まで探り、どこへ行っても"おかしな人"と繋がり愛され、尊敬された。商いを蔑視する武士を翻弄し訝しがられたが、「私心」が全くない故に、最後は信頼された。「先生は世の中を豊かにしたかったんやろう。経世家いうて、己の金回りに疎いんやから面白い」・・・・・・。
「青陵は何かを劇的に変えたわけではない。それでも常に、膠着したところに新しい風とともに現れ、人々の心を動かしてきたのだ」「青陵はただほんの少し、考え方を変えたら、世の中はこんなに面白いと気づかせたかった。同じ姿勢を保つより、伸びをした方が気持ち良い。風を浴びたら考えが変わることもある。そうすることで、自分と同じように今の世に『居心地の悪さ』や『窮屈さ』を感じる人々に、『自由自在』を見せたかったのではないだろうか。私はやはり、青陵先生のことが好きやなぁ」・・・・・・。
実に面白い人物。人一倍情も深かった。青青と生きた人。世のしがらみや型にはまった考えや仕来りから抜け出た人。まっすぐに青空を仰ぎ、自由自在に生きた人。青が似合う人だったと描く。
全国高校生総合文化祭の表彰式典で、主賓の文部科学大臣かつ文壇の大御所作家でもある清水義之が舞台上手から飛び出してきた男に刺殺される事件が起きる。逮捕された男の名前は永瀬暁、37歳。永瀬は逮捕された後、週刊誌に手記を発表し始める。そこには清水が深く関わっていたとされる新興宗教「世界博愛和光連合(愛光教会)」に対する恨みが綴られていた。弟の難病で、母親が愛光教会にのめり込み、暁の父であり気鋭の作家であった永瀬明(ペンネーム長瀬暁良)は、なぜか清水から徹底弾圧され自殺していた。
またその式典に参加していた作家の白金星賀(ペンネーム金谷灯里)は、この事件を小説として描く。本書の前半が暁の手記(「暁闇」)、後半が金星(白金星賀)の小説(「金星」)という独特の構成。このノンフィクションとフィクションが絡み合ってこそ見えてくる事件の真実。新興宗教に奪い取られた人々の運命と閉鎖空間ゆえに増幅して生まれる浄らかな愛の姿が浮き彫りにされる。
「暁星(あけぼし)」――暁に輝く金星。「金星は星の中では一番明るいが、明け方と夕方しか見えない。明けの明星、宵の明星と呼ばれるように常に太陽と一緒に輝いている。長瀬暁良の著作『暁闇』は夜明け前の暗闇という意味で、夜明け前が一番暗い。だけど必ず日は昇る、人生の闇を乗り越え、暁の空に金星を探そうというメッセージが、ビシビシ伝わってくる作品」・・・・・・。主人公となるのは、暁(小説部分では暁生)と金星。ニ人ともこの小説「暁闇」を感動して読んだが、文壇において暁の父は弾圧され自殺。ニ人の母親は共に愛光教会にのめり込む。暁の母は家を売るほどの多大な献金を、金星の母は娘を教団の上位の道へと必死に押し上げていく。金星は逃げようとしても、ますますがんじがらめになっていく。窒息するような中での暁と金星の結びつく愛・・・・・・。
「結局、ゾンビは一度なったら死ぬまでゾンビなんだよ。人間の世界からは迫害され、ゾンビの世界でも、下っ端ゾンビは食い尽くされて、無残に捨てられるだけ・・・・・・」「じゃあ、俺もだ」「暁生くんのお母さんはゾンビでも、暁生くんは違う。でも、私は一度ゾンビになったから、脱会したのに、人間には戻れない。私の暗闇に夜明けは来ない。太陽がなければ金星は誰にも見えない。そんな人生続ける意味がわからない」・・・・・・。そして「私をゾンビの洞窟に引きずり込んだ愛光教会の日本支部最高位、角龍、清原孝之を殺す。大切なナイフで」と(小説で)金星は言い、暁生は「金星、半分こしよう」と言うのだ。
愛光教会にからめ取られた怒り、苦しみ、悲しみ、逃げ出せない、人質をとられて闘えない・・・・・・。殺人に至る溜めに溜め込んだ心と愛が押し寄せる。
