14日、衆議院が解散され、いよいよ19日公示、31日投票となります。短期決戦です。何としても勝利をしなくてはなりません。解散直後、党両院総会が行われ、公明党は今期で8人の衆院議員が勇退。私も28年間の議員生活を退くことになりました。挨拶で「本当に多くの方々にお世話になりました。ありがとうございました。31日投票のこの衆議院選に勝つことが現在の全てです。公明党の勝利を目指し全力で戦います」と決意を述べました。本当にありがとうございました。
直ちに東京12区の現場に入り、選挙事務所開設式や集会等に駆けつけ、後継の岡本みつなり勝利への訴えをしました。
本当に長い間、皆様、ありがとうございました。皆様へのご恩返しに生涯かけて頑張っていきます。
「欠けぬ望月の家に生まれ、やがて日輪のごとく朝廷を照らし続けることとなった稀代の国母、藤原道長の娘・彰子(988年~1074年)」「藤原道長の娘にして、一条天皇の后。一条天皇と結ばれてのち、三条天皇、後一条天皇、後朱雀天皇、後冷泉天皇、後三条天皇と6代も見届けてきた彰子」「道長の思惑のまま12歳で一条天皇の后となった彰子は、優しく包んでくれる一条天皇の心を抱きしめ、87歳で没するまで天皇と一族を支え続けた」・・・・・・。父に利用されるだけであった内気な少女が、一族の闇、怨念、陰謀が跋扈する宮廷でいかにして生き抜いてきたか。いかに賢い女性であったかが活写される。
想像を絶する宮廷内の権謀術数、次々に起きる病魔による死、その怨念を晴らそうとする加持祈禱、そして陰謀によって起きる火災・・・・・・。凄まじい。「幼い敦康を胸に抱いた14歳のあの瞬間から、こうして30余年を経て自ら見出したのが、この菩薩道であるといってよかった。・・・・・・もとから派手な行ないを避ける性分である。史上稀に見る権威と繁栄を勝ち得た国母としては、慎ましいとさえいえる振る舞いをしてきたのだ」「人事こそ政治の根底である。彰子は国母として、それに影響を与える存在であることを公然と示したのだった。12歳から後宮で学び、29歳となって国母としての立場を築いた彰子の、まさに面目躍如である。生来の慎重な性格も幸いし、諸卿から白眼視されるようなことも、表立ってはなかった」「定子が遺した3人の子どもと一条天皇の輪に、自分を入れてもらえるという幸福である。懐妊してのちも、敦康を守ろうという気持ちに一点の曇りもなかった」「道長はいよいよ苛立ちを募らせていた。まだ彰子は帝の子を授からないのか」・・・・・・。
中宮・定子に仕えた清少納言。彰子は紫式部によく支えられた。彰子と紫式部との心のやりとりが面白い。「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」――栄華に酔いしれる父・道長や夫に照らされる"月"であった彰子が苦難・葛藤のなかで自ら光を放ちゆく"国母"となる生涯を鮮やかに描き出す。
ミャンマー政変。2021年2月1日、ミャンマー国軍がクーデターを起こし、アウンサンスーチー国家顧問兼外相、ウィンミン大統領、二人の副大統領のうち文民のヘンリーバンティオ副大統領らを拘束した。「国の司法・立法・行政の権限が国軍総司令官に移譲された」と宣言され、もう一人の副大統領・国軍出身のミンスエが暫定大統領に就任、三権をミンアウンフライ国軍総司令官に移譲された。理由は前年の総選挙での不正。民主化に舵を切っていたとみられていたミャンマーの突然の政変は、なぜ起きたのか。その背景は何か。副題は「クーデターの深層を探る」だ。
まず上げるのが、スーチー率いる民主派NLDとビルマ人ナショナリズムに基づく国軍との対立。「2011年に成立したテインセイン政権は予想以上の自由化を進めた」――私は驚くべき広大なネピドーで、2013年、そのテインセインに会った。またティラワ港の開発を日本が支援していること、ヤンゴンの鉄道への支援などを目のあたりにした頃だ。しかし、2015年の総選挙でNLDが大勝、国軍系のUSDPは大敗。国軍系は政権を失い、スーチーが復権。憲法で国軍の権利が擁護されている状況を突き崩しにかかった。スーチーが国家顧問法を成立させて大統領の上の存在になったり、ロヒンギャへの不法行為を否定してきた国軍に泥を塗るような発言をしたり、いよいよ軍の権限を弱める憲法改正案を提出する(20年1月)に至った。当然、国軍の権利構造を脅かすことになる。そこで昨年11月の選挙だ。
スー・チー派との亀裂が決定的と国軍は追い込まれていた。ミャンマーは国軍が担ってきた国でもあり、その構造が激変しているのだ。
ミャンマーのもつ国家の構造は複雑で、国内に100以上存在するという小数民族の問題がある。その一つが「ロヒンギャ70万人の流出」だ。ロヒンギャはラカイン州北部を中心に暮らすベンガル系の人々で言葉もベンガル系で、宗教はスンニ派イスラム教徒だ。バングラデシュなどベンガル地域から来た"よそ者・ベンガリー"と差別的に呼ばれる。ビルマ人(人口の70%)は「彼らはミャンマー人ではない」といい、スーチーも歯切れは悪く、国軍からもビルマ人からもロヒンギャからも批判される。社会でも、スーチーは「問題解決より自国の弁護に力を入れた」のだ。少数民族が多いが、ゴールデントライアングルの「ワ自治区」は少数民族武装勢力で最大の兵力をもつ。中央政府や国軍も自由に立ち入れない事実上の独立国だ。ミャンマー東部シャン州南部の少数民族武装勢力「シャン州復興評議会」も大規模だ。シャン州は国土の4分の1を占める広さで、タイとの際にある。タイと同族の民族で、仏教徒。アヘン栽培の悪名もある。
こうした複雑きわまりない状況を、歴史や現地ルポも踏まえて解説しつつ、「狭まる言論」「問われる国際社会」「日本の役割」について率直に語っている。
7日、岡本みつなり衆院議員を励ます自民、公明両党合同の「未来政経フォーラム」が開催されました。これには、自民党から、小渕優子衆院議員、高木けい衆院議員、北区・豊島区の都議会議員、区議会議員、有力者が数多く出席しました。
岡本衆院議員は、 新型コロナウィルス対策や経済再生、防災・減災対策を前へ進めていくと訴え、「応援して良かったと言われる政策を実現する」「新型コロナ治療薬の研究開発を後押しすると共に、荒川の水害対策に全力を挙げる」「命を守り、誰もが豊かな社会を築く」と決意を述べました。小渕衆院議員は、22年前に小渕元総理のもと、自公連立が始まったことを振り返りつつ、「連立をさらに強化し、岡本さんの勝利を」と訴えました。
私は「岡本さんは明るくて、よく動く。日本を前に進めようとする熱がある。能力は抜群だ」「政治家は仕事をすること、政治は結果だ。コロナ対策でも荒川等の災害対策でも仕事をしている」と勝利を訴えました。