黒牢城  米澤穂信.jpg「進めば極楽、退かば地獄」――。天正6年11月、信長を裏切った荒木摂津守村重は、ルイス・フロイスが「甚だ壮大にして見事」と評した大城塞、有岡城に立てこもった。一向門徒の本願寺と陰陽十州を欲する毛利と手を結んだ反信長の挙兵である。

「この戦、勝てませぬぞ」「毛利は来ませぬぞ」と村重の下に説得しに来た小寺官兵衛(黒田官兵衛)は言うが、囚われ土牢に入れられる。そして織田の大軍は、雲霞のごとく有岡城に迫ってくる。やがて高槻城の高山右近、茨木城の中川瀬兵衛が降伏し、大和田城の安部二右衛門まで寝返って降伏する。毛利は来ないばかりか、宇喜多直家も織田方に付き、毛利との途は遮断される。

四面楚歌の有岡城――。軍議も進まず、徒労感が漂い、やがて城内は疑心暗鬼に覆われていく。その描写はまことに見事だ。事件が起き、動揺が走る。内部の問題だ。「安部二右衛門の一子で人質として城中にあった自念の奇怪な死。村重は殺さぬようにしていたのに、なぜ胸に深い矢傷を負い死んだのか」「夜討ちをかけ討ち取った敵将・大津伝十郎の首が大凶相の首と変じた事件。伝十郎を討った手柄は誰のものか」「秘中の秘、村重が私議を進める使僧として用いた無辺が殺害され、持たせた名物〈寅申〉も消えた事件。その無辺を斬った瓦林能登が雷に打たれて死ぬ」「いや雷鳴の前に誰が能登を撃ったのか」・・・・・・。それらの事件が解明される過程で村重は追い詰められていく。四囲を敵に囲まれ、内部からの信頼が失われ有岡城から追い落とされる恐怖にさらされていく。

「采配に迷いが生じている、と村重は気づいた。・・・・・・迷うな、死ぬぞと、村重は自らに言い聞かせた」・・・・・・。そして城内に不安と不満が充満していくなか、村重は土牢の官兵衛の下に行くのだ。「おそれながらそれがしの見るところ、天下の軍を摂津守様と存分に語り得る者は・・・・・・まあ、まずは絶無。この有岡城で摂州様の言をまことに解する者は、誰一人ござらぬ。それがしのほかには誰一人」と官兵衛はいうのだ。更に摂津生まれでない村重の心中の揺れと重臣との心のズレが抉り出されていく。そして「仏の罰」「無間地獄」「御仏は見ている」「死にゆく民を安んじる」「勝つ見込みのない戦さのなか、崩れゆく荒木家の紐帯」の世界へと進む。

「村重はなぜ官兵衛を殺さなかったか」「村重はなぜ信長を裏切ったのか」「村重はなぜ単身で有岡城から逃げ出してしまったのか」「信長はなぜ荒木一族を発見しだい皆殺しにしたのか」「官兵衛は村重に何を吹き込んだのか」――。米澤穂信が描くユニークな「四面楚歌の荒木村重"有岡城"」だ。

終章では官兵衛が牢にある時に死んだ竹中半兵衛が、殺されたと思っていた松壽丸(黒田長政)を救ったことが出てくる。「義兄(半兵衛)は、やはり黒田の人質を斬れば一つには中国経略の誤りとなり、一つには天道に恥じ、一つには官兵衛殿に申し開きもできぬと言って上様をたばかり・・・・・・」という。結びとして、「黒田官兵衛は、自らの心得をこう遺している。神の罰より主君の罰おそるべし。主君の罰より臣下百姓の罰おそるべし。・・・・・・臣下百姓にうとまれては必ず国家を失ふ故、祈も詫言しても其罰はまぬかれがたし」との官兵衛の遺訓を語る。


うすい.jpg

25日には都議選の告示――。20日、豊島区の長橋けい一都議(都議選予定候補)、足立区のうすい浩一都議(都議選予定候補)の支援に走りました。

午後には、うすい浩一都議の時局講演会に出席。うすい都議は、都議会公明党がコロナ対策でさまざまな支援を行ったことを紹介。また、地元での防災・減災対策、地元待望の東京女子医大病院がいよいよ完成すること、日常の街頭演説で車椅子の少女から「東京駅のトイレに大人ベッドがあれば旅行に行ける」との切なる願いを実現したことなどを話しました。多くの人が感動しました。

私は「すぐやる、よくやる、うすいがやる」は本当にその通り。東京12選挙区で共に戦ってきた「すぐやる」「仕事のできる議員」で「政治は結果」を実行してきた議員であることを重ねて強調。地元荒川の洪水対策、堤防強化、ワクチン接種の加速化などの具体例を示し、勝利を訴えました。


三国志入門.jpg「三国志の世界を知ることは、宝の山に踏み込むようなものかもしれません」――。その通りだと思うが、あまりに膨大な三国志の世界は、森の中に入り込んで全体を見失いがちなのも事実だ。羅貫中の小説「三国志演義」、陳寿の歴史書「三国志」を踏まえ、中国歴史小説の第一人者の宮城谷さんがバシッと全体像を示してくれる。天が晴れるような「三国志」入門の書だ。

まず「三国志演義の世界」では、桃園の誓い、伏竜と鳳雛、秋風五丈原など、きわめて短く全体像をまとめてくれる。羅貫中は黄巾の乱(184年)から呉が滅亡して晋の武帝の太康元年(280年)までを描く。劉備を軸とした小説だ。中国の「三国時代」は曹操の子・曹丕が帝位についた年(220年)から司馬炎が帝位に即いた晋王朝が始まる265年までの間で"狭義の三国時代"となる。関羽や曹操は220年に死に、劉備は223年に死去する。「三国志の時代」は党人禁錮、宦官と外戚の威権除去、黄巾の乱で幕をあけ、群雄割拠の激動の世となる。

本書は時代の全体像とともに、「英雄たちの真実」「手に汗握る名勝負」「三国志のことば」の急所を描く。「英雄」として上げるのは、曹操、袁紹、劉備、孫権、諸葛亮、董卓、呂布、関羽、張飛、劉表、周瑜、荀彧。「名勝負」とは、「官渡の戦い 袁紹×曹操」(200年)、「赤壁の戦い 曹操×周瑜(孫権)」(208年)、「夷陵の戦い 劉備×陸遜(孫権)」(222年)、「五丈原の戦い 諸葛亮×司馬懿(曹叡)」(234年)だ。「三国志のことば」は「脾肉の嘆」「三顧の礼」「七縦七擒」「出師表」「泣いて馬謖を斬る」「死せる諸葛・・・・・・」「鶏肋」などだ。

久し振りに「三国志」の世界にふれることができ、頭が整理された。


ドキュメント  湊かなえ著.jpg「ブロードキャスト」に続く高校部活シリーズ第2弾。中学時代に陸上部に所属していた町田圭祐。駅伝で全国大会をめざしていたが県大会で僅差で敗れた。エースの山岸良太が出れなかったのだ。二人は陸上の強豪校である青海学院高校に進むが、圭祐は入学直前に交通事故に遭い、同じ中学出身の宮本正也に誘われ放送部に入部する。3年生が引退後、圭祐は2年生4人(白井律部長、蒼、黒田、翠)と同期の正也、久米さんと共に、全国大会めざし、テレビドキュメント部門の題材として「陸上部の活動」をやろうとして、ドローンまで使って撮影に入る。ところがこのドローン動画の中に、火のついた煙草を持って部室から出てくる親友・良太の姿が映り、驚愕する。「そんな良太ではない」「誰かが、良太を、陸上部を貶めようとしたのか」――放送部のそれぞれの人間関係の裏の姿が明らかになっていく。

コロナ禍で十分な部活ができない。新入生が入ってこない。オンラインだけでは本当の人間の接触ができない。練習も指導も友情も中途半端になることを読後に現在の日本を思いハッとする。高校時代は青春まっただなか。社会や友人との出会いのインパクトの強さ。本書の事件も「悪」というより純粋な「ひたむきさ」を感じさせる。

放送部が撮ろうとした映像。撮られたくない者もいる。映像が一人歩きしたり、悪用されるこのSNS社会のデリケートさと各個人の思惑。「伝える」ということがいかに難しいか。こちらの善意の思い込みが、他の人には善意や正義の押し付けになったりもする。青春時代はそんな未熟さが魅力でもあるし、思わぬ刃ともなる。「どうして俺はレンズのこちら側にいるのだろう」と圭祐はつぶやくが、その通り、人生には悔恨もあれば希望を見出そうとする意志もある。


1623890396653.jpg16日、第204回通常国会が閉会しました。

今国会では、最も重要となるコロナ対策のほか、デジタル社会やグリーン社会への対応策、少子化対策など、中長期的な課題にも対応する2021年度予算(一般会計総額106兆6097億円)が成立しました。加えて、コロナの感染防止、ワクチン接種の加速、生活支援や、企業・事業主支援、医療支援等を行う2020年度第三次補正予算を成立させました。

法案では、閣法を63本提出のうち、61本が成立。まん延防止等重点措置を設ける特措法改正、デジタル庁創設を柱とするデジタル改革関連法、流域治水対策関連法、安全保障上のための重要土地規制法などの重要法案、国民投票法や、わいせつ教員対策法なども成立しました。予算も法案も、公明党の主張が多く盛り込まれています。

閉幕後、菅首相から御礼の表敬を受けました。

いよいよ都議選――。勝利めざして頑張ります。そして衆院選です。

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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