16世紀末、九州のキリシタン大名の名代としてローマに派遣され、ローマ教皇に謁見した少年たち、いわゆる天正遣欧使節団。イエズス会の巡察師、アレッサンドロ・ヴァリニャーノに導かれ、はるばる海を渡った4人のキリシタンの少年たち。伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリマン、そして原マルティノの他にもう一人、俵屋宗達がいたというアート・フィクション。スケール、テンポ、冒険心、ダイナミック。抜群に面白い。
「風神雷神図屏風」で名高い琳派の祖・俵屋宗達は卓越した技術と新しい視野をもち独特の様式を確立したが、いまだ生没年すら確定せず、謎多き存在だ。それが、狩野永徳とともに宗達が仕上げた「洛中洛外図屏風」を、キリシタンの王たる教皇に届けるためにローマに行ってこい、そしてローマの"洛中洛外図"を描いて見せてくれ――これが織田信長の直々の命であった。天正十年の本能寺の変の直前だ。宗達たちはついにローマにたどり着く。そこで、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロの絵画に驚愕、衝撃を受け感動し涙する。バロックの巨匠となる少年・カラヴァッジョとも出会う。出会いの奇跡、東と西、芸術家たちの魂が時空を超えて邂逅する。「風神と雷神」「アイオロスとエピテル」の異形のダイナミックさが物語となって躍動する。
新しい年を迎えました。昨年は皆様から一方ならぬ御支援を賜り、心より感謝申し上げます。
今年は東京オリンピック・パラリンピックを成功させること。更により重要なのはポスト東京オリ・パラの経済・社会へのダッシュです。全力で頑張ります。
いよいよ2020年代――。人口減少・少子高齢社会、AI・ロボットの急進展、頻発・激甚化する大災害などの構造変化がヤマ場にさしかかります。今後10年の日本を直視し、これらの課題に真正面から取り組みます。景気・経済、中小企業支援、人生百年時代に対する全世代型社会保障の確立、脆弱国土日本を災害に強いまちにすべく、ハード・ソフト両面から防災・減災対策に力を注ぎます。
「安全・安心の勢いのある国づくり」――。安全への防災・減災、安心への全世代型社会保障。そのためにも「勢いのある国づくり」が重要です。「太陽の党・公明党」として「午前8時の太陽のごとき生命力」をもって2020年代に進みます。
本年が良き一年でありますよう心よりお祈り申し上げます。
これぞSF小説。しかもAI・IoT・ロボットの急進展を目のあたりにすると、描かれた世界が現実となるのも時間短縮されるかも知れない。それは楽しい豊かな社会とは異なるものではないか。世界の未来と秘密に迫るコンピュータ・サイエンス専攻のテッド・チャンの17年ぶりの刊行となる最新作品集。SF界のヒューゴー賞受賞作など9篇が収録されている。
「商人と錬金術師の門」――。タイムトラベル、しかも現代科学と矛盾しないで、「千夜一夜物語」風に話が展開する。くぐると20年前と20年後に移動できる門がある。「過去と未来は変えられるのか」と「過去や未来は変えられなくても不幸ではない。知ることの意義とは何か」は永遠のテーマだ。その人生の根源的課題に、緻密に温かく迫る。「予期される未来」は予言機の普及と自由意志の問題が語られる。
「息吹」――。毎日、空気が空になった肺を、吸気口にセットしていっぱいになった肺と取り替えるという今の人間とは異なる世界が登場する。そのなかで、脳と意識と生命の源としての空気(アルゴン)の存在や不死を探究していく。「わたしがこうして存在するのは宇宙のゆるやかな息吹から生まれた」「存在するという奇跡についてじっくり考え、自分にそれができることを喜びたまえ」・・・・・・。「オムファロス」も"若い地球"創造説、成長輪を持たない木々、縫い目のない頭蓋骨などと、現代物理学、考古学等による世界の探究を大胆に問題提起する。
「ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル」――。動物園の飼育係をしていた女性が、ディジエントと呼ばれる人工生物の子育てをし、教育し成長させていく。そのなかで生まれる飼い主との感情移入、絆。さらにはディジエントの虐待、性的関係、社会との関係等々が広範に描かれる。「デイシー式全自動ナニー」や「偽りのない事実、偽りのない気持ち」でも機械による子育てや父娘の葛藤、言葉と文字と気持ちの本質的問題等が描かれる。
人類の未来は、科学の急進展のなかで、とてつもない課題を突き付けられる。
今年、中曽根元首相や緒方貞子さん、堺屋太一さん、金田正一さんなどが亡くなりました。いずれも話をしたことのある人たちでした。
10年ほど前のこと。JICA理事長であった緒方さんと自民党の二階・大島両氏と懇談をしました。懇談が終わって別れ際に、緒方さんがポツリと「いろいろな国を訪ねました。難民キャンプも日常生活自体が大変な国も。でも子供たちや若者の目は輝いていましたよ。日本よりも。太田さん、もう少し日本を勢いのある国にしてくれませんかね」とつぶやきました。それが緒方さんと交した最後の言葉となりました。その言葉が強く心に残った私は、それ以後、「安全・安心の勢いのある国づくり」を掲げて政治活動をするようになりました。「勢いのある国」は私にとって緒方さんの遺言です。
「太陽の党・公明党」「庶民の党・公明党」「政治は結果。仕事をするのが政治家の役割り」を胸に「安全・安心の勢いのある国づくり」めざし、2020年代に進みます。
「牢人医師はなぜ謀反人となったか」が副題だが、通常の「本能寺の変」をめぐる小説タッチのものではない。日本中世史を専門とする関学教授のものだけに、きわめて実証的に織田政権の実態等から光秀の実像に迫る。新鮮な感がする。
生まれに二説ある。1528年と1516年、ここでは1528年をとる。天正10年(1582年)の本能寺の変の後に没するから数え55才となる。「光秀は土岐一家の人物で牢人だった」「越前の長崎称念寺の門前で明智十兵衛尉という牢人として10年暮らしていた」「足利義昭の足軽衆となる」「元亀元年(1570年)、信長の越前朝倉攻め、窮地の信長の反転攻勢のなか宇佐山城主となる」「延暦寺焼き討ちの功績で滋賀郡全体が与えられる」「義昭・信長連合軍で目立ち坂本城を築城する」「天正元年(1573年)、義昭と信長が離間し、信長方につく」「天正元年、朝倉義景敗北、浅井長政自刃・滅亡。光秀は激務の日々、京都代官を兼任する」「天正3年、武田を破る長篠の合戦後、信長の推挙で惟任日向守になる。丹波攻めを命じられるが、難しく挫折」・・・・・・。
興味深いのは「天正2年末以降、信長は道路を拡張する大土木工事を敢行し大規模な動員をした。それによって信長軍の圧倒的機動力が確保され(皮肉にも本能寺の変でも山崎の戦いでも)荘園領主の縄張り意識をも形骸化させた」「光秀の家格は土岐家の当主ではなく、土岐氏の庶家であった。身分の問題は彼の行動を規定した」「信長は道路をつくり、兵粮を把握する枡の規格統一など斬新な戦略を貫いた」「光秀は随一ともいえるスピードで伸し上がったが、織田家中からの風当たりが強かった。もめた場合に信長にとりなしてくれた信長側室の御妻木殿(光秀の妹)が天正9年8月に死亡したのが痛かった」「信長は部将たちに激務を強いる一方、一族を優遇する人材配置を積極的に進めた。側室となっていた妹を亡くした光秀は、信長から一族に準ずる扱いも期待できなくなっていた(不満と不安)」「急激に膨張した織田分国を統治しきれる人材を賄いきれていない、織田政権の官僚制度の整備が追いつかなかった。光秀もつらい出陣、家康の饗応など多忙を極めた。信長への過酷な労働奉仕のスパイラルが生じていた」等々・・・・・・。「道路整備」「側室の妹・御妻木殿の死」など、きわめて面白い。