「幸せになる読書論」と副題にあるが、私自身、本が好きで良かったと思っている。哲学書などを原文で深く読み続けてきた岸見さんのように、どっしりと読んではいない。しかし、読書をしていると「思考する頭脳」「思考の粘着力」が生まれて、思考が時空を越え、本書にあるように「本を読む時に感じる喜びの感情、生命感の高揚が現実を超える力になる」のは間違いないと思う。また当然、通常では経験できない「人を識る、社会を識る、世界を識る」ことができる。「自分を知る、自身の位置を知る」ことにもなる。
「本書で私は、たくさんの本を読もうとしないこと、また何かのために本を読むのではなく、本を読むこと自体を楽しむことなど、本をどう読むかについて、これまでの人生で読んだ本を引き合いにして考えてみた」「読書は何にも代えがたい人生の喜び、楽しみである」という。
18日、強い日差しのなか、地元では「わんぱく相撲北区大会」「小学校の運動会」などが行われました。多くの保護者も参加し、元気が広がりました。
また、豊島区に先日オープンした、フレイル(虚弱)の名称を全国に初めて使用する「東池袋フレイル対策センター」を視察しました。介護が必要になる前に、自身の体の弱点を見つけ出し、適切な健康や栄養の指導につなげることを目的に開設されたもの。日本の医療費・介護費は、毎年1兆円ずつ増えており、75歳以上の高齢者に医療費の約3分の1、介護費の約9割が使われているのが現状です。人生100年時代ーー。フレイル予防、がん対策、認知症施策が特に重要だと考え取り組んでいます。フレイル予防の全国展開が期待されるところです。
笑いととても深い関わりを持つユーモア。"ユーモア→うまい言葉→笑い"という構造。「ユーモアはほとんどの場合、知的な言葉によって表出されるのが本筋だ。だから――楽しい言葉を探そう――これがユーモア作法であり、若い人より年齢を重ねた立場のほうが扱いやすく、向いている」「ほとんどすべての人に対して、できれば明るく生きたい人に対して、『ユーモアは、いいですよ』と私は言いたい」「表情をともなう笑いに比べて人間の心の微妙さと関わるユーモアはもっと多様で、もっと広い。教養や人生経験を反映して、それゆえに若者より年配者にこそつきづきしい。行動的であるより、ためらいに臨みながら言葉で少しく参加しよう、という現れかたなのだ」――。
「日本人とユーモア(日本人にはユーモアがないと言われるが。狂言、川柳、狂歌、落語。ショートショートの「最期のメッセージ」。清少納言等の"をかし(趣きが深いこと)"。"しゃれ")」「西洋人とユーモア(イソップ物語はユーモア。イエスのユーモア。サービス満点のシェイクスピア。風刺のきいたスウィフトの真っ黒なユーモア。ユーモアと個人主義)」――。それぞれ選りすぐりで面白い。
「同級会は基本的に今の自分の生活にとりあえず満足している人が集まってくる」「"まあ、わるくはない"人生を、その人なりに生きて、その通りわるくない、のである。――人生こんなもの――どう生きたって、そこそこに幸福な最後を迎えられれば、もって銘すべし。あえて言えば、これがユーモア人生なのだ、と私は思う」「ユーモアはけっして過大な欲を抱かない。無理をせず、ほどほどのところに満足を見い出し、少し笑い、少し悲しみ、ときに逃避し、自嘲し、心理的に自分を守りながら大きな陥穽や絶望に陥ることなく、困難の少ない人生をほどよく生きるこつ、それを知っている心なのである」「偕老同穴。老後は夫婦仲よく暮らすのが一番、なによりすばらしいのである。人生の幸福、ここにあり、だろう」「このごろの世の中、人を批判し、文句をつけることにはとても熱心だが、褒めるほうはいたってけちである。もう少し褒めてもよいではないか」――。ユーモア、教養、諦観、楽しい言葉の探訪、ささやかな余裕、日常の幸福が素直に伝わってくる。