30度を超える真夏のような暑さとなった25日(土)、地元では「小学校の運動会」が行われ、多くの学校を回りました。元気な生徒の歓声が響き、地域全体が盛り上がりました。
学校関係者からは「熱中症対策が大事」「体育館にクーラーが昨年設置されたので本当に助かりました」「演目を減らし保護者の参加は全部なくしました」「これほど暑いと運動会の時期を雨もない11月に変えなければならないかもしれませんね」などという声がありました。
26日(日)、地域で行われた「介護老人福祉施設の竣工式」「豊島消防団ポンプ操法審査会」「介護老人保健施設のバザー」「南大塚ミュージックフェスティバル」「商店街の総会懇親会」等に参加し懇談しました。日差しの強いなか頑張っていただいた役員の皆さまに感謝です。
平成時代30年間の経済分析。それは「世界経済の大きな変化に日本経済が取り残された時代」「日本経済の国際的地位が継続的に低下された時代」であり、「大きな変化が生じていることに気が付かなかったために取り残された」という。「90年代初め、日本人はバブル崩壊に気づかなかった」し、「世界経済が90年代に大変化し、IT革命、製造業における水平分業という新しい生産方式が広がった」のに対応が全て遅れ、逆行すらした。「2000年代の回復は偽りの回復で改革が遠のいた」とも、「リーマン・ショックが実は日本の自動車等に大きな影響を与え、輸出立国終焉した」「輸出依存型成長は日本経済に対する本当の解決策ではなかった」「異次元金融緩和はマネーストックを増やさなかった。追加緩和・マイナス金利導入も効果なし」と指摘。「日本が抱えている問題は、金融緩和や円安では解決できない。産業構造・経済構造を変えるしかない。とくに新しい情報技術の活用だ」「新しい産業の登場が鍵」と結論づける。
バブルの崩壊、大企業や金融機関の不祥事、山一・長銀破綻、不良債権処理、IT革命、中国の台頭、リーマン・ショック、長引くデフレ、金融緩和・財政出動・成長戦略のアベノミクス、世界でのGAFAやBAT・・・・・・。10年区切りで日本の経済対策では格闘してきた思いだが、振り返れば失敗も、遅さ、にぶさも露わになっている。2004年、シャープの「世界の亀山」は垂直統合型の国内モノづくりの回帰であったが、2016年鴻海に呑み込まれたのは、指摘していることの代表例でもある。
そして日本の直面する課題を「人口高齢化への対処(労働力不足と社会保障支出の問題)」「大変貌する中国、この30~40年の世界経済の構造変化」「改革の遅れを取り戻しAIなどの新しい技術への対処(日本の情報技術の遅れ、情報分野中心の産業構造に、企業のビジネスモデルの転換・脱工業化、生産性の高い産業に、世界的水平分業)」と3項目提示している。
23日、兵庫県尼崎市で行われた高橋みつお・参院選兵庫選挙区予定候補(自民党推薦)を励ます「時局講演会」に出席し、挨拶をしました。これには中野洋昌衆院議員らが出席しました。
高橋みつおさんは「外交官として、アフリカで地雷除去、ヨーロッパで避難民のために現場で働いてきた。その経験を生かして、兵庫のために日本のために、防災・減災、教育、雇用など、目の前の人のために取り組んでいきたい」と力強く訴えました。
私は「高橋さんは現場第一主義の人道の人だ」「公明党が掲げてきた全世代型社会保障が、今や一番の国政の柱になっている」「なかでも、この10月から幼児教育、来年4月から高校授業料が無償化されるなど、70年ぶりの大改革が実現する。これこそ現場を走りながら"仕上げる政治"をやっている公明党の真骨頂だ」「自公政権の経済財政政策でかつてない雇用環境をつくってきた。さらに、給料がいい、休暇がある、希望がある、の新しい3Kの職場社会をつくっていくことが大事」などと訴えました。
平成から令和の時代となった。今生きている時代がどのような時代なのか。「平成の時代にも新たな時代様相が始まっている」「新しい時代の価値観が平成以後に始まっており、また平成は大正・昭和の流れを宿命的に背負いこんでいる」・・・・・・。令和の時代を迎えるに当たり、平成という時代の深層に迫っている。
平成は冷戦終結という世界の激動のなかで始まった。「昭和とは3つのキーワードで語り尽くせる。天皇(人間天皇)、戦争(非軍事体制)、市民だ」「平成の終わりになって、この3つは少しずつ崩れ始めている」という。「平成の3つのキーワードは何か。天皇(人間天皇と戦争の清算の役)、政治(選挙制度改革と議員の劣化)、災害(天災と人災)だ」といい、その検証が行われる。
「昭和の後半から現在まで、天皇が<平和勢力>と化していることに強い安堵と信頼をもつ」「政治は平成5年、6年に大きく変わった。自社さ連立政権のおかしな虚構政治(平成の愚行たる野合劇)。小選挙区制の無理。政治(家)の劣化」「災害史観(災害によって起きる社会現象や人心の変化)(形あるものは壊れるという絶望感、情報閉鎖集団の虐殺行為、死に一直線に向かう虚無感)が、関東大震災の時も、阪神・淡路大震災の時のオウム事件でも、東日本大震災の福島の原発事故でも時代を覆う」――。災害史観が時代の深層を覆う時こそ、謙虚に向き合い、克服しようとの生きる姿勢が大切となる。生の思想・哲学であるとともに具体的な実行の持続ということだ。「歴史には人知を越えた何かが存在する」ようだ。
政治・政治家の劣化は、国会論戦でも、白か黒かのワンフレーズ・ポリティックスにも、思想と志をもつ政治家ではなく、人気・知名度に傾く選挙にも顕われ今日に至っている。生命は尊いからこそ延命を図るという昭和後期の死生観も安楽死・尊厳死を扱うという変化をみせ、大企業・大銀行も破綻する変化を見せる。"ひきこもり"や"人を殺してみたかった"という平成少年犯罪が生まれ、戦後民主主義を支えてきた人命尊重・人権尊重といった価値観や倫理観が崩れつつある。戦後が死に、戦争の教訓が引き継がれなくなってきたのだ。津波への備えもズルズル、日常のなかで思考停止に陥る"ズルズル日本"にしてはいけないのだ。加えて平成の特徴であるインターネットの普及は、従来の社会常識を崩すことになる。「平成は深刻な時代の胎動期だったと将来語られるだろう」という。
昭和20年に生まれ、平成が全て政治活動だった私として、リアルに読み、考えた。