自宅で校閲の仕事をしながら会社員の夫・秀嗣と5歳の洗太、義母の治子と暮らしている折尾里佳子。そこへ突然、20年以上も行方知らずだった秀嗣の兄・優平が現われる。泊まらせることが嫌でたまらない里佳子だが、あまり自己主張しないタイプの秀嗣はなぜかこの「アニキ」を居候させてしまう。
怪しすぎる"不審者"。違和感がしだいに増幅する。しかも、里佳子の周囲では、住宅街に猫の死体が投げ込まれたり、毛虫が布団にいたり、仕事で大切なゲラが消えたり、気持ちの悪い出来事が次々起きる。何のために優平は来たのか。イライラが不安となり恐怖となって、里佳子は追い込まれていく。
「お前が長く深淵を覗き込むとき、深淵もまたお前を覗き込む(ニーチェ)」――。里佳子の実家での秘密の闇が、恐るべき深淵に全てを引きずり込む。
凄い、けれん味がなく真っすぐ、ぶっ飛ぶ、破天荒な喜怒哀楽、エネルギッシュで面白い。島田雅彦の自伝的青春私小説。「埴谷さんは暗黙裡に自らの異端性を弟子が受け継ぐよう促した、と君は受け止めた。彼は戦後派のみならず文学一般に受け継がれてきた価値観を守れとはいわなかった。文学なんか解体しても一向に構わないから、果敢に新しい心の露呈に対面せよと迫ったのである。つまり、伝統を保守する正統なんか目指さず異端のままでいよ、と」「君は滴り落ちる汗を拭いながら、遠くに見える遺影(中上健次)に向かって、『路地の荒くれ男たちの短命にして波瀾万丈の物語をなぞらず、自己申告ではない、正真正銘の文豪になる手もあったじゃないですか』と虚しく呼びかけた」「島田を守れ。オレが死んだら、誰もあいつを守ってやれない――。君はその時初めて、弟分に惜しみなく注がれた中上の慈しみを痛感した」「君が出会ったのは全て偉大な異端者たちばかりだ。君は幸か不幸かその系譜に連なるよう仕向けられた。君は疲れを知らずにナンパにかまける体力はあったが、まだ偉大な先輩たちの屈折や情熱、思想を表面的にしか理解できないバカだった・・・・・・」「すでに時効を迎えた若かった頃の愚行、恥辱、過去の数々を文書化しておくことにした。それにうってつけの形式は私小説をおいてほかない。正直者がバカを見るこの国で本当のことをいえば、異端扱いされるだろうが、それを恐れる者は小説家とはいえない」・・・・・・。
少年時代、高校時代、大学時代、そしてその後の煩悶や葛藤、文士・思想家との格闘の遍歴。戦争を経て戦後を背景にして躍り出た世代、次に団塊の世代、そして島田雅彦氏らの世代の感性は当然異なる。しかし在前する世界を突破し、脱出しようとする力は世代を超え魅力的だ。"異端"と称される天才たちの生命力・エネルギーに心持良さを感ずる。それはかなり本質的なものだ。
「DNA全解析とクリスパーの衝撃」が副題。ゲノムとは「DNAに記された全遺伝情報」を意味し、遺伝子はその重要な一部を成す。今、DTCと呼ばれる一般消費者向け遺伝子検査(DNA検査)が急速に普及しているというが、それは、「がん等をどう発見し、どう治療するか」「自分とは一体何なのか(ルーツ探し)(自分の外見や才能、性質や病気)」などに多くのユーザーが惹き付けられているからだ。そして、遺伝子操作の基礎研究や技術基盤はかなり確立され、実社会に応用されるのを待つばかりとなっている。ゲノム編集「クリスパー」と呼ばれる超先端バイオ技術だ。遺伝子検査サービスDTC、がんゲノム医療、知らぬ間に食卓に上るゲノム編集食品、生殖医療、刑事事件の科学捜査、生態系を改変する遺伝子ドライブ・・・・・・。各分野にゲノム編集技術が浸透しているが、光もあれば影もある。その実態と課題を解説する。
とくに医療と農業、生態系との関連だ。1970年代に始まった「遺伝子組み替え」の時代と違っているのは、特定の遺伝子を狙って操作できるクリスパーの時代となっていることだ。奇跡の世界に突入するとともに、根本的な懸念が出されるのはそのためだ。また米国、欧州、日本、中国などの対処方針の違いが浮き彫りにされる。「ゲノムから私たちの何が分かるのか?――遺伝子検査ビジネスの現状と課題」「ゲノム編集とは何か?――生物の遺伝情報を自在に書き換える技術の登場」「見えないゲノム編集食品」「科学捜査と遺伝子ドライブ、そして不老長寿――ゲノム技術は私たちの社会と生態系をどう変えるか」の各章がある。
ゲノム革命がひたひたと浸透している。進行途上であるだけに課題は重い。
