9784569832340.jpg勝者も敗者も必然の生死一如、何人も宿命から逃れられず世に翻弄されつつ生きる戦国の世。僧でありながら還俗して武人に戻ることを願い、かつ絵師として人の生きる道、正義を考え続けた絵師・海北友松。武人の気魄が込められた絵を描いた友松は、天文2年(1533年)浅井氏家臣として近江に生まれ、慶長20年(1615年)6月2日に没した。享年83歳。戦国時代に生き、その終焉を見届けたような生涯であったが、天才・狩野永徳の死後、晩年は絵師に没頭した。

とくに親しい友が2人いる。1人は明智光秀の家臣であった斎藤内蔵助利三、そしてもう1人は安国寺恵瓊。それだけで波乱万丈が察知されるが、焦点は何といっても本能寺の変。その原因は諸説あるが、本書はそこに美濃衆の信長への怨念・恐怖・反逆が一本線として貫かれている。明智光秀と斎藤内蔵助、友松、縁者・長曽我部元親、信長の妻・帰蝶、そして安国寺恵瓊と毛利・・・・・・。「美濃譲り状の有無」や法華宗と他宗の抗争、それが深層から噴き上げる。勿論、浅井氏の下にあった一族を滅ぼされた友松等の憤りもある。

美しきものを見て描く絵師ではあるが、武士も絵師も修羅の道を透徹して生き抜く覚悟がその心得だ。狩野永徳、長谷川等伯と並び称される海北友松だが、言語絶する歴史の興亡、戦乱を見てきた後の晩年にはじめて絵に専念した。美しきものを超えた武人の魂に迫ったのだ。

建仁寺の「雲龍図」をはじめ大作が多く、息子の海北友雪は、斎藤内蔵助の娘である春日局に引き上げられた。美濃衆と信長との内に秘めた激情を自由に、とてつもない戦国時代をきわめてクリアーに、スピード感をもって描き切っている。


西浮間小学校.jpg 鹿浜西小学校.jpg

27日(土)は、小学校の運動会ラッシュ。地元で約40の小学校で運動会が開催されました。天候にも恵まれ、応援合戦、50メートル走、リレー、大玉送り、騎馬戦、ソーラン節2017など、子どもたちの元気な声が響き渡りました。

以前は「秋の大運動会」でしたが、最近は二学期制や天候などの理由から、5月末に集中するようになりました。

私もできるだけ多く駆けつけましたが、保護者の参加もきわめて多く、多くの方々と懇談ができました。

王子第一小学校.jpg


EK-0371981.jpg昭和30年、新聞社の文化部記者・司馬遼太郎(32歳)が、本名・福田定一で書いた「名言随筆サラリーマン」という作品。"サラリーマン"がどんどん増えていった時代。中村武志の「目白三平」、源氏鶏太の「立春大吉」、映画でいえば森繁久彌等の「駅前シリーズ」、そしてクレイジー・キャッツの「サラリーマンは気楽な家業と来たもんだ」へと続いていく。野武士が消えて、全ての分野でサラリーマン化していった時、「サラリーマンとは一体何であろうか」と、"野武士記者"司馬遼太郎は"サラリーマン記者"を要請されてアタマを痛める。叛骨心がもたげてくるわけだ。「その苦しみのアブラ汗が本書である」という。

勝負の世界でもある企業人も政治家も記者もいまは"サラリーマン"。古今東西の"名言""箴言"を引用しつつ、"サラリーマン"と"人生"と"人間の幸福"を考えるが、60年たって今読んでも新鮮。合理主義的な管理社会が形成される今だが、やはり人は、生活の安定は確保しつつもロマンティシズムや叛骨、勝負に魅かれるもののようだ。

第2部の「2人の老サラリーマン」「あるサラリーマン記者」は、司馬遼太郎の心が率直に出てとくに面白い。20年ぶりの新刊、32歳司馬遼太郎の人間洞察と筆致に感心する。


リバース.jpg「深瀬和久は人殺しだ」――。恋人・越智美穂子のもとに届いた一行の手紙。ゼミの5人の仲間と高原の別荘に行った4年の夏。遅れて来た村井隆明を、大雨のなか車で迎えに走った広沢由樹が崖下に転落して死亡した。4人には秘密があり、ゼミ仲間の浅見康介にも、谷原康生にもその棘が刺さっていた。深瀬は懊悩する。

「犯人捜しなど、どうでもいい。ただ、広沢由樹のことを知りたかった」――。深瀬は広沢という人物を本当に理解していなかったことに気付く。それを探るなかで、自分にも出会い、事件の真相が見えてくる。


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20日(土)。30度を超える暑い日となりましたが、地元では「わんぱく相撲」や「小学校の運動会」などが行われました。

「第41回わんぱく相撲北区大会」では、約600人の子供たちが激しい相撲を展開しました。6月の東京都大会、7月の全国大会を目指したものでもあり、熱気のある大会となりました。

また、21日(日)は朝から町会の運動会、剣道大会、町会・商店街主催のカッパまつりなど多彩な行事に参加しています。

カッパまつり 170521.jpg

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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