勝者も敗者も必然の生死一如、何人も宿命から逃れられず世に翻弄されつつ生きる戦国の世。僧でありながら還俗して武人に戻ることを願い、かつ絵師として人の生きる道、正義を考え続けた絵師・海北友松。武人の気魄が込められた絵を描いた友松は、天文2年(1533年)浅井氏家臣として近江に生まれ、慶長20年(1615年)6月2日に没した。享年83歳。戦国時代に生き、その終焉を見届けたような生涯であったが、天才・狩野永徳の死後、晩年は絵師に没頭した。
とくに親しい友が2人いる。1人は明智光秀の家臣であった斎藤内蔵助利三、そしてもう1人は安国寺恵瓊。それだけで波乱万丈が察知されるが、焦点は何といっても本能寺の変。その原因は諸説あるが、本書はそこに美濃衆の信長への怨念・恐怖・反逆が一本線として貫かれている。明智光秀と斎藤内蔵助、友松、縁者・長曽我部元親、信長の妻・帰蝶、そして安国寺恵瓊と毛利・・・・・・。「美濃譲り状の有無」や法華宗と他宗の抗争、それが深層から噴き上げる。勿論、浅井氏の下にあった一族を滅ぼされた友松等の憤りもある。
美しきものを見て描く絵師ではあるが、武士も絵師も修羅の道を透徹して生き抜く覚悟がその心得だ。狩野永徳、長谷川等伯と並び称される海北友松だが、言語絶する歴史の興亡、戦乱を見てきた後の晩年にはじめて絵に専念した。美しきものを超えた武人の魂に迫ったのだ。
建仁寺の「雲龍図」をはじめ大作が多く、息子の海北友雪は、斎藤内蔵助の娘である春日局に引き上げられた。美濃衆と信長との内に秘めた激情を自由に、とてつもない戦国時代をきわめてクリアーに、スピード感をもって描き切っている。
昭和30年、新聞社の文化部記者・司馬遼太郎(32歳)が、本名・福田定一で書いた「名言随筆サラリーマン」という作品。"サラリーマン"がどんどん増えていった時代。中村武志の「目白三平」、源氏鶏太の「立春大吉」、映画でいえば森繁久彌等の「駅前シリーズ」、そしてクレイジー・キャッツの「サラリーマンは気楽な家業と来たもんだ」へと続いていく。野武士が消えて、全ての分野でサラリーマン化していった時、「サラリーマンとは一体何であろうか」と、"野武士記者"司馬遼太郎は"サラリーマン記者"を要請されてアタマを痛める。叛骨心がもたげてくるわけだ。「その苦しみのアブラ汗が本書である」という。
勝負の世界でもある企業人も政治家も記者もいまは"サラリーマン"。古今東西の"名言""箴言"を引用しつつ、"サラリーマン"と"人生"と"人間の幸福"を考えるが、60年たって今読んでも新鮮。合理主義的な管理社会が形成される今だが、やはり人は、生活の安定は確保しつつもロマンティシズムや叛骨、勝負に魅かれるもののようだ。
第2部の「2人の老サラリーマン」「あるサラリーマン記者」は、司馬遼太郎の心が率直に出てとくに面白い。20年ぶりの新刊、32歳司馬遼太郎の人間洞察と筆致に感心する。