九州北部や新潟などで大規模な水災害が起きています。また、昨日は東京で、暴風雨とともに大きな雹が降り、豊島区など所々で冠水しました。
18日、東京北区赤羽で国土交通省荒川下流河川事務所主催の「水防災シンポジウム」が開催されました。シンポジウムでは、私が冒頭に挨拶。気象予報士の井田寛子キャスターの講演の後、環境防災総合政策研究機構副所長の松尾一郎東大客員教授がコーディネーターでのパネルデスカッションが行われました。井田さんの講演は大変わかりやすく好評。水災害防止の充実したシンポジウムとなりました。
このシンポジウムでは「タイムライン」が焦点――。「タイムライン」は、私が国土交通大臣時代の2015年の6月に「全国初の本格的な荒川下流タイムライン」として策定。台風上陸の3日前、1日前、12時間前といった時系列で、地方自治体や交通機関などがとるべき防災行動をまとめておくもの。アメリカでは、2012年10月にハリケーン・サンディがニューヨークを襲った際に事前に地下鉄を止めるなど、被害軽減に大きな効果を発揮しました。
荒川下流の「タイムライン」では地元自治体のほか、鉄道、電力、通信、福祉施設など20機関、37部局もの多数の関係者が参加し、250項目以上にも及ぶ対策が練り上げられ、この3年で何度も打ち合わせがされています。
今回、水害時の気象情報・河川防災情報の活用方法や水害時から命を守る取り組みについて学べ、大変意義のあるシンポジウムとなりました。
「タイムライン」を全国に広めること、住民・行政・各団体等が危機感を持って取り組むこと――。全国展開がさらに必要です。頑張ります。
早いか遅いかはわからないが、2030年頃までは特化AIの時代、そしてその後は汎用AI(AGI)の時代が進む。カーツワイルがいう「シンギュラリティ」の到来は2045年だが、その後人間はどうなるか、社会はどうなるか。AIと共存し、やがて合体して、人間を越えるものになる。2050年ともなると人間は大きく変容せざるをえない。サイボーグへ、そしてハイパーAIと融合するポスト・ヒューマンへ。
本書は、多大なリスクがあるかもしれないのに、なぜ人間はテクノロジー開発を止めないのか、という哲学的命題に、人間の欲望、とくに脳の可塑性というキーワードで踏み込む。不利益をもたらしても、人間は不可能に挑戦する"奇妙な生き物"だという。「人間は欲望を回転させつづけることをしないと生きていけない。すでに充足させられた人間の欲望はどこへ向かうのか」「人間の生物としての賞味期限は切れる」「欲望の現われである資本主義の限界」「機械が人間に代わって主役になる"次のヴァージョンの資本主義""資本主義2.0"」「生物から非生物への変容こそが"愉楽=幸福"」・・・・・・。
そして本書で紹介している現状――。「もうはじまっているAIとの暮らし」「ディープ・ラーニングの正体」「アドバンスド・チェスとアドバンスド・将棋」「プレシンギュラリティでの人間とAIの協働」「生物としての人間と生死のないAI」「個体、有限性の人間と無限存在としてのハイパーAI」「生身の人間、電脳化したサイボーグ(人機一体)、AIロボットとの共存」「眼球に埋め込むサイボーグレンズ」・・・・・・。大変な時代がスタートしている。
明治38年、24歳で来日した米国人の建築家・実業家のウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880年~1964年)。近江八幡を拠点としてキリスト教の伝道の活動とともに、日本全国で数多くの西洋建築をてがける。さらにヴォーリズ合名会社を設立。メンソレータムを日本に普及されるなど、幅広い活動を展開。日米関係が悪化するなか、戦争に突入。華族の身分を捨てて結婚した妻・満喜子とともに厳しい立場に立たせられる。
しかし、日本を、近江を、接した多くの日本人を愛したW.M.ヴォーリズは、1945年9月、天皇制存続(神ではない)に大きな役割を果たすことになる。メンタム、広岡浅子、満喜子の兄・広岡恵三、種家、マッカーサーと近衛文麿との仲介、昭和天皇との出会いなど、数奇な生涯が描かれる。「日米の架け橋」というより、「建築家・ヴォーリズは、日米に大きな屋根をかけた」のだ。
「万が一、自分が命を落とすようなことがあったら、もういちど生まれ変わる。月のように。いちど欠けた月がもういちど満ちるように。そしてあなたにサインを送る。そのサインに気づいたら、生まれ変わりを受け入れてほしいと彼女は言いました」――。三角哲彦(アキヒコ)をめぐっての愛の美しさと深さと強さが時間を追って繰り返される。正木瑠璃との恋愛、その生まれ変わりの小山内の娘・瑠璃、緑坂ゆいの娘・るり、そして小沼希美(本当は瑠璃)。正木瑠璃が死んだ年に小山内瑠璃が生まれ、小山内瑠璃が死んだ年に希美が生まれ・・・・・・。
「瑠璃も玻璃も照らせば光る」と「前世を記憶する子どもたち」(生まれ変わりを思わせる事例についての著作)――この2つが繰り返され主旋律を奏でる。三角とそれぞれの瑠璃の愛の深さが時空を越える。とまどう周りの人々。しかし、こうしたことはあるとしみじみ思う。生命の輪廻転生、人の邂逅、縁とか天を感ずる世界。不思議としか思えない縁の深まる実感、生老病死の因果・・・・・・。その縁とか天という世界を感じられるかどうか。それが「生老病死の気づきの哲学」であり、人生の深さだ。そうした世界を悠久なる宇宙の美しくも厳しい「月の満ち欠け」として描く卓越した小説。