衆院憲法審査会が17日、今年初めて開かれ、各党が意見表明を行いました。私も発言し、今後の審議は「政局にとらわれず、冷静かつ重厚な論議を行うべきだ」と主張しました。
私は2000年に開始された衆院憲法調査会に一貫して所属し、党では憲法調査会座長を務めてきました。公明党は現憲法は「優れた憲法」と認識し、憲法三原理を堅持しつつ、時代の進展とともに変化してきたものに対して、加える条文があれば加えるという「加憲」の立場です。
この日、私は「憲法を論ずるということは国を論ずることだ。21世紀の日本の国のかたち、日本人の哲学はどうあるべきかということを踏まえた重厚な論議を行うべきだ」と述べました。まさに落着いた、重厚な論議が必要です。
「まさか」が、常に起きる時代だ。気象も政治も経済も社会もだ。変化激しき時代、スピードの時代をどう乗り越えるか。未来を志向するには、そこで起きている変化を的確に分析、判断することだ。
5章から成る。「『Brexit』から始まるまさか」は、英のEU離脱の衝撃と明年のヨーロッパ主要国の選挙などの底流を分析する。「『ヘリマネ狂騒国』のまさか」は、バーナンキによるヘリコプターマネー政策と日本の金融政策。「『中国の脅威』のまさか」では、今年度の中国公船の尖閣諸島周辺への侵入にはじまり、中国と米、日、韓等の戦略。「『脱グローバル化』のまさか」ではトランプ、クリントン、アベノミクス。分析はトランプ大統領誕生となった今でも適格だ。「『課題先進国・日本』のまさか」で日本経済の国民意識、労働生産性の低下、第4次産業革命、働き方改革の意味等が語られる。
いずれも「まさかの時代」の今、世界で何が起きているかを生々しく分析している。
在宅医療の生々しい現場。嬉しいことも、驚いたことも。汚くて足を踏み入れるのも躊躇する家も、訳ありの家も、虐待や放置も、孤独で医者の顔が見たいという人や電話をする人もいる。看取りもする。訪問診療も介護サービスの一つと混同しやすく、文句も相当いわれる。「患者さんと会話のできる医者が在宅医療に向いている」「私たちは患者さんに寄り添っていたい」という。
在宅医療を専門にやっているクリニックがほとんどない頃に、在宅医療に特化した診療所にチャレンジした島田さん。凄い現場、しかし、血の通った温かい医療によって心が通い合い、喜びが生まれる。そして「在宅医療の現場は生き生きとしています」と語る。若い医師の明るさ、生命力、熱が伝わってきて、うれしくなる。
荒川下流域の堤防・水門の強化対策を推進――。私は荒川の水害対策に力を入れて来ましたが、14日、東京都足立区の荒川堤防の天端(てんば=堤防上部)や法尻(のりじり=堤防の外側の底の部分)の危機管理型ハード対策、さらに芝川、岩淵(東京都北区)の両水門の耐震化対策を視察しました。これには、竹谷とし子 参院議員、友利春久、中山信行(都議選予定候補=足立区)、大松あきら(都議選予定候補=北区)の各都議、うすい浩一足立区議(都議選予定候補=足立区)、青木ひろこ北区議が参加しました。
まず、足立区足立2丁目の天端・法尻の危機管理型ハード対策を行なっている現場に直行。昨年の鬼怒川堤防決壊の原因の一つは、堤防越水により法尻が削られたことです。荒川下流域は11年の国交省の緊急点検で、点検した左右両岸のうち75%にあたる33.7kmで強度や高さが不足し、対策が必要と判断されました。当時、私はすぐに国に対し、河川などの防災・減災対策の申し入れをしました。その後、私が国交大臣になり現在まで、堤防強化策を強力に推進して来ました。荒川下流域の天端・法尻の強化対策の最後の工事が今回の視察場所です。
次に芝川水門、岩淵水門(耐震化はすでに完了)の耐震化工事の現場に行き、耐震化対策を視察しました。首都直下地震の発生が台風など荒川上流の増水と重なれば、ゼロメートル地帯や地下鉄、地下街が多い東京の下町は複合災害で壊滅的な被害となる恐れがあります。北区にある岩淵水門は荒川上流の水が、隅田川に流入して洪水となるのを防ぐ、いわば東京下町を守るため"仁王立ち"する最重要の水門です。
耐震化工事は、地元だけでなく、首都東京の安全・安心にとって極めて重要です。岩淵水門は昨年の6月に耐震化工事が完了し、芝川水門は来年度中に耐震化工事が完了する予定です。
近年は雨の降り方が変わってきて、局地化、集中化、激甚化しています。「想定外」の結果を起こさないよう、あらゆる事態を想定しながら、命を守る防災・減災対策に万全の対策を打っていきます。
11月12、13日、北海道の札幌、岩見沢、石狩、厚田等に行き、視察、要望、懇談等を行いました。また、札幌市で行われた佐藤英道衆院議員の政経懇親会に出席し、あいさつをしました。
北海道はとくに、今夏、北海道史上はじめて3つの台風が上陸し、堤防決壊や越水などにより、農作物をはじめ鉄道、道路などに未曾有の被害を与えました。私は到着後真っ先に、甚大な被害を受けた、十勝地区農業協同組合長会の有塚利宣会長に被害の実情を伺い、要望を受けました。また、JR北海道の島田修社長や関係者からも話を聞きました。今回の災害は、明治以来、先人が営々と作り上げてきた畑の表土が流されるというかつてない状況で、有塚会長からは「地獄の底を見た」という言葉もありました。
私は被害が発生した直後から、関係者に被害状況を聞き、官邸や国交省をはじめとする関係各所に何度も働きかけ、河川、農地、鉄道、道路等の復旧のために、手を打ってきました。大切なことは、一刻も早く復旧の手を打つと同時に、今回のような豪雨が降ったとしても、二度と同じような被害が発生しないよう、再度災害防止策をしっかり講ずることです。これらのことを報告しましたが、有塚会長等から「北海道の私たちの状況を親身に考えてくれている」と、大変喜んでいただきました。引き続き手を打っていきます。
また、早期完成が望まれる道央圏連絡道路(国道337号)を視察。札幌の外環道というべきもので、これが完成すると、千歳、苫小牧から石狩湾新港への物流が飛躍的に向上します。
岩見沢では、稲津久衆院議員とICT農業の取り組みを聞き、また道央圏連絡道路と岩見沢市とのアクセス道路の陳情を、松野哲岩見沢市長、三好富士夫南幌町長、斎藤良彦長沼副町長から受けました。
翌13日は、石狩市で建設工事が進んでいる、道の駅「石狩あったか・あいろーど(仮称)」を視察しました。この道の駅は、私が国交大臣の時に認可したものですが、厚田村海沿いの中心地にできる絶好・設計の地にあり、観光や地域創生に大きな力となるものです。
北海道の振興のために、さらに頑張ります。