幕末を、松江藩の圧政下にあった日本海に浮かぶ隠岐「島後」から、じつに綿密に描いた重厚な書。時代の激流に離島であるがゆえに翻弄される島民。しかもその地に、大塩平八郎の挙兵(天保8年、1837年)に連座した西村履三郎の息子・数え15歳の常太郎が流人として到着するところから物語は始まる。
救民の旗を掲げた大塩平八郎の挙兵だけでなく、「江州湖辺大一揆」「福知山大一揆」の関係者・杉本惣太郎や豊之助も加わり、「数万の農民を凶作と苛政の塗炭の苦から救う」「義に斃れることを栄誉と信じ、誓って奸吏を退ける」という義挙が、底流に流れ続ける。
島民は激動にさらされる。「世間は"御一新"などともてはやしていたが、やはり何ひとつ変わっていなかった」「無能で怠惰な郡代や藩役人個々を追放したかったのではない。島民が、自ら生きることのできないような治世の仕組みそのものを拒否し、それを追放しようとした」はずなのに、島民の苦難は少しも変わらない。しかも島内は「出雲党」だの「正義党・尊攘派」などと敵視しあう緊迫した状況まで生まれる。
医師となった常太郎の「維新政府なるものに対する失望ばかりが募っていた」「31年前、父履三郎が大塩平八郎とともに挙兵したのはいったい何のためだったのか」との思いは、時代を超えて続く。「民の憂い募りて国滅ぶ」「民の欲する所 天必ず之に従う」ということだ。
天正18年(1590年)、秀吉によって江戸に転封された家康の見たものは、低湿地の広がる江戸とそこに建つお粗末な江戸城だった。家康はそこで東京湾に注いでいた利根川を太平洋へと流す大工事に乗り出す。第一話はこの「流れを変える(利根川の東遷、荒川の西遷)」だ。これを命ぜられたのが伊奈忠次、それを継いだ伊奈忠治。第二話は「金貨を延べる(天正大判を駆遂し、貨幣を制する小判の貨幣鋳造、金座)」で後藤庄三郎。
第三話は「飲み水を引く(七井の池―井の頭から関口、水道橋へと立体交差する神田上水工事)」の内田六次郎、大久保主水藤五郎、春日与右衛門。第四話は「石垣を積む(江戸城の石垣)」の"見えすき吾平"と"見えすき喜三太"。そして大阪夏の陣。第五話は「天守を起こす(白色の江戸城天守閣への家康、秀忠の思考)(漆喰)」は家康が何を考えたかに迫っている。
「国土」「土木工学」に携わってきた者として、また東京に住んでいる者として、きわめて面白かった。
14、15の土日。爽やかな五月晴れのなか、地元では青少年の行事が多く行われました。
14日は北区青年会議所主催の「第40回わんぱく相撲北区大会」が盛大に行われ、小学校1年生から6年生までの多くの子どもたちが参加しました。これまでで最も多い参加者で、保護者の方も含め、大変な盛り上がりでした。
15日は町会・自治会の運動会や第24回カッパまつり等、多くの行事が行われました。
子どもたちを応援しようと、様々な行事の運営をしてくださる地域の方々に感謝です。また、いずれの会場でも熊本地震から1か月となり、お見舞いとともに災害では地域のつながり、絆が大事であることが話されました。こうした地域行事がいろんな意味で大切です。
大正関東地震(震災の名は関東大震災、1923年、M7.9)、兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災、M7.3)、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)・・・・・・。この20年、今回の熊本地震までに、新潟中越地震等を含め、ほぼ5年に1回は大きな地震に日本は襲われている。
首都圏の地震は「プレート境界で発生するM8クラスの巨大地震と、必ずしもプレート境界ではないが、プレートの沈み込みに伴うM7クラスの大地震の二種類」があり、M8クラスの地震発生間隔はきわめて長い(約390年)。
「東京都を中心とする150k㎡の範囲に、M7程度の地震が100年間で5回程度の頻度で発生している」――明治以降でいえば、明治東京地震(1894年、M7.0)、茨城県南部の霞ヶ浦付近(1895年、M7.2)、茨城県南部の龍ヶ崎付近(1921年、M7.0)、浦賀水道付近(1922年、M6.8)、千葉県東方沖(1987年、M6.7)だ。M8クラスの地震は1923年大正関東地震とその余震(M7以上が複数回発生)、1703年の元禄関東地震(M8.2)などがあるが、このプレート境界地震は発生間隔が長いのでこれを除いて、「30年以内に発生する確率が約70%」という数字が算出されている。1995年の兵庫県南部地震のような危険に備えるということだ。
「首都直下地震とは何か」「予想される被害」「想定から外された東京湾北部地震」「プレート境界の関東地震」「プレート内部での地震(スラブ内地震)(都心南部直下地震)」「30年以内、70%の意味」などが詳述され、「首都圏を守るために」として、耐震化と出火対策、帰宅困難者への対策、自主防災組織の重要性、新しいコミュニティの創出、防災教育などが提唱されている。
10日、地元北区の荒川右岸河川敷で大規模な「平成28年度 第五消防方面・北区合同総合水防訓練」が行われました。
この訓練は毎年、出水期に備えて行われており、東京消防庁第五消防方面本部、北区、赤羽・王子・滝野川の各消防団、町会・自治会、東京消防庁災害時ボランティアなどの多くの方々が参加しました。
会場では河川堤防や地下鉄やビル等への浸水を具体的に想定。「鋼板防護工法」「地下浸水防止工法」「月の輪工法」「地下鉄の排水活動」「土のうを活用した浸水防止工法」など、実践的な訓練が次々と行われました。こうした実践的訓練はきわめて重要なもので、地域にも広げる必要があります。
私は「昨年9月の関東・東北豪雨による常総市鬼怒川の氾濫や4月の熊本地震などが起きており、災害は常に切迫している。協力・連携をいただいて、東京の大規模水害や首都直下地震への備えに万全を期していきたい」と挨拶をしました。