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16日、与党の税制改正大綱が決定。17年4月から消費税率を10%に引き上げるのに合わせて「酒類、外食を除く食品全般と新聞の税率を8%に据え置く」という軽減税率の導入が決まりました。

「10%になっても、せめて食品は消費税を上げないでほしい」という庶民の願いが実現したものです。消費税は1%で約2.8兆円。従って2%で5.6兆円となり、約1兆円が軽減となります。この必要な財源については「『社会保障と税の一体改革』の原点に立ち、16年度末までに歳入および歳出における取り組みにより、与党の責任において、確実に安定的な恒久財源を確保する」としました。

高齢化が進むなか、社会保障費は急増しており、現在は消費税8%で約22.4兆円ですが、それではとても社会保障費はまかなえません。急増する社会保障の財源確保の為には、税制だけでなく経済全体の活性化(稼ぐこと)、行政改革などが重要です。団塊の世代が75歳以上となる2025年をはじめ、将来の日本のために更なる努力が必要です。


欧州統合、ギリシャに死す.jpgギリシャ問題の解決は難しい「終わらない危機」だ。まずギリシャという国が、歴史的にも地政学的にも重要であるとともに、1820年から今年2015年までの195年間のうち90年以上が「債務不履行期間」に当たる"常習犯"であるということだ。そして今もチプラス政権の迷走、支離滅裂な行動は続いている。そして「ユーロという仕組みは"矛盾"を内包した仕組みです。そこにはドイツとフランスという二つのリーダー国の根本的な思想の違いに起因する"矛盾"が存在する」「欧州統合は、フランスにとっては文化的な"夢"であり、ドイツにとっては経済的な"現実"であり、ユーロ加盟国に厳格なルールを導入しようとしている(欧州統合の夢か、ゲルマン・エリート・クラブか)」という根本矛盾が背景にあると指摘する。

ギリシャは今、極端な緊縮財政がとられ、GDPは2008年から1/4ほど消滅し、失業率は25%と大恐慌時のアメリカ並み、若年者の失業率は50%以上、今後さらに第三次支援策の下でも強引な緊縮策が予定される。

ギリシャの危機は、ギリシャを超えて「ユーロ自体の存続の問題」にまで拡大しているが、竹森さんは一つの解決法としてドイツ、フランスが交わりようのないそれぞれの考えのなかで、「ギリシャは特例だ」という認識をもち、「一番無理のない方法でいずれにしても必要な"債務の減免"を実行する」ことだと提起する。今年のギリシャ、独仏、IMF等の動きを丁寧に分析し、その構造を解説している。


つれづれ中央道1.JPG「高速・中央自動車道上り線の調布付近は、朝夕いつも渋滞していて困っている。何とかしてほしい」ーー。こうした要望を受け、現在工事中の調布地区渋滞対策の現場を12日(土)、高木陽介衆院議員、竹谷とし子参院議員、都議会議員と共に視察をしました。

中央自動車道(上り車線)調布インターチェンジ(IC)~三鷹バスストップ(BS)間は慢性的に渋滞となっており、平成26年には全国で朝の渋滞ワースト1位となった区間。同区間は1日に約9万台の交通量があり、調布ICからの合流や、上り勾配があって、朝夕の慢性的な渋滞が発生しています。東京・三多摩地域の公明党都議会議員を通じての要望、さらには国会で高木陽介衆院議員から直接質問を受け、私が急ぎ手を打つと決断したものです。

このたびNEXCO中日本において、11月2日から道路幅を広げることなく、車線幅や路肩幅を狭めて付加車線を設置する対策工事を行っています。

この付加車線が設置されたことにより、この区間の渋滞緩和が見込まれ、定時性・安全性の向上が図られます。今月中には完成させ、いい正月が迎えられます。

つれづれ もちつき151214.jpg13日(日)は、地域で盛大にもちつき大会が行われ、私も10か所以上回り、また、踊りの会の忘年会、社会福祉法人の大感謝祭、戸田市で国政報告会に参加しました。


増田さんの「地方消滅――東京一極集中が招く人口急減」と、冨山さんの「なぜローカル経済から日本は甦るのか――GとLの経済成長戦略(通称GL本)」の両著は昨年、すぐれたというだけでなく、地方創生戦略に大きな影響を与えた。私も国交省の「国土のグランドデザイン2050」と「インフラ・ストック効果」の2つを交えて、増田さん、冨山さんとそれぞれ対談を行った。

時代、社会は動いている。変化している。東京も地方も、そして日本も、「人口減少」「高齢化」「迫る大災害」「グローバリゼーションのなかでの都市間競争の激化」「進むICT」等々を凝視し、今、戦略的に対応しないと生き残れない。「GとLは違う」「地方で人出不足の時代が来ている」「生産性を向上できれば、賃金が増え、夫婦で500万の年収が得られるようにできる」「その生産性向上の余地があるのは圧倒的にローカル経済圏だ」「データに基づいて考えよ。デマに惑わされるな」「企業の生産性向上は安い賃金の雇用や失業によっての時代とは異なる。人出不足の時代の生産性向上、地方発のイノベーションの時代だ」「地方創生は中央創生」・・・・・・。3人で活発に対談しているかのように読んだ。


織田信長 433年目の真実.jpg天正10年(1582年)6月2日の本能寺の変とは何であったか――信長とは、光秀とは・・・・・・。前著「本能寺の変 431年目の真実」に続いての書。前著は光秀を中心にして科学的、論理的、文献の証拠をあげての徹底解明だが、本書は信長の思考と戦略に迫る。副題の「信長脳を歴史捜査せよ!」だ。

「生存合理性を追求した武将が"無策・無謀"で謀反に飛躍することはあり得ない」「信長への恨みなどから1人で謀反を決意したという怨恨説・野望説は誤り」「秀吉が後に家臣に書かせた『惟任退治記』や『甫庵信長記』は創作話だ」「長曽我部征伐が不可避であることを知って、光秀は謀反を最終決断した」「密室で信長と光秀の2人で家康討ちを打合せている。備中出陣そのものが家康討ちのための偽装工作だった」「家康が謀反を起こして自分を殺そうとしたので返り討ちにしたという理由付けを信長は考え、本能寺に入り、舞台をつくった(無警戒で本能寺にいたのではない)。しかし、光秀の謀反を見抜けなかった」・・・・・・。

そして信長、秀吉の「唐入り」が問題の底流を形成した。つまり「(秀吉は)諸国の領主を籠絡し服従させた後には、彼らをシナ征服という企てに駆り立てようとした。・・・・・・唐入りに対する恐怖が国中に広まり、唐入りを止めるために謀反が起きるであろうと、人々は考えていた。・・・・・・秀頼が生まれる1年4カ月も前に秀吉は関白秀次の明への放逐を考えた」「信長は唐入りの着想をどこから得たのか。・・・・・・スペインの海外征服の知識を信長に与えたのはイエズス会である」――。近くを、そして国内を身内で固め、遠くに武将を置こうとしたのだ、という。

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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