11月23、24日、宮城県南三陸町、気仙沼市の復興の取り組み等を視察しました。
4地区の内3地区が甚大な被害を受けた南三陸町。案内をしてくれたのは町でつくっている「語り部」の人。震災当時の生々しい状況を聞き各所の視察を行いました。「語り部」は観光協会と地元ホテルが協力し、お年寄りから高校生まで「語り部」として活躍しています。道路等の基幹インフラは整備されており、街づくりの土地の嵩上げ、高台移転のヤマ場という状況です。
高台を造る盛り土や防潮堤の設置工事が各所で行われている気仙沼市では、気仙沼漁業共同組合の代表と懇談。多くのカジキやサケが水揚げされている魚市場を早朝に視察しました。震災前の活況を取り戻していますが、人手不足が深刻です。また、菅原茂気仙沼市長と懇談し、さまざま要請を受けた後、気仙沼海岸の防潮堤の設置工事現場やBRT等の視察を行いました。
更なる復興ために頑張ります。
定年後の人生は長い。「悠々自適」「好きなことに時間をかける。趣味に、旅行に」「ゆっくり夫婦で」などというのは恐らく3カ月だけ。多くの人は「やり切った。会社人生に思い残すことはない」などという感覚をおそらくもたない。内館さんは「成仏してない」という。もう一回挑戦したいと思っても、社会は「終わった人」と見る。着地点に至るまでの人生が恵まれていても「かえって"横一列"を受け入れられない不幸もある」のだ。
「年齢や能力の衰えを泰然と受け入れることこそ人間の品格」「重要なのは品格のある衰退(坂本義和)」というが、人生も街づくり(コンパクトシティ)も「上手に縮む」のは簡単ではない。「思い出と戦っても勝てねンだよ」とはプロレスラーの武藤敬司さんの名言で、本書でも何度も出てくる。たしかに定年後、美化された思い出ばかりと格闘しがちになろう。
「介護」「認知症」「下流老人」・・・・・・。これも深刻だが、元気な高齢者の居場所、孤独、暴走老人も大きな問題だ。全ての人に定年が来る。秋が来る。そして今やなかなか死が来ない。そして生老病死の人生の着地点は大差がないものだ。内館さんのこの小説で、様々なことを360度にわたって考えさせられた。
異色の対談だが、いい語らいが続く。驚愕の事件そのものを取り上げているというより、その事件を生み出した社会的背景を述べている。生の言葉で語られるがゆえに、説得力をもつ。
10大事件は「昭和金融恐慌」「2.26事件」「大政翼賛会と三国同盟」「東京裁判と戦後改革」「憲法第9条」「日本初のヌードショー」「金閣寺焼失とヘルシンキ・オリンピック挑戦」「第五福竜丸事件と『ゴジラ』」「高度経済成長と事件――公害問題・安保騒動・新幹線開業」「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件(宮崎勤事件)」だ。昭和の時代は戦争が傷となり、トラウマとなり、その記憶は癒えず、体験を引きずっている。20年代終わりからは私も明確に覚えている。
「一億総老後崩壊の衝撃」と副題にある。今後さらに下流老人(生活保護基準相当で暮らす高齢者、およびその恐れがある高齢者)が大量に生まれ、日本社会に衝撃を与えるが、現在の若者の多くは下流老人と化す。
貧困の問題というと「絶対的貧困」とか「最貧困女子」などが取り上げられるが、「下流老人の問題は、絶対的貧困も含むが、相対的貧困が主体であるため、貧困が見えにくい。相対的貧困は、共同体の大多数と比べて著しく生活水準が低く、必要なものが足りないということだ」といい、この問題を安易に捉えてはならないと指摘する。
下流老人は3つのない――収入が著しく少「ない」、十分な財蓄が「ない」、頼れる人間がい「ない」(社会的孤立)――が特徴だが、「あらゆるセーフティネットを失った状態」と言う。ごく普通のサラリーマンであった人が65歳の時点で「資産(貯金+退職金)」「年金」で暮らそうと思っても、80歳を過ぎるとその資産が底をつく。途中、「病気」になった時(誰しもだが)、その結果は明らかだ。2025年問題というが、団塊の世代が80歳を超えた2030年問題への備えをどうするか。本書は、個人も国も今何をすべきかを、かなりストレートに具体的に踏み込む。
11月13、14日の両日、兵庫県に行き、公明党の講演会や淡路島―明石の就航・港湾施設の整備、観光振興の取り組み等の視察を行いました。井戸敏三兵庫県知事、久元喜造神戸市長、門康彦淡路市長、竹内通弘洲本市長等と懇談・要請を受けました。
13日、神戸市で行われた「赤羽かずよし衆院議員を励ます会」では、来年の参議院兵庫選挙区の予定候補者・伊藤たかえさんも決意を表明。私は「今は、日本の未来への確たるスタートを切る時。一億総活躍は、1人1人が輝く社会をつくること。外国人観光客も急増している。人流・物流の変化を直視して全力投球する」など、講演を行いました。
14日は、淡路島や明石で市長と行政関係者、地元の公明党議員等と打ち合わせ・懇談をしました。