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12月2日、第4回目となる党観光立国推進本部を開きました。

現在、外国人観光客が急増し、今年は約1950万人を超える見込みです。観光庁は国交省の所管。一昨年、念願であった外国人観光客1000万人を突破し、昨年は1341万人。今年はさらに急増し、2020年に2000万人との政府目標も、事実上達成という勢いとなっています。

観光は成長・発展のエンジンになる――。私は11月4日に公明党に観光立国推進本部を立ち上げ、顧問に就任。2回、3回は今、話題となっている「民泊」について行政、企業、団体等と意見交換をし、「消防などの安全面」「衛生面」「近隣住民」などの角度から協議、将来の日本を見すえての対応に乗り出しました。

12月2日は日本政府観光局(JNTO)、日本商工会議所から現状の外国人観光客への訪日プロモーション活動や3000万人・インバウンド新時代への対応、広域観光周遊ルートや東北への観光客誘致の取り組み、観光関連産業に関わる中小企業との連携・支援活動、国内観光の促進などの意見交換を行い、ただちに観光庁にさまざま提案をしました。

観光は今後、日本を、そして地域を成長・発展させる一大産業であり、しっかり推進していきます。

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新・観光立国論 デービッド・アトキンソン.jpg外国人観光客が一気に増え、本年は1900万人台後半になる見通しだ。経済成長は最重要で、生産性向上が不可欠だが、「効率性向上は、人口減少を吸収するくらいの力はあっても、GDPを成長させるほどの力はない。GDPは主に人口によって決まる。ならば、外国人観光客をたくさん呼んで、お金を落としてもらえばいい」「日本は世界有数の観光大国になれる潜在力がある。しかし、日本はそれと、ほど遠い観光後進国だ」「日本は観光立国の4条件『気候・自然・文化・食事』を満たす稀有な国だ」「観光は世界的に発展・増大している。観光を一大産業と自覚し、"観光鎖国・ニッポン""自画自賛・思い込み・勘違い"を排し、相手のニーズとビジネスの視点、"お金を落としてもらう"という発想に立て」・・・・・・。きわめて示唆に富む提案が続く。

そして、「上客を呼ぶ」「文化財を活用し"稼ぐ文化財"に」「観光戦略は滞在日数から逆算せよ」等々、具体例を示しつつ、「2030年までに8200万人を招致することも不可能ではない」という。いずれにしても観光は、新たな段階に突入しており、国も自治体も観光地も新たな戦略で挑む時が来た。


老骨の悠々閑々.jpg「いまはやりのパソコンもスマホも、その他の近代的なもろもろとも縁なき衆生である。ケイタイすら所持していない。要するに、前世紀の遺物なのである。ただただ、昭和と太平洋戦争の"事実"を探偵することに、若いころから妙にのめり込んでいて、一人でコツコツと続けて、いつの間にか85歳の老骨となってしまった」――。

半藤さんが、折りおりに書きためたエッセイと木版画が本書だが、教養とユーモア、抜きん出た境地に引き込まれ、考えたり、感心したりのいい時間がもてた。今、ますます言葉は軽く、哲学・文化・教養が吹き飛んで、喧騒の社会となっていることを感じる。「豊かな文学・文化への招待」とあるが、本当にその通りだ。


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11月28、29日の土日――。多くの地域行事に出席しましたが、足立区立興本扇学園10周年記念式典(小中一貫校となって10年)、少年野球の東京北シニア杯小学6年歓送野球大会、東十条リトルキッズ・フェスティバルなど、少年・少女のキラキラ輝く行事に参加しました。

小中学校の周年行事もこのところ多く、「北区立豊川小学校140周年記念式典(明治8年創立)」「八幡小学校創立60周年記念式典」「王子桜中学校創立10周年記念祝賀会」「鹿浜第一小学校50周年祝賀会」「舎人第一小学校30周年記念式典」などにも駆けつけました。

記念誌が必ず作られますが、私がいつも楽しみにしているのは、生徒1人1人が「将来の夢」「20年後の自分」などを語るコーナー。「大リーグの野球選手になりたい」「サッカーの日本代表になる」「ケーキ屋さんになりたい」「花屋さんになる」「看護師さんになる」「世界を飛び回るビジネスマンになる」、なかには「普通の大人になる」「子供2人ぐらい持って幸せに暮らしたい」など......。時代がストレートに映し出されています。

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わあが心のジェニファー.jpgニューヨーク育ち、父母の離婚で米海軍大将の祖父に厳しく育てられた青年・ローレンス・クラーク。恋人のジェニファー・テーラーに告白しようとしたところ、日本びいきの彼女は「プロポーズの前に、日本を見てきてほしい。ひとりでゆっくりと」という。

成田に降り立った瞬間から、見るのと聞くとは大違い。「日本はハワイの先にあるのではなく、固有の文明を持つ遥かな異国だった」と、カルチャーショックを受けるとともに、父母と離れて育った人生をも振り返り思考する時間をもつ。現在急増しているインバウンドの日本再発見小説ともなっている。東京、京都、大阪、別府、そして銀座から丹頂鶴の舞う釧路へ・・・・・・。

アメリカ人のいう「ネバー・ルック・バック ゴー・アヘッド(けっして振り返るな、前へ進め)」。しかし祖父はいう。「ブリッジに立っていても、船がまっすぐ進んでいるかどうかはわからない。常に航跡を振り返れ」と。そして、彼がなぜ日本に共感するのか。心奥に日本の社会と文化の共鳴盤をもつ出生の秘密にたどりつく。そして絶滅寸前であった丹頂鶴を100年間にわたって育て続けてきた善行の背後に「自然は目に見える神だということ。施すのではなく、仕えるのだということ。過不足のない平等、それこそが真実の愛」という依正不二の生命観の世界があることを静かに示す。

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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